一般編  Vol.212
酒井 潤さん
サッカーU21の東アジアオリンピックで金メダル獲得。2004年NTTドコモ入社。2005年ハワイで会社経営。2006年米国スタートアップへ転職。2009年米国NTTi3へ転職。2012年よりSplunk, Inc米国本社にてソフトウェアエンジニアとして勤務。 http://sakaijunsoccer.appspot.com
サッカーで得た貴重な人生経験
U21の東アジアオリンピックで金メダルを獲得、プロ入りをケガで断念してIT企業に就職。仕事で日本の国際力の遅れを感じてショックを受け、シリコンバレーで仕事がしたいと思うようになったという酒井さんに、ベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
酒井 潤さん

(Jun Sakai)BaySpo 1449号(2016/09/02)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 2004年に日本のNTTドコモで勤務していた時、アメリカ現地マイクロソフトと台湾HTCのエンジニアと一緒に仕事をする機会があり、日本側だけに通訳がついて会議をしているのにショックを受けました。通訳がいるのに彼らのIT技術についていけなかったこともショックで、「このまま日本にいてはIT技術も、国際力でも出遅れてしまう」と思ったのがきっかけです。どうせ海外転職するなら、IT産業で世界トップのシリコンバレーで仕事がしたいと思い、日本から海外転職活動をして、2006年に現地企業に就労ビザを出してもらい渡米しました。

ベイエリアの印象
 サンフランシスコの街は、世界中のエンジニアがIPOなど一攫千金を狙って集まってくる場所でもあり、アグレッシブで野望家も多く、街を歩いているだけで活気が伝わってきます。他のエリアでは、お金持ちのエリアで裕福に幸せそうに暮らしている人もいれば、家を差し押さえられたり、生きるために必死な人たちがいるような場所もあり、人間の欲望と絶望が入り混じっている印象を受けました。スティーブ・ジョブスなど有名起業家も集まるベイエリアには、何か見えないパワーがあるのかもしれませんね。

自分の専門分野について
 IT、サッカー、株式投資だと思っています。ITに関しては今の仕事で、Pythonを使ってバックエンド開発をしています。サッカーに関しては、2001年のU21の東アジアオリンピックで金メダルを獲得。五輪と日の丸を背負って世界と戦った経験は、生きていく上でとても役立っています。膝の靭帯を切ってしまい、プロへのオファーを断ることになってしまいましたが、スポーツの世界ではケガや戦力通告で仕事を失うことが当たり前だと思って始めた株式投資にも力を入れています。Udemyで講師として株式投資を教えています。

その道に進むことになったきっかけ
 大学の学部の教授に、「サッカー選手としてうまく行かなかった場合は、何のスキルを身につけておけばいいか」と相談したところ、これからは「英語とITができれば食っていけるよ」と言われたのがきっかけでITの道に進みました。17年前のことですが、まさにその通りになったと思います。今後は英語とITだけではダメで、何かもう一つ技術が必要です。人によって違うと思いますが、私は、英語、IT、ファイナンスだと考えます。

英語で仕事をするということ
 英語ができるのと仕事ができるのは別で、ベイエリアで仕事をしていて思うのは、英語ができても仕事ができない人も多くいることです。日本のエンジニアが英語ができたら、今のシリコンバレーのエンジニアよりも活躍できる人が多いのではないかと思います。

英語で失敗したエピソード
 アメリカに来た当時はTOEICのスコアが300点代だったので、全く英語がわからず、同僚の家に行く時に道に迷って電話したところ、「Where are you?」と聞いてくれたのを、「Who are you?」と勘違いして、何度聞かれても、「I'm Jun」だと言い返して話にならず、テキストメッセージを使ったのは情けなかったです。

あなたにとって仕事とは?
 企業に雇われてする仕事は、生物学的にも、また正直に言って、家族を養うためという考えが大きな比重を占めています。ただし仕事とは、自分の子供を含めて次世代の人々が幸せに過ごせる社会を作ることだと思っているので、いつかまた起業して、自分のやりたいことでさらに喜んでもらえるような仕事をワクワクしながらできたらいいなと心から思います。それができたら良い人生だと思えると思います。

いまの仕事に就いていなかったら
 日本で初めて就職したNTTドコモで退職するまで働いていたかもしれません。飛び出して本当によかったと思っています。

現在、住んでいる家
 1ベットの賃貸に家族4人で住んでいます。サッカーの国際大会で色々な国へ行き、ブラジルやインドのスラム街などの貧困層を見てきたので、家や物に対する欲がなくなりました。また、クラスメイトや先輩で亡くなった方が何人かいるので、生きてるだけで儲けものだと思っています。質素な暮らしでも幸せです。

乗っている車
 1999年のホンダのシビックです。かなり古くて先月マフラーが折れて溶接してもらいました。窓も完全に閉まりませんが、車は乗れればいいと思う派なので、可能な限り乗り続けたいです。

休日の過ごし方
 土曜日の午前中は、自宅で子供に日本語、算数、お金の使い方などを教えて、午後はお出かけ。日曜日の午前はサッカー教室でサッカーを教え、午後はプールで泳ぎを教えています。人生の中で役に立ったことを子供に伝えるのが楽しいですね。子供ができてから、死ぬ前に教えられることは教えておかないといけないという気持ちが強くなりました。

最もお気に入りのレストラン
 日本食レストランの「Tokie」です。やっぱり生まれた時から食べていた白いお米、味噌汁、魚介類が大好きですね。

1億円当たったとして、その使い道
 1億ではなく、100億円以上当たってほしいです。そのお金で低迷しているJリーグのチームを立て直したいです。近年は、海外で活躍する日本人選手も出てきて、子供にもサッカーは人気があるのに、ビジネスとして成り立っていないのは根本的な原因がありそうです。そもそも日本のサッカー場は、東京ドームのように駅の近くにスタジアムがなく、駅から遠い場所まで歩いていかなければいけないため、仕事帰りにサッカー見る気にならないです。1億円なら全て株式投資に回すと思います。

日本に戻る頻度
 昨年6年ぶりに日本に帰りました。親がこちらに遊びに来てくれるので、あまり帰省することがなかったんです。5年間の運転免許が切れたので日本に戻りましたが、子供のためにももっと頻繁に帰れるようにしたいですね。

最近日本に戻って驚いたこと
 昔でいうヒゲがあって筋肉質な男っぽい男性とセクシーなお姉さん系が少なくなったことです。男性は草食系男子、女性はAKB48系の方ばかりでかなり驚きました。6年間でこんなに日本人の性質が変わるんですね。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 子供の日本語教育のための漫画本です。前回の帰省では、「キャプテン翼」と「ちびまる子ちゃん」を持って帰ってきました。漫画で日本語を読むスピードがかなり上がったので、「ドラえもん」全巻を親に船便で送ってもらってます。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 不動産も株式も高騰していて、2001年のインターネットバブルや2008年のリーマンショックなどのバブルがいつか起きそうなことです。2008年のリーマンショック時には、勤めていた会社も倒産し、シリコンバレーのどこの企業も大量解雇でベイエリアに何万人とエンジニアがあふれていました。1週間にレジュメを200通送りましたが、返事がきたのは2社だけ。そのうちの1社に転職できたのはラッキーでした。

5年後の自分に期待すること
 引退して、IT、サッカー、ファイナンス関係で何か人の役に立つことをしていること。ペイスポ読者のみなさんから何かアドバイスをいただければ嬉しいです。


最も印象に残っている映画
 子供のころに見た『天空の城ラピュタ』です。想像したこともない壮大なストーリーで、夢とロマンと冒険心をくれた映画です。大人になると子供のころのような感動は薄れてしまい、新しい映画が面白くてもすぐに忘れてしまいます。

座右の銘
 サッカーをしていた時は「人と同じことをしていても同じようにしか伸びない」でした。今は「子供のようにやりたいことを何も考えずに挑戦する」を座右の銘としていきたいです。桜井章一さんの「考えるな!感じろ」も好きです。大人になってからリスクばかり気にしている自分に、今この言葉を言い聞かせるのがいいかなと思います。

(BaySpo 2016/09/02号 掲載)

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