過去数十年間にわたり、ベンチャー資金を集め、アメリカのイノベーションを引っ張ってきたのは、半導体、IT、通信、バイオ・医療、インターネット、メディアなどですが、これらに続く「第5」「第6」の柱として成長しつつあるのが環境技術(クリーンテック)です。しかし意外にアメリカの環境ビジネスの歴史は古く、1950年代に遡ります。そして長い下積み(?)時代があったからこそ、現在のクリーンテック「開花」への期待があると言って良いでしょう。
アメリカでは、かつて大規模なスモッグ汚染がニューヨーク(1953年)やロサンゼルス(1956年)を襲いました。1960年代には有鉛ガソリン問題の人体や自然への悪影響が大きな問題となり、1969年にはオハイオ州クリーブランドを流れるカヤホガ(Cuyahoga River)川で、その水面を流れる油、化学薬品や浮遊物が引火し、大きく炎上する事件が発生しました。メディアが報じた「川が燃える」写真は、地上5階建てほどの高さに達するほどで、アメリカ環境汚染の象徴となり、一連の環境保護運動を高めるきっかけとなりました。
1970年には「地球の日(アースデー)」が設けられ、12月には米国環境省(EPA)が設立されました。1971年には「全米大気質基準」ができます。環境保護団体グリーンピース(本部バンクーバー)の設立も1971年です。
他方、1973年には石油危機が生じ、アメリカで「エネルギー自立」の声が強まりますが、環境規制の声は強く、国内の化石燃料生産は一向に拡大しませんでした。1973年に58千兆Btu(ブリティッシュ・サーマル・ユニット)だった化石燃料生産は、35年後の2008年にも57千兆Btuと、むしろ減っているほどです。
原子力について言えば、アメリカは世界一の原子力発電量を誇りますが、制約も大きい。発電所数は1991年までに111基に増えましたが、その後は減少し現在104基(2007年)にまで減りました。プラント数の伸び悩みを原子炉の設備容量・出力増加、設備利用率上昇、設備寿命の延長(40年→60年)などで何とか補っている状況です。
再生可能エネルギーもコスト的・技術的問題から普及が進みません。現在再生可能エネルギーが全エネルギーに占める割合は、生産で9・9%、消費で7・4%。1970年代に比べれば伸びましたが、その伸びはあまりに緩やかであり、オイルショックの後遺症で一時急増した1980年代、90年代と比べると、その水準はほとんど変わっていません。
そして結局、今日まで消費量と海外からの石油輸入だけが増えていくという基本構造が続いています(図)。
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