一般編  Vol.295
中川 裕之さん
1981年に渡米。83年に餅つき保存会の鏡会に所属。84年からレストランで働きながら地元のロックバンドのドラマーとしてライブスポットなどで活動し、87年から95年までサンフランシスコ太鼓道場で和太鼓を勉強。のち邦楽の基礎を学びに一時日本に帰国。99年から2010年まで4人のメンバーによるソメイヨシノ太鼓アンサンブルで活動。2007年頃から鼓の勉強のための帰国を行い、現在も続けている。同時期に桜音太鼓スクールを設立し、インストラクターまたパフォーマーとして現在も活動中。
音楽を通じた出会いに感謝
ロックバンドのドラマーを目指して渡米後、アメリカで知り合った日本人ジャズドラマーとの出会いがきっかけで和太鼓の道を志したという中川さん。音楽を通じた出会いや、演奏を喜んでもらえた時が幸せ、と語る彼が日本の伝統文化をアメリカの地で継承していく理由や、ベイエリアでの生活について伺いました。
中川 裕之さん

(Hiroyuki “Jimi” Nakagawa)BaySpo 1598号(2019/07/12)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 19歳の時に観光でサンフランシスコにいた友達を尋ねた時、ミュージシャンになることを夢見ていた私は、ここで生活しながら音楽を勉強したいという強い気持ちに駆られました。準備のため一度日本に帰国し、3年ほど貯蓄して1981年に再度アメリカに来ました。

ベイエリアの印象
 初めてサンフランシスコの空を見たときに、非常に空の色が青く光りが白っぽく感じた覚えがありました。住んでみるといろいろな文化が交流また共存できるところかなという印象です。

自分の専門分野について
 和太鼓のインストラクターと太鼓のパフォーマンスまたワールドミュージックやジャズのミュージシャン、またあらゆる分野の方々(といってもあまりないですが)とのコラボレーションを専門にしています。

その道に進むことになったきっかけ
 高校の頃にロックバンドでドラムをやり出したことがきっかけでドラムを勉強したくてアメリカに来ましたが、アメリカで知り合った日本人のジャズミュージシャンからの影響で、和太鼓を勉強し始めることになりました。

英語で仕事をするということ
 音を出すこと、そして、その感情を伝えることが仕事なので、音での会話はわかりやすい気がしますが、英語でこんな感じの音が欲しいといわれても時々わかりにくい時があります。もっとも、日本語でも人によって言葉の持つ意味に違いもあるから同じことなのかなと思うこともあります。

英語で失敗したエピソード
 こちらに来て2、3カ月が経ち、友達もでき始めた頃パーティーに誘われた私は、そのインフォメーションを友達に電話で伝える際、住所の道の名前の後につくDr.(ドライブ)を「ドクター」と読むものだと思っており、それを言い続けていました。少なくとも2年くらいは気付かずにに言い続けていました。友人から指摘された時には、恥ずかしくて堪りませんでした。

あなたにとって仕事とは?
 仕事の中には大変難しいものやプレッシャーを感じるものなどありますが、私にとっては楽しいことなのでこれを職業としてやっていけることに感謝でいっぱいです。音楽を通じていろんな方と知り合えたり、演奏をしてそれが喜ばれたりすると幸せな気持ちになります。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 3、4歳の頃、汽車の運転手になりたいと親戚の方から尋ねられた時はそう答えていた覚えがうっすらあります。小学校の頃は動物が大好きだったので獣医になりたいと思っていました。

いまの仕事に就いていなかったら
 考えるのは難しいですが前の仕事は家屋塗装の仕事を長くやっていたのでそれを続けていたかもしれません。

現在、住んでいる家
 今はオークランドに住んでいますが、エルセリートに引越しします。

休日の過ごし方
 特に決まったことはしていませんが、たまに公園やレジョナルパークに歩きに行って心を安らかにすること、が好きです。リラックスできるのがいいですね。

最もお気に入りのレストラン
 サンフランシスコの山昌、ここの焼きそばが大好物です。あとは、サンマテオのひまわりはラーメンも美味しいし、日本にあるジャズ喫茶のような雰囲気が好きです。

よく利用する日本食レストラン
 バークレーのスシカリフォルニアです。店のオーナーとそこに働く方々と営業が終わった後の飲みながらの雑談会が好きです。

1億円当たったとしたら?
 太鼓を力一杯打っても全く外に音が漏れないスタジオを建てたいです。いつでも人に迷惑をかけずに音を出せるところが欲しいですね。あとはアフリカに行ってみたい!

日本に戻る頻度
 2年に一度くらい、日本にいる私の先生のところに鼓を習いに行っています。

最近日本に戻って驚いたこと
 東京で電車に乗ると95%くらいの人が携帯を見たり聞いたりしていること。それといつも思いますが、私の好きなラーメンがうまくて安い。あっ、驚くことではないか。

日本に持って行くお土産
 ローカルのコーヒー、ナッツ類、ワイン、地元で作られている石鹸かな。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 筆記用品佃煮やお菓子食べ物です。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 私は東京で育ったので、どこへ行くのもバスと電車を利用していましたが、こちらではバス、電車では目的地に着くまでに時間がかかり過ぎてしまう事が不便だと思います。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 各地でのレントがどんどんあがっていっていることをよく耳にします。このままではものすごく高収入の方しかしっかりとした屋根のついている場所で暮らすことが出来なくなるのではと、不安に感じます。その現象はすでに始まっている感じもしますが…。

日本に郷愁を感じるとき
 目のさめるような紅葉を見たとき、特に山の多い地方に行った時に夕焼けを背景に赤とんぼが飛んでいるのを見ると、5、6歳の頃の自分に戻った感じがします。

お勧めの観光地
 シャスタ山、それと半年ほど前にハーフムーンベイにあるBACH DANCING &DYNAMITE SOCIETY というところにジャズを聴きに行きましたがあの辺りは海辺に面して小さな店や画廊などがありなんともいい雰囲気でした。もし友人が日本から訪ねてきたら連れていきたいと思います。

永住したい都市
 絶対にここというところはありませんが暖かいところが好きです。また様々な音楽に接することができまたリラックスできる場所がいいですね。ハワイ、フロリダのような場所が良いです。

5年後の自分に期待すること
 ほとんど考えたことはありません。今が幸せであるのでこのまま好きなことができて好きな人たちに囲まれていければそれで十分かな、5年後も心身ともに健康でありたいです。

最も印象に残っている本
 『がんが消えた』寺山心一翁著、人間が本来持っている治癒能力の凄さ、それを信じれば働いてくれるんだなあと思いました。

最近読んだ本
 『借金から楽しく抜け出そう』 シモーンミラサス

最も印象に残っている映画
 『RISE OF THE PLANET OF THE APE』, Directed by Rupert Wyatt

最近観た映画
 『グリーンブック』
Directed by Peter Farrelly

自分を動物にたとえると?
 子猿かな、落ち着きがなくなんとなくビクビクした感じが似ているかなと。

座右の銘は?
 自分で作ったものですが、
「願いごと、必ず叶う本気なら。」

(BaySpo 2019/07/12号 掲載)

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