一般編  Vol.165
ヤスコウチ モーゼス&ハツエさん
共にベイエリア生まれ。第二次世界大戦時には日系人収容所に送られる。戦後サンフランシスコ・ベイエリアに戻り、モーゼスさんはサンフランシスコのローウェルハイスクール卒業後、サンフランシスコ・シティカレッジ、ハツエさんはサンフランシスコ州立大学で学ぶ。その後、ボウリング場での出会いがきっかけで交際、結婚して3女をもうける。サンフランシスコ日本町にあるスーパーミラ内にあるベーカリー「スイート・ストップ」は今年で開店40周年を迎える。
日本町でベーカリーを開店して40年
ヤスコウチ モーゼス&ハツエさん

(Moses and Hatsy Yasukochi)BaySpo 1324号(2014/04/11)掲載

 サンフランシスコ日本町のスーパーミラ内にベーカリー、「スイート・ストップ」がオープン40周年となる今年は、さらに金婚式、モーゼスさんの喜寿と、3つのお祝い事が重なっているという、ヤスコウチさんご夫妻にお話を伺いました。

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 モーゼスさん(以下M):生まれも育ちもサンフランシスコです。リッチモンド地区で育って、今もサンフランシスコに住んでいます。両親が帰米(アメリカで生まれ、日本で教育を受けた後、再びアメリカに帰って来た人たち)で私たちは日系3世です。
 ハツエさん(以下H):オークランドで生まれて、子どものころはラファイエット、コンコードにも住んでいました。

お2人が出会ったきっかけ
 そのころはボウリングが流行していて、サンフランシスコのダウンタウンにあったボウリング場で出会いました。

自分の専門分野について
M:ローウェル・ハイスクール卒業後、サンフランシスコ・シティカレッジでホテル・レストラン学部で学んだ後、ベーカーになって働きはじめました。そのとき一緒に働いていた人から、サンフランシスコのユニオンスクエアにあった有名店、「Blum's」の名物メニュー、コーヒー・クランチケーキの作り方を教わったんです。その後、お店を開かないかというお話をいただいて、1974年に、「スイート・ストップ」をオープンしました。以前に一度、「Blum's」のオーナーの娘がお店に来て、私が作ったコーヒー・クランチケーキを食べ、オリジナルの味と同じだと驚かれたこともあります。子どものころは、「Blum's」に母に連れて行ってもらうのは特別なことでした。
H:お店ではケーキのデコレーションを担当しています。コーヒー・クランチケーキは主人のスペシャリティで、50年作っています。昔からのお客様も多く、毎年サンクスギビングからクリスマス、年末にかけては注文が殺到するので忙しいです。子どもたちが学生だったときは、忙しい時期はみんなお店に来て手伝ってくれていました。普段は昔からの知り合いの、ビクター・オノさんが手伝いに来てくれていますが、ビクターさんは昔お店を手伝ってくれていて、その後バートに30年勤務、リタイアしたので、また手伝ってくれています。開店から今までの40年間には、ヒデキ・ササさん、マイケル・ハシモトさん、ボブ・マメツカさんなど、たくさんの人がヘルプしてくれています。

毎日一緒に仕事をすることについて
H:主人はオーブンに近い場所、私はデコレーションをするテーブルの近くと、それぞれ少し離れた場所で仕事をしています。それが長年うまくいっているコツかもしれません。(笑)

その道に進むことになったきっかけ
M:子どものころからベーキングが好きで、家でもしょっちゅうケーキやお菓子を作っていました。昔は「男の子なのに・・・」と、母がいい顔しなかったこともありましたが、ベーカーになってからはとても喜んで誇りに思ってくれていました。

桜祭りの思い出
M:サンフランシスコ太鼓道場が開設されたとき当時(1968年)のメンバーでしたので、桜祭りには太鼓を叩いていました。そのほかにもサウンドシステムの車を運転するなど、いろいろボランティアとしても協力していました。太鼓は7年間やっていました。
H:娘のステイシーが小さいころ、日本舞踊の会のメンバーと一緒にパレードに出るときに、シビックセンターからの長い距離を歩いていたので、私もついて歩いていました。小さかった娘の草履が脱げないように、足首にヒモで結んだりして工夫しました。娘は、長年サンフランシスコで指導に当たっていた、日本舞踊・藤間流の師範の藤間禄惠(ふじまろくしげ)さんについて3歳半から27年間学び、名取りになりました。そのほかにも、もう1人の娘エリンはパレードでサンフランシスコ消防局の消防車に乗ったり、孫たちも日本町リトルフレンズの一員としてパレードに出たりと、桜祭りには私たち家族の思い出がたくさんあります。私も藤間会のフードブースを約20年間お手伝いしていました。

いまの仕事に就いていなかったら
M:ハイスクールのころからベーカーになりたかったから、他には考えたことはないです。
H:学校の先生になりたくて、そのための勉強もしていたので、先生です。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
M:平均7時間くらいです。午後10時30分ごろには就寝して、朝は6時ごろには出勤しています。サンクスギビングやホリデーの忙しい時期になると、午前4時には仕事場に来ています。
H:主人よりちょっと遅めに、午前6時45分くらいに起床します。寝るのはDVDなどを見たりしてから、だいたい午後11時か12時ごろです。

ご家族について
H:3人の娘、ステイシー、ウェンディ、エリンがいます。ステイシーはヒューレット・パッカード(HP)のポートフォリオ・プランニング・マネージャー、ウェンディはスタンフォード病院のオペルームのディレクター、エリンは日系アメリカ人女性としては初のサンフランシスコ消防局の消防士になって19年になります。孫はステイシーとマイケル夫婦の娘、アマンダ、ウェンディとタッド夫婦の息子と娘、ケンジとサマンサ、エリンとクレイグ夫婦の息子と娘、ジャスティンとリンジーの全部で5人います。今は、フレンチ・ペストリー・アカデミーを卒業したケンジがお店を手伝ってくれています。孫が手伝ってくれる日が来るとは夢にも思っていなかったので、うれしいことです。また、今年は主人の喜寿(77歳)、金婚式、お店の開店40周年の年なので、6月には3つのお祝いを合わせてする予定があり楽しみにしています。

休日の過ごし方
M:休日ではないのですが、余暇には、つい最近まで20年間バスケットボールをしていました。ポジションはフォワード。ハイスクール時代は陸上競技(ハードル)やアメリカンフットボールの選手としてもプレイしていました。
H:エアロビクスを19年間やっています。娘もサッカーをずっとやっていて、孫たちもバスケットボールやサッカーなどをやっています。

最もお気に入りのレストラン
 サンフランシスコの「Scoma's」。

日本に郷愁を感じるとき
M:温泉です。旅行で九州を訪れたとき、高いところにある露天風呂から桜島が見え、桜島から煙が立ち上るのが見えて、それはもう感動的でした。北海道も農場や畑があって景色が素晴らしかったです。
H:日本全国、沖縄から北海道まで旅行しましたが、主人は沖縄料理のゴーヤがちょっと苦手だったみたいでした。(笑)以前日本町で働いていたお友達に日本で会うのも楽しみです。

最近読んだ本
H:今読んでいるのは、『The Bear』(クレア・キャメロン)。主人は日本の歴史が好きで、戦国武将などについて、すごくくわしいんですよ。

最近観た映画
H:『Like Father, Like Son(そして父になる)』を見に行きました。とても良かったです。

自分を動物にたとえると?
H:子猫かしら。主人は以前犬を飼っていたので、大きな犬という感じですか。

(BaySpo 2014/04/11号 掲載)

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