一般編  Vol.137
武井征吾さん
 1964年東京生まれ。1981年にサンディエゴ州立大学へ留学。その後プロテニスプレーヤーとして全米で活躍。1990年、帰国し、芸能活動を始める。2006年、ミルバレーに「El Paseo」をオープン。ミシュランの星を獲得。2011年11月、サンフランシスコ・ノブヒルに「Keiko à Nob Hill」をオープン。
人生は一度きり。何でもやってみることが大事
 カリフォルニアワインの父と呼ばれるロバート・モンダヴィ氏が人生最後の誕生日を迎えたというミルバレーにある「El Paseo」のエグゼクティブシェフであった妻の啓子さんを陰ながら支え、昨年11月にサンフランシスコ・ノブヒルに「Keiko à Nob Hill」をオープンさせた武居征吾さん。10万本ものワインコレクションがある武居さんが、ベイエリアでレストランオーナーとして活躍するまでに至った経緯を話してもらった。
武井征吾さん

(Seigo Takei)BaySpo 1215号(2012/03/09)掲載

プロテニスプレーヤー時代
 はじめはプロのテニス選手になりたかったんです。中学生の頃からずっとテニスをしていて、プロの道に進もうときめていたのですが、親から大学を卒業することを条件とされていたので、高校卒業後は、大学時代はテニスで有名なサンディエゴ州立大学に通い、ビジネスを専攻していました。数字がたくさんでてくる科目がよかったんですよね。英語はやはりどうしてもネックになりますから。自分にとってなるべく負担にならない科目をとって、あとの時間をテニスに回せるようにしていました。

英語で苦労は?
 日本にいたときは不安でしたけど、こちらにきてからは3ヶ月でしゃべれるようになりました。もちろん大学の授業を理解するのは大変なのでたくさん勉強しましたし、ネイティブのようなきれいな発音でしゃべれるようになりたかったので、それはたくさん練習しました。言葉がうまくでてこなくても、とりあえず頭に浮かんだ単語をつなげてしゃべる。そうやっていくうちに学んでいくんだと思います。文法などを考えて、ためらい、しゃべる「間」を失うより、同じ人間同士、「人間語」でよいのではないでしょうか。

心機一転 ナレーターに
 大学卒業後、プロとして全米のATPサーキットに出場していたのですが、1990年に肩を痛めてしまい、治療・療養のために一度日本に帰国したんです。そのときはまたアメリカに戻ってプレーをするつもりでしたが、そのときにちょうど兄が新聞の切り抜きを持ってきて、「お前これ応募してみたらどうだ」と紹介されたのが、ラジオのDJのオーディションだったんですね。それで、実際に応募してみたら幸運にも通っちゃったんです。そのあとはラジオDJだけでなく、テレビ番組のナレーター、スポーツ番組のキャスター、バラエティー番組の司会など、いろいろな仕事が入るようになってきました。今も続いている番組ですと、歌番組の『Hey×3』やK1のナレーションなどもやりましたね。

ずいぶんなキャリアチェンジですね
 キャリアチェンジといいますか、目の前にオポテュニティーがあったので、それをただ一生懸命やってみたのです。私の場合、特に声に自信があったわけでも、喋りが上手だったわけでもなく、やってみたら向いていた、というだけなんですね。誰でもやはり何か秀でているものがあると思うんですよ。ただ実際にその秀でたものに巡り会える人というのは一握りで、そういう人たちはきっと幸せな人生だと思います。自分の本当の才能を見つけられずに人生を終わるよりも、いろいろやってみれば何か見つかるかもしれません。ちょっと興味をもったら絶対にやったほうがいいです。ひょっとしたらそれが一番自分に向いていることかもしれない。人生は一回しかないですし、「私には無理だ」といっているよりも、「私もできるかも」ではどうでしょう。

芸能界からレストランオーナーへ
 実は、「KEIKO à Nob Hill」のシェフであり、私の妻である啓子は、私が芸能界にいた頃の私のマネージャーだったんです。彼女は料理に秀でていたわけでもなく、料理も趣味程度だったんですが、一緒に食事に行ったりしていくうちに、彼女に「味覚のセンス」を感じたんです。味の分析ができるというか。フェラーリをみてかっこいいと言うことは簡単ですが、なぜかっこいいかを細部にわたり理解できる人は少ないでしょう。彼女はものを食べるとそこに何が入っているかがわかるし、どう味を整えるかがわかるんです。僕はワインコレクターでたくさんのワインを持っていますが、ワインはバランスの飲み物なんですね。酸味・渋み・フルーティーさ・ミネラルと。彼女は食べ物に対するこういった「バランス」感覚が鋭いと感じて「いい料理人になる」と確信したんです。そこで僕は幼い頃から親にフレンチレストランなどに連れて行ってもらっていたので、そのつてで、私は彼女の修行の場所を選び、「マネージャーではなく、料理をやれ」といって彼女の料理人生が始まったのです。そして、うちのレストラングループのシェフをやって、そしてこちらにきてミシュランで星をとって、と進んでいったわけです。20年前、私は彼女と出会い、小さな才能を見つけ、それを2人で長い時間をかけ育てて、結果的に彼女の料理で多くのお客様に喜んでいただけている、それは私たちにとってなによりも幸せなことなのです。

一日の睡眠
 就寝は朝3時。起床は朝7時です。

休日の過ごし方
 基本休みは週一日なので、何も考えずゲームをすることが多いですね。啓子は家の掃除や洗濯、夜は友人の家に食事に招待されることが多いです。たまに2連休の時はタホやペブルビーチにショートトリップに行きます。

好きな場所
 帰るところ。家族がいるところ

最もお気に入りのレストラン
 パリにあるランブロワジーです。

よく利用する日本食レストラン
 ロンナートパークのKENさんの「HANA」、サンマテオのSAMさんの寿司もいいですね。オークランドの清水さんのUZEN、YOSHIさんのSUSHIRAN、WAKURIYAの懐石、私たちが心より尊敬している方たちです。休みの時は極力ファインダイニングに行くように心がけています。週一日の休みは、啓子がインスパイアされる唯一の機会なのです。

日本に戻る頻度
 毎月

最近日本に帰って驚いたこと
 あれだけのことがあったにも関わらず、皆さん元気でした。日本人はたくましいと思います。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 調理器具ですかね。レードルといって、注ぎ口がついたおたまのようなものなどです。

5年後の自分に期待すること
 このレストランが皆様に愛される店に育っていてほしいですね。

最も印象に残っている映画
 スター・ウォーズ・シリーズ。ルーカス監督はここ出身ですしね。なんとか新作を作ってほしいですね

最近見た映画
 最近はあまり見ていませんね。昔は「シネマ通信」という番組の司会をやっていたので当時は結構見ていたのですが。。。

自分を動物に例えると?
 動物に生まれ変わるなら、鷹ですかね。敵もいなさそうで、高いところを飛び、気持ち良さそうで、、、

座右の銘は
 今やる。すぐやる。

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取材を終えて
 プロテニス選手、DJ・ナレーター、そしてレストランオーナーと、大きくキャリアチェンジをしてきた武居さん。次は・・・?と気になるが、ご夫婦の長年の夢だった「Keiko à Nob Hill」がオープンし、今は同レストランが人々から愛されるお店にしたいとのこと。お財布に余裕ができたらぜひ行ってみたいレストランです。

(BaySpo 2012/03/09号 掲載)

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