一般編  Vol.253
大西 彪さん
徳島県生まれ。9歳まで徳島で育ち、その後大阪で過ごす。関西大学に3年間在学後、ワシントン州立大学に編入し、1972年に卒業。ヒルトンホテル、日通航空旅客部、東京テレビ、ビジットUSAを経て、1981年にCrystal ImageおよびKotobuki Wedding Serviceを設立。その後1984年にJapan Video and Mediaを設立、そして現在に至る。商店会の旧役員およびJapantown Task Forceのオリジナルメンバー。趣味は詩吟で、現在国誠流詩吟会のSF支部会長を務める。
日本町の存続、発展に寄与したい
日本のアニメ、映画、テレビドラマなどを通して日本文化の普及促進に携わっている、サンフランシスコ日本町のJapan Video & Mediaオーナーを務める大西彪さんにベイエリアの暮らしぶりを伺いました。
大西 彪さん

(Takeshi Ohnishi)BaySpo 1533号(2018/04/13)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 大学に入学する頃にアメリカへ憧れを持つようになり、1969年に留学をきっかけにサンフランシスコに初めて来ました。当時直行便がなかったのでハワイ経由でサンフランシスコに渡米し、約2カ月ほど過ごしました。その後、ワシントン州立大学に編入して大学を卒業する1972年までワシントン州で過ごしていたのですが、夢のような時間を過ごしたサンフランシスコが忘れられず当地に戻ってきました。そのままこちらに住み、今に至ります。

ベイエリアの印象
 四季がないのでベイエリアに来た当初はなんとなく物足りなさを感じていましたが、暮らしていくうちに四季がないことにも慣れました。比較的に温暖な気候と整然とした綺麗な町並みが印象的です。また、さまざまな人種、国々の人たちが住んでいて考え方も多種多様です。世界中のレストランが集まっているのも魅力です。ただ、以前は全ての面でゆったりとし、豊かで物価も安く住みやすかったのですが、最近は住みづらく生活の質も落ちたので先が心配です。

専門分野について
 現在は、日本のアニメ、映画、テレビドラマなどを紹介して日本文化の普及促進に携わっています。そのため、弊社で扱っている商品(DVD)は全て英語の字幕付きのもので、個人だけでなく図書館や、日本語・日本文化を教えている全米の大学を対象にビジネスを展開しています。日本文化を発信したり、イベントを企画および施行して出来るだけ多くの方々がこのサンフランシスコ日本町に来てくれるように、いわゆる日本町の活性、繁栄のためにいろいろな活動をしています。毎年4月に開催される桜祭りのときに、若い世代の方々がもっと日本文化に興味を持ってもらえるように、また参加してもらえるように、1999年に全米で初めてアニメコスチュームパレードを開始しました。今年でアニメコスチュームパレードがちょうど20回目を迎えることとなり、今では桜祭りの人気No・1のプログラムです。アニメは若い世代の方々に親しみやすいのでアニメをきっかけに日本語や日本の歴史、武道、あるいは舞踊などの日本文化に興味を持ち勉強する方々が大勢います。アニメは日本文化の玄関口として大切な役割を果たしています。ビジネスを通じて、少しでも日本町の存続、そして発展に貢献出来るように努めていくつもりです。

その道に進むことになったきっかけ
 旅行関係の仕事をしていましたが、自分のビジネスをはじめたくていつも何かアイデアを探していました。ビデオが世の中に出てきたときに、将来絶対に伸びる分野だと思い、1984年にお店をオープンしました。当時は、まだ邦画のビデオ化があまり進んでおらず、英語の字幕付きのタイトルは少なく、ほとんどのアメリカ人はアニメを知らなかったので、最初の2、3年は本当に苦労しました。ただ、オープンしたときからアニメ業界は将来的に伸びると確信していたので、それが後に的中したのはとても嬉しかったです。

英語で仕事をするということ
 人生皮肉なもので中学生のときは英語が苦手で補習授業をいつも受けさせられていたので、アメリカに留学をするとは夢にも思っていませんでした。アメリカの大学に3年生として編入したので2年間で卒業しましたが、あともう1年くらい大学で勉強していれば英語力も随分身についたのではないかと後から思いました。日常のビジネスに関しては問題ありませんが、細かい日本文化の説明に少し苦戦することがあります。わびさびを正しく理解してもらうためにも常に勉強しないといけないなと自分に言い聞かせています。

英語で失敗したエピソード
 いまだに「th」の発音には苦労しています。

英語上達の秘訣
 留学中は全て英語だけで生活していました。勉強だけでなく普段の学校生活から積極的に他の学生と交わり時間を過ごしたのが良かったのだと思います。当時は日本からの留学生はほとんど居なかったのも幸いでした。

英語が100%ネイテイブだったらどんな仕事に?
 どの分野で働いてもそのコミュニティの一員になっていたと思いますが、そのコミュニティのなかでもっとリーダーシップを発揮できたと思います。

あなたにとって仕事とは?
 生活をして行く上での経済的基盤と共に、お客様との交流やコミュニティ活動を通じて自分自身を磨き成長できる場でもあると思います。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 小さい頃は野球選手に憧れていました。

いまの仕事の就いていなかったら
 やはりお店の経営者として仕事をしていると思います。父がお店(会社)を経営していて、それを小さい頃から見て育ったので経営者になるのは自然な成り行きだと思っていました。会社を大きくするのも、小さくするのも、あるいはつぶすのも全て経営者の自分にかかっているので、これほどやりがいのある仕事はないと思っています。

最近日本に戻って驚いたこと
 ここしばらく帰っていないので、日本に今戻ったら驚くことはたくさんあるかもしれません。

日本に持っていくお土産
 ピスタチオ、アーモンドなどのナッツ類とカリフォルニアワインです。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 お茶、和菓子、それと本です。

現在のベイエリア生活で不便を感じる時
 やはり公共の交通機関が未発達で時間も不規則なのが不便ですね。それと関係して、どうしても車に頼らなければならないので交通停滞してどこにいくにも時間がかかり大変です。経済的にみてもかなりの損失ですね。

現在のベイエリア生活で不安に感じる事
 不動産をはじめリビングコストの高騰化でしょうか。また、医療費が高く値段が病院によりまちまちです。しかし1番の問題は銃社会であることです。3億という、人口よりも出回っている銃の数の方が多い現実と殺人事件などの犯罪が毎日起る治安の悪さに危惧を感じています。

日本に郷愁を感じる時
 お正月、春の桜、秋の紅葉の時期です。

お勧めの観光地
 ゴールデン・ゲート・ブリッジ、カーメルのビーチ、ヨセミテ国立公園です。ヨセミテ国立公園では、特に東部の公園境界からシエラネバダ山脈の分水嶺に位置する峠、タイオガ・パスがお勧めです。

永住したい都市
 浜松、ホノルル、サンフランシスコです。

5年後の自分に期待する事
 健康で人生を楽しめる状況にあることを期待しています。

もっとも印象に残っている本
 吉川英治著『宮本武蔵』です。肉体的な強さだけでなく、生きるか死ぬかの勝負、決闘に挑む武蔵の精神力と出来る限りの情報と状況を吟味、把握した綿密な作戦は大きな感銘を受けました。

もっとも印象に残っている映画
 山田洋次監督による『たそがれ清兵衛』、黒土三男監督による『蝉しぐれ』、池宮彰一郎の同名小説を原作『最後の忠臣蔵』です。

最近観た映画
 『四月は君の嘘』です。どちらかと言うと音楽をテーマにした作品が好きで『四月は君の嘘』もアニメを観て、とても気に入ったので実写版を観てみました。結構良質の泣ける良い作品だと思いました。

座右の銘
 七転び八起き

(BaySpo 2018/04/13号 掲載)

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