BaySpo 1056号(2009/02/06)掲載
シリコンバレーはコメの原産地?
ェトロ・サンフランシスコ・センター 前田 辰郎
前田 辰郎(まえだ たつろう)
工学博士。専門は半導体工学。1996年通商産業省工業技術院電子技術総合研究所入所、2001年(独)産業技術総合研究所次世代半導体研究センター、主任研究員。半導体MIRAIプロジェクトにて新規半導体材料の技術開発を行う。2008年4月よりJETROサンフランシスコ。日本のハイテクベンチャーの米国進出支援業務に従事。愛媛県出身。

 前回、インテルのDRAM撤退のお話をしましたが、ここまで来るとどうしても話題になるのは、その後の日本の半導体業界の盛衰です。これを「半導体は産業のコメ」といかにも日本的な表現をもじったたとえ話でお話したいと思います。

 一言で半導体といっても、情報の処理をすばやく行うプロセッサー、その情報を記憶するメモリーなどその活用方法によって様々なものがあります。70年代から80年代にかけて半導体産業の主役は、メモリーの一種であるDRAMでした。たとえばこれを「ササニシキ」としましょう。ササニシキを開発したのはインテルです。ということで、ここシリコンバレーはコメの原産地?というタイトルになるわけです。

 当時のDRAM市場の中心は米国でしたので、この市場はインテルを中心とした米国メーカーの独壇場でした。けれども、いざ売れるとわかると、日本のメーカー各社はこぞってこのササニシキを作り始めます。日本では同じササニシキでも生産地によって品質を競うのが好きです。DRAMでも各社ごとにその品質を競い合い切磋琢磨した結果、80年代には日本メーカーの品質は、米国メーカーの品質を凌ぐようになります。ササニシキの味のよさ、半導体で言うところの品質の良さの原因は、日米のものづくりに対する考え方の違いにあるとも言われています。米国流は不良品があったら振い落すのに対して、日本は不良品を出さないように作り方そのものを改善します。また、以前に半導体は小さく作りこむことで、利益を上げるというお話をしましたが、日本人は小さなものを作りこむのも大好きです。そうした作る技術を極限まで究めるのが得意な日本メーカーにとって、DRAMは日本人の良さをいかすのにぴったりの製品だったと言えるでしょう。1980年には日本製DRAMの製品が米国製よりも優れている、とする米国ヒューレットパッカード社のレポートが話題になりました。一方の米国メーカーは、性能と価格競争に敗れ次々とDRAMから撤退します。それに伴い、日本メーカーが市場の8割近くを占めるようになり、わが世の春を謳歌することになります。

 1985年にDRAM撤退を決めたインテルでしたが、すでに別の半導体であるプロセッサーを発明していました。これを「あきたこまち」としましょう。日本メーカーがササニシキを作り続けている間に、インテルはあきたこまちをこれからの消費者にあうようにずっと改良を繰り返していたのです。90年代に入ると、インテルの予想通り消費者の嗜好も変わってきます。正確には半導体の需要が大型コンピュータから皆さんがお使いのパソコンに変化し、爆発的にプロセッサーの需要が増えたのです。このあきたこまちはおコメとおかずがセットの丼もの専用みたいなもので、プロセッサーとそれを動かすオペレーションソフト(OS)と抱き合わせの一品です。インテルは、パソコンを使って、あれもしたい、これもしたいという消費者の要求に、OSを開発するマイクロソフト社とタッグを組むことでその期待に答え、新しい市場を作り出したのです。そしてこのWindows OSとIntelのプロセッサー、いわゆるWintelパソコンは、今日まで事実上の業界標準として扱われることになります。

 一方、ササニシキ自身の状況も変わっていきます。コンピュータの主要部品が日本製で占められるという現状に、米国半導体産業としてまた軍事的にも問題だということで、日米半導体摩擦という政治問題にまで発展します。ここで日本メーカーのDRAM価格は対米輸出価格として決められてしまい得意の価格競争に持ち込めなくなってしまいます。また、90年代のパソコンの普及に伴いDRAMの需要も大きくなりましたが、一方でパソコンでは味よりも安さが求められるようになったのです。すばらしいササニシキを作っていた日本メーカーはその味を維持するために、良い土壌と水を準備し、すばらしい道具を作り、気が付いてみると極めて高コスト体質になっていました。日本人ならではの作り手の味へのこだわりもあったのでしょう、消費者の嗜好の変化に対してこれまで続けてきた体質をなかなか変えることができませんでした。その隙を突いて、韓国などのメーカーは大々的な投資とコストカットで、そこそこの味で安い消費者向けのコシヒカリを大量に作って、あっという間にその市場を日本から奪っていきました。その理由は、ほかにもいろいろあると言われています。日本の作り手があみ出したノウハウの詰まったすばらしい道具を使えば誰でもDRAMが作れるようになったとか、いろいろ優遇政策があったからなど。こうして、価格競争に負けた日本メーカーは全盛期の10社近くからとうとう1社だけとなってしまいました。今、日本に存在するDRAMメーカーはエルピーダという会社で、この社名はギリシャ語の「希望」という意味に由来するそうで、まさしく唯一の希望となってしまいました。当時の日本メーカー各社の名前は、DRAM事業から撤退後もその名前が残っており、この劇的な変化はあまり世に知られていないかもしれませんが、このような急激な盛衰を経験した日本の産業もないと言われています。

 半導体技術の中心として栄えたシリコンバレーですが、最近のニュースによるとシリコンバレーに最後に残ったインテルの工場が昨今のリストラでとうとう閉鎖されることになるそうです。ひとつの時代の終焉を感じさせます。

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