この記事を読んでくださっている皆様の多くがシリコンバレーといわれている地域に住んでいるか、その場所になんらかの関係でかかわっていらっしゃる方々ではないかと思います。半導体からはじまり、コンピュータ、ネット、バイオとめざましい技術革新が次々と現れ、産業として生み出されていくシリコンバレー。「すべての道はローマに通じる」ではないですが、すべての技術はシリコンバレーから発信している、とも言えそうなほどです。このシリコンバレーの発祥地としては、1939年にHPが設立されたガレージが特に有名ですが、シリコンという半導体の名前からすると、1956年に設立されたショックレー半導体研究所を上げるべきでしょう。この研究所は、今日の情報化社会を支える小さな石ようなスイッチ「トランジスタ」を発明したウィリアム・ショックレーにより設立されたものです。場所はマウンテン・ビュー市内のサンアントニオショッピングセンターに隣接する所で、現在はスーパーマーケットがちょうどオープンされているところでした。歩道にその由来を示す看板がぽつんと立っているだけで、誰もここが記念すべき場所であるとは気づく由もありません。
少しその歴史を振り返って見ましょう。ショックレーは生まれ故郷であるこの地に、トランジスタの商用化を目指した新しい研究所を作ることを思い立ちます。そして、自ら優秀で才能あふれる若い研究者を探し出し、その当時西部の片田舎であったこの地に連れてきます。その中には後にインテルを創設するロバート・ノイスとゴードン・ムーアもいました。しかし、その年の暮れにショックレーがノーベル賞を受賞したのもつかの間、若手研究者との技術的な対立が生じ、設立してわずか1年で、主要だった8人が会社から出て行くことになります。これが、伝説的な「8人の裏切り者」です。彼らは、自らの夢を自らの手で実現するために1957年フェアチャイルド社を設立します。ショックレーから離反した彼らでしたが、社内では逆に雇い入れた経営者に機密情報とともに独立されてしまうという事態に陥ります。しかし、彼らはその問題を争うよりも「自らの技術を高めることで、相手の技術を陳腐化することの方がよっぽど早い」と考えひたすら技術開発に明け暮れることになります。そして1958年、ジーン・ハーニが、トランジスタの集積化のためのプレナー技術を発案、その技術を使ってロバート・ノイスが世界で始めての集積回路(IC)を世に送り出すことになります。このICがテレビやエアコンそしてiPodにいたるすべての電子機器の必需品として組み込まれる半導体チップの原型となります。彼らがこの地に来てわずか2年、今からちょうど50年ほど前の話です。このスピーディーかつとどまることを知らない技術開発志向は、その後のシリコンバレーでの技術発展の方向性を決定付けます。そして、この永遠の技術開発という命題を引き継ぐインテルは、今日まで半導体業界の先頭を走り続けています。
最近話題のインテルの技術を、大きさをキーワードにして挙げてみると、450ミリメートル、急に小さくなり32ナノメートル、そしてアトムが挙げられます。まず450ミリメートルとは、チップを作る基板ウエハーのサイズです。ウエハーサイズを大きくすると、一度により多くのチップが作れ、一個あたりのチップの単価が下がります。現在は300ミリメートルが主流ですが、450ミリメートルになると、単純には一個当たりのチップの価格が半分以下になることが予想されます。インテルでは2012年にこのサイズに移行することを示唆しています。32ナノメートル(1ナノメートルは、10億分の1メートル)はトランジスタの大きさを意味するデザインルールといわれているものです。こちらは小さくすればするほど、信号の流れる長さが短くなり、信号の切り替えも早くなるので、より高速のトランジスタつまりコンピュータが実現します。現在は45ナノメートルものですが、来年には32ナノメートルの製品が世に出るそうです。最後にアトムですが、実は原子ではなく新しいインテルのマイクロプロセッサーの名前です。しかし、このプロセッサーにはシリコンと酸素以外の新しい原子(元素)ハフニウムが組み込まれました。新しい元素の追加により、電力の消費と発熱が少ないグリーンなプロセッサーが登場しました。
このように、より早く、より安く、そして、よりグリーンな半導体チップを作ることで、より快適な社会が実現します。そのために、このシリコンバレーの地で、技術者はその歩みをとめることなく技術開発を進めているのです。 |