ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年 最初の渡米は日本で結婚して半年後の1994年。シカゴ郊外にあるアルゴン国立研究所にポストドクトラルフェローで行くことになりシカゴと日本で5年間主人と遠距離結婚していました。毎日電話していましたが、電話でたまにケンカして私が黙りこくると、「電話代が高いんだからもったいないから黙るな」と主人に怒られたのが思い出深い笑い話です。主人がベイエリアに職を見つけ、私の上司もベイエリアのNASA Ames Research Centerに転職したので上司について2000年にベイエリアに来ました。上司にはよく冗談で「自分がNASAに転職したのはヒロミのせいだ」と言われてしまいます。
ベイエリアの印象 シカゴ郊外に比べて物価が高く道も混んでいて、特に高速道路に入る時の合流車線があまりに短くて最初は怖かったのを覚えています。シカゴでは緑の草木を見るのは3月から9月くらいまでですが、ベイエリアでは真冬でも芝生が青々としていてびっくりしました。シカゴでは冬には芝刈りをしなくていいのに、ここでは年中芝刈りをしなくてはならなくて、庭付き一軒家をお持ちの方々は大変ですね。でもお天気が良くて気持ちがいいし、東洋人だからといって珍しがられることがないのは気楽です。
自分の専門分野について @NASA Ames Research Centerでは、生物化学、分子生物学の研究をしています。A賀川漢方クリニックでは、漢方、鍼灸治療をしています。よく2つも仕事をしていて大変ですね、と言われますが、仕事の種類が随分違うので、使う頭の部分が異なるせいか、お互いにリフレッシュしあっているようなところがあってなんとか続けています。また鍼灸とサイエンスは相容れないんじゃないかとよく不思議がられますが、いくら今の科学技術が発達したといっても、人間はいまだにバクテリア1匹つくることもできません。科学を勉強すればするほど、いかに自然がうまくできているのかを見せつけられます。だから自然をうまく生かした鍼灸もサイエンスもどちらも好きです。
その道に進むことになったきっかけ @大学に入るころ、ちょうど生物化学や分子生物学が発展し始めたころで、今までの化学(有機化学や無機化学など)よりも面白そうだと思ったから。A家族の慢性疲労的な症状が鍼灸と漢方で治ったのを目の当たりにしたのと、体力的にそれほど大変ではなさそうに見えて歳をとってもやっていけそうだと思ってしまったから(実は間違いだったかも)。
英語で仕事をするということ シカゴの研究所に5年間いた時、ある人に「今までいろんな外国人のポスドクを見て来たけれど、あなたほど入って来たときにはしゃべれなくて、出て行くときにはよくしゃべれるようになった人は珍しい」とおほめ(?)の言葉をいただいたのがうれしくて今でも覚えています。
英語で失敗したエピソード 日本語で「子供を作る」といいますよね。そのつもりで、「making a baby」と言ったら笑われて、「having a baby」だよ、と言われてしまいました。
英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に? うーん、お医者さん? いや英語が100%ネイティブじゃないとできない職業といえば、作家、新聞記者、英語の先生? でもそういう文系の職業にはあまり興味ないし。
あなたにとって仕事とは? 生活の糧。本当はずっと学生として学び続けていたいんですけど、それでは食べていけないので。
生まれて初めてなりたいと思った職業 10年くらい前に漢方、鍼灸がやりたいと思ったのが、実は初めてなりたいと本当に思った職業でしょうか。
いまの仕事に就いていなかったら 日本で漢方を扱う内科医、または総合診療医になりたいです。
現在、住んでいる家 去年子供の学区の関係で、タウンハウスからこじんまりしたアパートに引っ越しました。子供のころは団地暮らしが長かったので、一軒家より集合住宅の方が落ち着きます。
乗っている車 ホンダCRV。いつも疑問に思うのですが、男の人ってどうして誰がどの車に乗ってるのかすぐに覚えられるのでしょう? 私は全く興味がないので覚えられません。自分のと主人のを覚えるので精一杯。シカゴで1人暮らしをしていた時はトヨタカローラより1回り小さいトヨタの車(名前を忘れました)に乗っていましたが、あるとき突然エンジンがかからなくなり(バッテリーの寿命がつきただけでしたが)最初にしたことはなんと国際電話をかけて主人に助けを求めることでした。
休日の過ごし方 実は3月から、診療日を木土日に変更したので、休日がなくなってしまいました。
好きな場所 自分の寝床。アパートの中庭の緑の景色がみえる我が家の台所。
よく利用する日本食レストラン 天馬ラーメン、Gokaku、Gombei。
1億円当たったとして、その使い道 小さくて便利なクリニックを一つ買いたいです。
日本に戻る頻度 去年は父が闘病の末に亡くなったので何度も帰りましたが、普通は年に1度。あるとき主人と子どもたちが日本に戻るのと、私と子どもたちが日本に戻るのを交互にして、親は年1回、子供は年2回日本に帰っていたら、子どもたちだけがたくさん飛行機のマイレージをためてしまい、ゲートでビジネスクラスにアップグレードしてくれたことがありました。子ども心にもビジネスクラスの快適さは強く印象に残ったようで、「また乗りたい」とせがまれましたが「それは高くてとても無理」と言い聞かせるのに苦労しました。
最近日本に戻って驚いたこと どんな小さなレストランや、コンビニでも食べ物がおいしいこと。どんなお店でも店員さんが丁寧なこと。病院が完全予約制でなく待ち時間が長いこと。
日本に持って行くお土産 See’s Candiesのチョコレートを母に持っていったら、「何これ? (甘すぎてチョコレートだとわかってもらえなかった)」と言われたことがあったので、それ以来、何か別のものを持っていくようにしています。
日本からベイエリアに持って帰ってくるもの 漢方の本、漫画『どうらく息子』の単行本、つま先かかと補強の靴下、靴ひもがついているのにジッパーで着脱できる靴、保温下着、1回分ずつパックになっているふりかけ。
現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき 医療費が高すぎます。それと毎日の交通渋滞。
日本に郷愁を感じるとき 日本のニュースで、日本の普通の人が、普通の場所で、テレビにインタビューされているのを見ると、「あー、日本ってこうだったなー」と思うことがあります。
永住したい都市 やっぱり便利な東京かしら。特に歳をとると便利さは大切だと思います。
5年後の自分に期待すること 今やっていることが、もっと上手にできるようになっているといいと思います。
最も印象に残っている本 『塩狩峠』(三浦綾子)、『白い巨塔』(山崎豊子)、『ジュラシック・パーク』(マイケル・クライトン)。
最近読んだ本 『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(近藤誠)、『症例モダン・カンポウ』(新見正則)。
最も印象に残っている映画 ダスティン・ホフマン主演の『レインマン』。
最近観た映画 阿部寛主演の『テルマエ・ロマエ』。
自分を動物にたとえると?なぜ? うーん、自分ではわかりません。きっと周りの人のほうが意見があるのでは。
座右の銘は? 今日あった、ありがたいこと、うれしいことを5つ挙げてから寝ましょう。