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| 文化スポーツ編 Vol.46 |
松永智之さん |
1980年山口県岩国市出身。全米屈指の激戦区であるカリフォルニアの大会にて、4位を2度獲得し、日本人初のNPCでのNational-LevelのMen’s Physique Competitorとなる。日本のフィットネス雑誌などでも活躍中。 |
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ステージに上がる時は、日の丸を背負っている |
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法律事務所に勤務する傍ら、フィットネスモデルとしても活動している松永さん。全米屈指の激戦区であるカリフォルニア州の大会で活躍し、日本人初の全米大会への出場資格であるNational Qualifierというステータスを獲得。この7月に行われる全米大会に向け、松永さんは日々過酷なトレーニングに励んでいる。
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(Tomoyuki Matsunaga) | BaySpo 1232号(2012/07/06)掲載 |
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ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年 2004年4月に渡米後、当初はミシガン州に住んでいましたが、当時の雇用先のサンフランシスコへのオフィス移転に伴い、移り住んできました。その後、転職に伴い、オレンジカウンティーに引っ越しましたが、結婚を機に再度ベイエリアに戻ってきました。
フィットネスモデルについて 私はフィットネスモデルとして、全米各地の大会に出場しています。本場アメリカの大会で結果を出し続けることにより、フィットネスモデルとしての確固たる地位を築き上げられるよう努めています。当初は周りの知り合いたちも、日本人が生身の体の見た目を欧米人と勝負するなんて無謀すぎるだろうと心配していました。しかし、去年だけでも業界最大規模のNational Physique Committee(NPC)という団体による大会で、幸いにも2度にわたり4位を獲得し、日本人初の全米大会への出場資格であるNational Qualifierというステータスを頂くことができました。
フィットネスモデルの大会に出場したきっかけ ロサンゼルスへトレーニング修行に行った際、日本人唯一のInternational Federation of BodyBuilding & Fitness(IFBB)プロボディビルダーである山岸秀匡さんから、NPCでMen’s Physiqueというフィットネスモデルとしてのカテゴリーが新しく設けられたため挑戦してみてはということで、ご紹介頂きました。しかし、いざコンテストへ出場となると、さすがにすんなりと決めることができかねていました。そんな私を大きく変えたのが、東日本大震災でした。このニュースには大変ショックを受けましたし、現に私の友人の家族なども被災しました。震災が起こった当時、自分が何ができるかと考え、フィットネスモデルまたはMen’s Physiqueの競技者としてこの世界を開拓していくことで、被災地の方々を勇気づけたり、夢をお伝えしたりすることができたらと思った次第です。私は日本を愛していますので、勝手ながら、毎回ステージに上がる際は、日の丸を背負っているのだと自分に言い聞かせています。
英語について この世界で他のアスリートたちとトレーニングや食事管理などについて話をするとき、体の各部位の名称を専門的な言葉を用いたり、マニアックなサプリメントや食材の成分などの言葉が飛び交ったりするときは、さすがに会話を何度も中断させてもらいながら、勉強させてもらっています。
現在の仕事は? サンフランシスコの法律事務所で働いています。え? 法律事務所?と周りの方々は、よく驚かれていますが、全く違う業界に属しているので、逆にメリハリがあって良いものです。もしかしたら、何かあったときのための用心棒として雇われているのかもしれませんね(笑)。また、パーソナルトレーナーとしても、個人的に活動を続けていましたが、大会に出場し始めてからはスケジュールの調整が難しくなりましたので、現在はFacebookやEメールを通じて、体づくりや食事管理などのいろいろな相談に対してアドバイスを行っています。
生まれて初めてなりたいと思った職業は? 母が看護師をしていて、頻繁に若手の医師の方々を食事に招待し、身近で医学のことを耳にしていたこともあり、私も医師になりたいと思っていました。
休日の過ごし方 法律事務所の休みはありますが、基本的に休日という概念はありません。法律事務所の休みの日は、その分平日に十分な時間が取れないポージングの練習や体のケア、雑誌の掲載記事の執筆などをしています。フィットネスモデル、またはボディービルという世界は、体をひとつの芸術品として捉え、その完成度を競い合うスポーツではありますが、それ以上に「Champion of Mind」を競うスポーツと呼ばれるように、頂点に立つためにはどんなスポーツよりも、肉体的にも、精神的にも極限状態まで追い込んでいく必要があると言われていますし、そのように実感しています。要は24時間365日、己と戦い続けるゲームであると言えるでしょう。
好きな場所 それは間違いなくショーのステージですね! 前が見えないほどの眩しいライトを浴びる中、勝ち負けを競い合うわけですから、ステージに立ったときのあの何とも言えない感覚は、正直やってみないとわからないと思います。高校時代に甲子園に出場したときに、甲子園球場のグランドから観客席を見上げたときの感覚に近いものを覚えました。もしかすると、現在のフィットネスモデルとは、今の私にとっての「第2の甲子園」なのかもしれません。
最もお気に入りのレストラン 基本的に全ての食事を自炊する必要がありますので、残念ながらレストランへなかなか足を運ぶ機会がありません。また、全ての食事の炭水化物、たんぱく質、脂肪の量を1g単位まで計算してメニューが決められているため、レストランでの食事となると本当に難しいですね。よって、どこに出かけるときも、予期せぬ交通渋滞なども考えられますので、常に2、3食分の食事を持ち歩いています。ただし、唯一大会前でも食事に行けるレストランとなると、BurlingameのCrepevineです。そこなら、私のオーダーも理解してもらえているので、グリーンサラダに鶏の胸肉を必要量だけ乗っけてもらって食べています。
日本に郷愁を感じるとき やはり日本の両親と電話で話をして、季節の変化や二人の近況を聞くときですかね。日本の四季の変化を両親の声によって感じることはとても良いものです。
お勧めの観光地 私の地元、山口県岩国市です。日本三奇橋である錦帯橋が、美しい城下町とうまく調和し、季節ごとの様々な顔を持つすばらしい町であると言えます。正直、岩国市に住んでいるときにはその美しさが当たり前でしたが、今は岩国市に生まれ育ったことを誇りに思います。
最も印象に残っている映画 食事を2時間ごとに摂ることもあり、最近は全く映画を観ていません。日本にいたころは、毎週映画館へ足を運んでいたのですが。ですから、最も印象に残っている映画は8年前にさかのぼり、渡米前最後に観た映画であるラストサムライです。この映画を観たとき、「よし、アメリカへ行っても、しっかりと大和魂を持ち続けてがんばろう!」と自分に誓ったことをよく覚えています。
座右の銘は? 「The mind is everything.」です。私が大ファンであるIFBBプロボディビルダーのKai Greeneから贈られた言葉です。私も大会直前で体脂肪4%くらいの状態の時は、心が折れそうなことがあります。また、ウェイトトレーニングの時は、毎回と言っていいほど、常に目の前が真っ白になって意識が飛びそうな状況に陥っています。そのような時、いつもその言葉を自分に何度も何度も言い聞かせて、奮い立たせています。
5年後の自分に期待することは? 日本人の方が得意とするものづくりや学術の分野だけではなく、どちらかというと敬遠しがちな肉体を競い合う分野でも多くの日本人が世界へ向けて羽ばたけるように、少しでも多くの日本人の選手に出てきて頂き、共に日本のフィットネス業界を盛り上げていきたいと考えています。
(BaySpo 2012/07/06号 掲載) |
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