ベイエリアに住むことになったきっかけ
当時婚約していた主人が1973年にアメリカの会社に就職したので1974年にハワイで結婚式を挙げ、アメリカでの生活が始まりました。
ベイエリアの印象
土地の広大さ、果物や野菜の馬鹿でかさはやはり当初は衝撃的でしたね。また、フレンドリーで底抜けに明るい人々にたくさんお世話になって今があると思います。
バレエを始めたきっかけ
戦後の食糧不足の時代に生まれたので、幼い頃はやせっぽっちで風邪をひいてばかりいました。それで、薄着で踊るバレエで体を鍛えたらいいのではという叔母のすすめで、近所のバレエ教室に連れて行かれたのが最初です。当時私は6歳くらいでしたが、行ってみてすぐにバレエの魅力に惹かれました。当時は今のようなレオタードのような練習着はなく、すべて手作りの白い木綿でできた練習着を来ていました。
どうしてプロの道に
実は私は学習院高校卒業後は普通に大学に進学するか、東京にある文化服装学院というところでデザインを勉強するつもりでした。しかし両親は歯科医でしたので、両親は私にも歯科医師としての道を歩んでほしかったみたいでしたけど。しかし、高校を卒業するころ、松山バレエ団というバレエ団の松山樹子先生にプロの道に行かないかとすすめられました。松山先生のご主人はとても教育熱心な方で、進路に迷っている私や他の生徒をみて「勉強をしたければうちが面倒をみてやる」といって励ましてくださいました。そして、そうこうしている間に、松山バレエ団の中国での公演旅行が決まったんです。当時、日本はまだ中国とは国交がなかった時代だったので、学習院大学は私が中国に行くことを認めてくれなかったんです。ですから、中国公演に参加してバレエの道に進むか、大学に進むかという選択を迫られたわけです。そこで私はバレエの道を選択しました。
中国での留学生活は
1964年に中国・北京での3ヶ月の公演旅行のあと、2年後の1966年、今度は日中分か交流協会から派遣されて、また北京に行くことになりました。その時は北京バレエ団への一年間の留学という形でした。松山バレエ団からは2、3人の生徒が選抜されたんですが、当時は何もかもが国賓待遇で、滞在費もなにもかも一銭もかかりませんでした。バレエ活動の他にも家庭教師がついて、毎日中国語のレッスンもあったんです。だから、当時は中国語はペラペラだったんですよ。今は中国語を使わなくなってだいぶ時間が経ってしまったので、残念ながらもうほとんど忘れてしまいましたけど・・・。
アメリカと日本のバレエの違いはありますか
もちろんありますよ。やはりなんと言ってもまず、アメリカ人とアジア人では体格が全然ちがいますからね。アメリカ人は手足が長いですから、見栄えはたしかにとてもいいです。私も最初にアメリカでバレエを教え始めたころは、アジア人は体格が小さいから体では負けると思っていました。でもだからといって、アメリカ人のほうが技術的に優れているかといったらそれは違うんですね。アジア人は体格が小さいというハンデがある分、努力家が多いんです。地道な努力をして得られる細やかな感情表現などはアジア人のほうが長けていると思います。今ではバレエ界ではオリエンタルは実はとっても人気なんですよ。体が軽いことと、まじめに練習して培われた細かいスキルはアメリカ人にもひけをとりません。
アメリカでバレエを教えるときに気をつけていることは
今はだんだん薄れてきているかもしれませんが、日本は今も昔も基本的にはスパルタ式に教えますよね。ちょっとでも間違えれば「ばかものー!」と叫んだり怒鳴ったりすることは普通のことですよね。生徒は「叱られて伸びる」ものだという考え方が日本にはあると思うんですが、アメリカではそれは通用しません。アメリカではもっと理論的に、「どこがどうだからここをもう少しこうした方がいい。そうすればもっとこうなる」というように指摘した部分がどうしてだめなのか、どうしたら改善できるか、を説明して励ますのが一般的なようです。確かに、アメリカでは「こののろまー! あんたなんかやめちまえー!」なんて叱ろうものなら、生徒は本当にやめてしまいますからね。アメリカでは生徒は「ほめられて伸びる」ものなんですね。あとは、舞台上などで生徒の立ち位置が間違っていたりするときに、日本では生徒の腕をつかんで「あなた、こっちよ」なんていってひっぱっていったりしますが、アメリカではそれもダメなんですね。ちゃんと言葉で「こちらに来なさい」と言って誘導しないと暴力的と捉えられてしまうので、それも気をつけています。
バレエを教えていてよかったと思うことは
バレエを通して子供たちに普通の生活では得られないような楽しさ、厳しさ、チームワークの大切さなどを学んでほしいと思っていますが、成長期の子供たちにとって大切な時間をともにするのでそれは責任重大です。でも、すてきなヤングアダルトに成長した卒業生たちからいろいろな思い出話を聞くとバレエが彼らの生活の中でとても大きな部分を占めていたことを伺い知ることがあります。テクニックを教えるだけではなく、自分の子供のように生徒たちと関わっていける仕事ができて本当に幸せだと感じます。
生まれてはじめてなりたいと思った職業
スチュワーデス。英語を使ってみたかったんだと思います。
今の仕事に就いていなかったら
コスチュームデザイナー
現在住んでいる家
ヒルズボロー
乗っている車
トヨタ プリウス
睡眠時間・起床時間・就寝時間
だいたい7時半から8時に起きて、12時から遅いときで3時くらいに寝ます。でも5〜7時間くらいは寝ます。
休日の過ごし方
孫に会いにサンマテオにある息子の家に行ったり、愛犬(チワワ)のプリンセスを公演に連れて行ったりしていますね
好きな場所
ファミリールームにある緑いっぱいのポーチ
よく行くレストラン
遊楽。ニラレバをよく食べます。バレエは華やかに見えますが、ハードな運動なので、バレエダンサーはみなスタミナをつけるために肉をたくさん食べるんですよ。
最近日本に戻って驚いたこと
ドルの価値のなさ。原宿の表参道でたくさんみかけたユニークな服装をした若者たち。おそらくコスプレでしょうか?
日本に持っていくおみやげ
ビーフジャーキー、バレエ用品(Tシャツなど)
日本からベイエリアに持ってかえるもの
湿布薬。日本のものはすごくよく効くんですよ。娘のためによく買ってきます。あとは神社やお寺のお守り、お茶、日本の野菜の種なんかも持ってかえります。
日本に郷愁を感じるとき
大晦日ですね。アメリカでは一年の終わりがあっけなくお祭り騒ぎなので、除夜の鐘を聞きながら一年を振り返る日本の大晦日が懐かしいです。あとは、寒い夜中にお参りに出かけて、寒さに震えながら飲む甘酒も懐かしいですね。
おすすめの観光地
去年主人がリタイアするまではほとんど旅行に行く時間がなかったんですが、リタイアを機にクルーズで地中海、北ヨーロッパに行きました。地中海の旅ではクロアチアのドゥブログニクが印象に残りました。北ヨーロッパではセントペテルスブルグが圧巻でした。
5年後の自分に期待すること
娘の茉莉子にバレエ学校を譲り、悠々自適といきたいところですが。。。
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取材を終えて
日本、中国、アメリカと各地でバレエを続けてきた高橋先生。そろそろ娘さんにバレエ教室を徐々に譲っていきたいとのことでしたが、これからもぜひ若い世代に夢を与え続けていってほしいと思います。