ベイスポ読者の皆さま、始めまして。ジェトロ・サンフランシスコセンターの荏原昌(えばらまさし)と申します。曽根一郎前次長の後任として3月10日から当地で勤務しております。サンフランシスコセンターへ異動になる前はジェトロの東京本部でハイテクベンチャーの国際化支援を目的とした活動に携わっていました。ジェトロへ入会(当時は日本貿易振興会)する以前、1999年から2002年までは民間企業(システムインテグレーター)のシリコンバレー事務所の責任者として当地で勤務していました。約6年振りにベイエリアへ戻ってきてみて、当時と現在で変わったことや印象などを少し綴ってみたいと思います。
前回はまさにドットコムバブルがはじけ、そして9・11の発生とベイエリアだけでなく米国の景気や活気が一気に失われていった時期でした。私が勤務していた会社の投資先、提携先企業はどんどんオペレーションを縮小し、日本への事業展開も先送り、先ずは米国内のビジネスの建て直しということで、何ともはやモチベーションの上がらない時期だったなぁ、という思い出があります。当時、Exodus Communicationsというデータセンタービジネスの先駆けだった企業がありました。最盛期で従業員3500人以上、海外拠点は英、独、仏、日等7拠点を擁し、NASDAQでは最高値85ドルが付いた、正にデータセンタービジネスの雄ともいうべき企業でしたが、2001年9月にチャプター11を申請し、最終的には事業を売却してしまいました。US101をサンノゼ方面に向かって行くとサンタクララのミッションカレッジのあたりにYahoo!のロゴを付けた青いビルが建っていますが、そこがExodus Communicationsの本社とデータセンターだったことを今はどのくらいの方が憶えていらっしゃることか。
さて、もはや誰もが知っているWeb 2・0に関して少々記憶を掘り起こしてみました。2001年から2年間スタンフォード大学で次世代ウェブシステムの共同研究開発プロジェクトに少しだけ関わっていました。セマンティック・ウェブの概念に基づいてwebサービス関連技術(UDDI、WSDL、XML)をベースに金融・保険や流通分野で新たなサービスを創造するためのプラットフォームを開発する、ことをテーマに据えた研究開発です。ちょうどAmazon.comがAPIを公開してアフィリエイト・サイト数を拡大していた頃で、時宜を得た研究開発であったなぁと思っています。今なら「Web 2・0で新たなサービスをマッシュアップする」こと、と表現するかと思いますが、Web 2・0という言葉が市民権を得る前に、既にスタンフォード大学で研究の芽があって、そこに触れ得る機会があったかと思うと感慨深いものがあります。ちなみに、当時セマンティック・ウェブの記述でよく検討していたRDF(Resource Definition Framework)というXML技術は、ブログの概要を配信するRSS(RDF Site Summary)という技術に少し形を変えて広く使われています。
Live365.comというサイトがあります。簡単に言えば同社はインターネット上のラジオポータルで、自分のお気に入りの楽曲をCDからリッピングしてインターネット上に配信できるようにするサービスを提供しています。同社のウェブサイトによれば、現在260のジャンル=放送局があり、月間の視聴者は4百万人にも上るとか。世界最大のインターネットラジオ局という存在です。元々はフォスターシティの託児所の隣でこぢんまりとしたオペレーションをしていたベンチャーだったのが、今ではフォスターシティで最も目立つMetro Center内にオフィスを構えるまでに成長しています。当時彼等のビジネスモデルの説明を受けて、果たして著作権者との関係が整理できるのだろうか、と誰もが思うような疑問を持っていたのですが、今ではASCAP、BMI、SESACといった米国の大手著作権管理団体ときちんと連携できていることに大変驚いています。相当タフな交渉があったことは想像に難くありません。
残念ながら消えて行ったベンチャー、新しい技術やイノベーションの萌芽、色々な課題に直面しつつも克服して成長を続けるベンチャー、本当にベイエリアは興味の尽きない地域です。我々ジェトロの役割は、一義的には日本と諸外国との貿易振興のお手伝いをすることであり、サンフランシスコセンターにおいては米国企業の日本への投資を誘致すること、日本のハイテクベンチャーの方々の米国市場への進出をインキュベーション施設によりサポートすることが主要なミッションです。一方で、ベイエリアにいらっしゃる皆さまの「生の声」を聞きつつ、我々ができることやれることを(当地のスピード感を持って)考え実行していきたいと考えておりますので、今後ともよろしくご指導の程お願いいたします。
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