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		  | 一般編  Vol.114 |  
		| ライザ・ダルビーさん |  
		| ニューヨーク生まれ。高校卒業後、佐賀大学に1年間留学。スワースモア大学で文化人類学を専攻。在学中に上智大学に1年間留学。卒業後、スタンフォード大学で文化人類学の博士号を取得。「日本社会における芸者制度」をテーマに日本各地で研究する。著書に「Geisha」(日本語版は「ライザと先斗町の女達」)、「Kimono〜Fashioning Culture」、昨年発刊の小説「Hidden Buddhas」など著書を多数出版するほか、講演などの活動も行っている。ウェブサイト:www.lizadalby.com |  
		 
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		| 何百年も続く「芸者」という女性の職業 |  
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		| 文化人類学者として芸者をテーマに研究してきたライザさん。研究の一環として、初めて外国人の芸者として「市菊」の名で京都のお座敷に出たこともあり、その経験から映画「SAYURI」では文化監修を担当。そんなライザさんに日本での思い出や現在の暮らしぶりを聞いた。 |  
		 
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		| 文化人類学者(Liza Dalby) | BaySpo 1223号(2012/05/04)掲載 |   
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日本に行ったきっかけは?  アメリカで高校を卒業後、佐賀大学に初めての外国人として留学しました。はじめは日本語がわからなかったので、授業というより生け花や墨絵のような習い事をしました。三味線は、初めて聞いた時に音がとても魅力的で、すぐに自分もお稽古を始めました。1年後アメリカに戻って大学に入り、在学中にもう一度、今度は上智大学に1年間留学しました。そしてスタンフォード大学の大学院で文化人類学を専攻していたときに、「日本社会における芸者制度」というテーマで研究するため、また日本へ行きました。
  「芸者」研究について  「芸者」という女性の職業が何百年もの歴史を持ち、いまだに続いているところが面白いと思いました。文学などの資料を研究したり、京都、東京、大阪をはじめ、熱海などいろいろな地方をまわってたくさんの芸者さんにインタビューをしました。芸者さんから本音を聞き出すのは簡単ではありませんでしたが、京都のあるお茶屋さんで、芸者さんたちが、私がまじめに研究をしているということをわかってくれて、だんだんと仲良くなっていくこができたんですね。その時に「実際にお座敷に出てみないとわからないこともある」と勧めてもらったのがきっかけで、1975年に1年間、自分も実際に先斗町のお座敷で芸妓の生活に入り込みました。これはたまたま、私が佐賀時代から三味線と長唄が好きで、日本にくる度に先生を探して勉強していたというバックグランドがあったからこそ可能だったと思います。その頃から「久里原菊子」という日本の名前を持っていて、今でも日本で友達に会うと、菊子と呼ばれるんですが、その「菊」とお姉さんの名前から「市」をもらって芸名は「市菊」でした。
  お座敷の生活は?  すっごく楽しかったですよ。お茶屋に来るようなお客さんは、社会的地位がある年配の方が多くて、若い世代の女の子にとっては会話が難しいでしょう。だから最初、新人はお姉さんたちを見ながら、どうやって会話を運ぶのか、冗談をいうのか、よく見ながら勉強するんです。でも私の場合は、お客さんに「これを研究のためにやっている」というのを正直に話したので、相手もめずらしがって関心を持ってくれました。そういうお客さんたちと色々な話題について話ができたのは本当に面白い経験でした。  それからお座敷だけでなく、昼間の女性同士の生活もとっても楽しかった。日本ではよく男性の世界に「縦社会」というのがありますが、花柳界では女性の世界にそれがあるんです。お母さんであるおかみさんを上に、お姉さん、妹がいて、家族みたい。ずっとその世界に住んでいたら、つらいこともあるかもしれないけれどね。現代でも、頭を下げたり、目上の人を立てたりといったきちんとした伝統的な構造が好きで、自分で選んでこの世界に入ってくる人たちも多いと思います。
  なぜ日本で芸者制度が発展してきたと思いますか?  日本社会には「公」と「私」をはっきり区別する習慣があります。アメリカでは、例えば男性は外に行くとき、よく奥さんを一緒に連れて行って同僚に紹介したりしますね。でも日本では、男性が仕事や遊びで外に出かけるとき、「内」にいる奥さんは連れて行かないというのが一般的でした。同席する女性も外と内で区別されていたんです。そこで「公の女性」として芸者という職業が必要とされたわけです。同じような女性の職業は、昔の中国や韓国にもあったようです。それからギリシャでもその昔、同じように家の女性は夫の社交に付き合うことをしなかったため、芸者とそっくりな公の女性という存在がありました。  昔、芸者は今でいう映画スターやモデルのように、一番モダンで流行の先端をいく存在でした。ところが20世紀のはじめに西洋文化の影響が強くなるとバーホステスが流行り、芸者の数が減ってきたんです。それでファッションリーダーから180度変わって、今度は伝統を守る役割になりました。その役割がなかったら芸者制度は消滅してしまっていたかもしれません。
  映画「SAYURI」の文化監修を務めたそうですが  原作「Memoirs of Geisha」の著者アーサー・ゴールデンが、私の本「Geisha」を参考資料として使ったことがきっかけで友達になりました。それで映画の話が出たときに、彼が私を監修役に推薦し、撮影にも立ち会いました。
  映画作品の出来栄えについては?  原作のストーリーは素晴らしいけれど、映画は大失敗。監督のロブ・マーシャルは、芸者を「世界で一番美しい女性」として描きたかったんですね。でも着物、メイク、髪型、すべて彼にとっての美しさが基準。撮影の前には一緒に日本にリサーチに行って、実際に芸者さんにも会ったんですよ。だから本物を知らなかったわけではなくて、そこに自分たちの好きなようにアレンジを加えてしまった。例えば着物です。着物の色と帯はコントラストしなくちゃいけないのに同系色を使ったり、おはしょりをなくしたり、真ん中になくてはいけない帯留めを斜めにしたり、アメリカ人デザイナーがいい加減にやっちゃったんです。唯一の例外は出演者の桃井かおりさん。彼女は決して譲らず、自分の着物を持ってきて、着付けも全部自分でやっていました。スタッフともよく喧嘩していましたよ。文化人類学者としては、日本とアメリカの美的感覚が戦っている、という部分では面白かったですけどね。でもね、あれはアメリカ人が作ったアメリカ人のための映画。日本にインスパイアされた「不思議な国」の物語です(笑)。
  現在、住んでいる家は?  バークレーの山の上に20年住んでいます。日本は季節や自然への微妙な感覚があるのが素晴らしいですが、カリフォルニアにもシーズンはあると思います。よく見れば、毎週、においも植物も変わっていますよ。
  休日の過ごし方は?  YMCAに行って、ヨガとダンスをします。
  好きな場所  UCバークレーの植物園やティルデンパーク、ゴールデンゲートパーク、デ・ヤング美術館など。
  お気に入りのレストランは?  やっぱり「Chez Panisse」。
  よく利用する日本食レストランは?  オークランドの「Uzen」、サンフランシスコの「Yoshi's」です。
  日本に持って行くお土産  家の近くの公園にあるベイローレルの木の葉っぱ。北カリフォルニアの香りです。
  日本からベイエリアに持って帰ってくるもの  面白い手ぬぐい。特に京都の永楽屋が好きです。
  お勧めの観光地は?  日本なら秋の京都。南禅寺の紅葉や妙心寺の中にある退蔵院の庭で池を眺め、名物のナマズ、ヒョウタン模様の饅頭を食べるのが最高。
  座右の銘は?  この質問、初めて聞かれました。日本人なら皆持っているんでしょうか?!私もどうして今まで持っていなかったんだろう、持つべきですね。そう思って色々考えたら、これです。「死ぬは必然、生きるは偶然」。
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  インタビューを終えて  日本人であってもなかなか知る機会がなかった「花街の世界」について、アメリカ人であるライザさんから詳しくお話を聞けたのはとても貴重な経験でした。
  	  (BaySpo 2012/05/04号 掲載) |  
	 
	
	 
	
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