【対中投資は90年代に入ってから】
シリコンバレー最大の売上高を誇るコンピュータ機器大手のヒューレット・パッカード社(HP社)の東アジア進出は、70年代に遡る。当初は、シンガポール、マレーシアに製造販売拠点を設け、80年代に入ると台湾に本格進出を果たした。中国への投資は、主に90年代に入ってから進めており、それが現在、中国には合弁を含め製造拠点が11〜12ヵ所、R&D拠点が上海市に1ヵ所、販売拠点が24〜25ヵ所、合計38拠点ある(2002年11月時点)。
HP社は、基本的に国・地域による投資戦略の違いはなく、それぞれの投資先国・地域には製造拠点、R&D拠点、販売拠点をパッケージとして持ちたいと考えている。
アナログ技術に定評のある半導体大手のナショナル・セミコンダクター社の東アジア進出は、60年代後半にシンガポールにホールディング・カンパニーを設置したのを皮切りに、72年にマレーシア、80年にシンガポールにそれぞれ半導体のパッケージ工場を設立している。現在、同社のアジア太平洋地域の統括事務所は香港にある。中国本土での企業活動は、これまで中国に進出している台湾企業を使ったデジタル製品の委託生産を中心に行ってきたが、2004年に上海市郊外に半導体の後工程工場を設立した。
半導体装置大手のKLAテンコール社の東アジア進出は、90年代に入ってからである。それまでは各国・地域の販売代理店を通じて自社製品を出荷していた。しかし、現在も東アジアには製造拠点を持たず、中国、韓国、台湾、香港、シンガポール、マレーシアに販売拠点を設置しているだけである。なお、製造拠点はシリコンバレーに置いている。その理由について、同社では、最先端の技術や情報を提供できれば、製造コストはそれほど問題にならないという。従って、シリコンバレーにある工場が最先端の半導体装置を製造する限り、製品の値段は本質的な問題とならない。また、半導体装置の製造には、かなりの熟練された技術が必要であり、すぐに第3国で代替できるものではない。
一方、ソフトウェア会社の東アジア進出をみると、シリコンバレーで売上高No.1を誇るオラクル社の場合でも、80年代後半からである。ソフトウェア産業自体が比較的新しい産業であることにも起因しているが、同社の場合、86年に香港、88年にシンガポール、90年にフィリピンといった順番で進出を果たしている。中国進出については、2002年5月に、深セン市に開発センターを設置したのが初めてである。また、2003年2月には北京市に第2の開発センターをオープンした。最終的には中国本土の5ヵ所の開発センターに2.000人程度のスタッフを置きたい意向である。
インターネット・セキュリティー大手のシマンテック社の東アジア進出は、91年に香港に進出したのをはじめ、その後、中国本土を最重要地域として、積極的に拠点整備を図っている。現在、北京市、上海市、広州に事務所を設置し、さらに北京市には完全所有の海外子会社(独資:WOFE)がある。その子会社では、製品のローカライズとサポート文書の中国語訳、CDのプリント、ユーザーマニュアルの作成などを行なっている。また、中国国内には約130のディストリビューターとパートナー関係を持ち、中国の主要都市をほとんど網羅している。同社の中国市場における拡大戦略は、他の国・地域でとった戦略と変わらない。つまり、販路を拡大してくれる数多くのパートナーとの関係を構築することである。(続く)
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