一般編  Vol.222
武田 健太郎さん
ロサンゼルス生まれ。父は福岡県、母は北海道の網走出身。サンフランシスコに移住後ナカヨシ・ヤング・プロフェッショナルズに加入、日系アメリカ人の歴史とレガシーを学ぶ。会で出会った女性と恋に落ち、東日本大震災の被災地へ復興支援の旅で立ち寄った長野県の松本城にて告白。この旅では人生の儚さも思い知らされる。2013年に日本町町内会を共同設立。サンフランシスコ樽神輿連のメンバーでもある。
日本と日系人の文化は誇り
日本町町内会や樽神輿連などに所属し、サンフランシスコの日系コミュニティに深く関わっている武田さんに、ご自身のことやベイエリアでの暮らしぶりを伺ってみました。
武田 健太郎さん

(Ken Takeda)BaySpo 1466号(2016/12/30)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 カリフォルニア大学デイビス校に在学中の時の夢が、研究員としてジェネンテックに勤めることでした。卒業後、ジェネンテックに就職。最初はデイリーシティに住んでいました。大学時代は時々アムトラックを使って、ユニオンスクエアの「ビスケッツ・アンド・ブルース」に行っていました。

今年50周年を迎える桜祭り、特別なイベントは?
 桜祭り50周年実行委員会では、メンバー全員で新しくてエキサイティングなイベントの数々を企画しているところです。まだ企画段階なので、内容をすべてお話しすることはできませんが、4月に「50周年アニバーサリー・ガラパーティー」開催と、記念写真集の出版、同じく結成50周年を迎える、樽神輿連の記念ディナーは9月に予定されています。

桜祭りで最も印象に残っていること
 2013年のグランドパレードです。サンフランシスコ神輿連のメンバーとして、その年、神輿の台座である「ウマ」を運んだのですが、重さ1000ポンドもある神輿の下に入るのも初めてで、恐怖と興奮が混じった気持ちでした。150人の担ぎ手たちの気合の声につられて気持ちが高揚し、神輿の下から友達の足を叩いたのを覚えています。担ぎ手たちを信じて、神輿の下に入るというのは今考えても不思議なこと。初めて褌をつけたことも忘れらない思い出です。

日系コミュニティとの関わり
 日本と日系アメリカ人の文化に関わらせてもらっていること、樽神輿連のメンバーであることを誇りに感じています。1968年に連を創設したメンバーの多くは今も現役で、その一員であることは大変光栄で、伝統を守る大切さを痛感しています。樽神輿連では年間を通して行事があり、桜祭りの準備は7カ月前に始まります。桜祭りエグゼクティブコミッティーでは、50周年記念桜祭りのプランニング委員会に所属。その他、ナカヨシ・ヤング・プロフェッショナル、ソイ・トウフ・フェスティバル、日本町ストリート・フェアーにも関わっています。月一度集まる日本町町内会では、昨年第1回「大阪祭り」も開催しました。

桜祭りで一番好きなこと
 パレードで神輿を見ている人たちの楽しそうな笑顔を見ること。準備、当日の牛丼とうな丼の販売など、みんなで協力して頑張って良かったと思う瞬間です。人混みの中に妻の顔を見つけること。

自分の専門分野について
 サウス・サンフランシスコにある、バイオテクノロジー企業のポートラ・ファーマシューティカルズに勤めています。主な製品は血液抗凝固剤の中和剤です。抗凝固剤を服用している人が事故などでケガをした場合に出血を抑える薬です。生化学者として薬剤をより安全に、生産性を上げてコストを抑える仕事に取り組んでいます。

その道に進んだきっかけ
 化学と数学が好きで、知識を人の命を救うために使えたら素晴らしいと思ったこと。ジェネンテック勤務時に母のがんが発覚。母はジェネンテックの薬を服用して完治しました。現在の会社には、抗血栓剤の開発をしていると知って働き始めました。妻が仕事で多くの脳梗塞患者と接しているので、血栓がもたらす身体への影響についての話をよく聞きます。

日本語を使うということ
 自分では日本の小学生レベルの日本語だと思うので、小さな子供に日本語を教えることはできるかもしれないですね。一方で、日本出張があるような仕事に就いてみたいとも思います。

日本語で失敗したエピソード
 大学で日本語の先生に、父か母のどちらに日本語を習ったのかと聞かれたことがあって、「両親から習いましたが、家では母と過ごす時間が長かった」と答えたところ、先生は「やっぱり」という反応でした。当時はお花、お箸など、単語の前に「お」をよく付けていたので、女性っぽい話し方だったということがわかり、それからは「お」は付けないようにしています。

日本に住んでいたらどんな仕事を?
 漁師。朝早く起きて沖に出て魚を獲り、夜には家に帰る。新鮮な魚を朝・昼・晩に食べられたら最高ですね。実際は船に乗るとすぐ船酔いしてしまいます。

いまの仕事に就いていなかったら
 ソングライターかミュージシャン。ニューオーリンズに行った時に聴いたトランペッターに魅了されて、トランペットを購入したこともあります。ジャズが好きなので、いつかバンドで演奏してみたいです。一人でギターで弾き語りをすることもあります。

現在、住んでいる家
 サンフランシスコで昨年買ったばかりのコンドミニアムに妻と住んでいます。夫婦で日本町にはよく行くので、近くに住めてラッキーです。

乗っている車
 1984年モデルのアルファロメオ・スパイダーのオープンカーを持ってますが、妻のミニクーパーを使うことが多いです。駐車場がない場所へはバイクで行きます。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 7、8時間は寝ます。夜は12時頃に就寝、朝8時に起床。週末は午前1時に寝て、朝6時に起きます。週末の時間は無駄にしません(笑)。

休日の過ごし方
 1カ月に1度は妻とロサンゼルスにいる両親と親戚に会いに行きます。父が日本料理のシェフを務めている、サンランドにあるエンジェルス・ナショナル・ゴルフ場内のレストランで食事をしたり、家で父の手料理を食べたり、みんなで買い物に出かけたりします。父はベイスポの愛読者で、行くときに必ず数冊持って行きます。地元では妻と街歩きを楽しんだり、ペットのウサギ「あずき」と「きなこ」をカートに乗せて近所を散歩することも。

好きな場所
 サンフランシスコではインナー・リッチモンドの5thとカリフォルニアの交差点付近。2013年の11月に友人や家族の前で妻にプロポーズした思い出の場所です。

最もお気に入りのレストラン
 日本町のタイ料理店「ジットラダ」。「カオ・ソイ」というカレーヌードルスープがお気に入りです。「フォーリン・シネマ」は、外席で昔の映画を観ながら食事ができて雰囲気がいいです。

よく利用する日本食レストラン
 「山昌」は、ジャズのイベントなどもあり、カレーうどんが美味しいです。家の近くでは「三船」、ラーメンの「俺ん家ビヨンド」と「居酒屋ロク」。バーリンゲームの「Hanabi」の味噌ラーメンも好きです。寿司は築地の「栄」。

1億円当たったとして、その使い道
 両親とみんなで日本にいる親戚に会いに行くための旅行を計画します。

最近日本に戻って驚いたこと
 日本各地にまだ知らない綺麗で興味深い都市があること。山梨に初めて行って富士山を見て、武田神社と恵林寺に行き武田信玄について学びました。あと、CoCo壱番屋のカレーが美味しかったこと。

日本に戻る頻度
 2年に一度、札幌に行きます。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 家族がロサンゼルスにいるのでもう少し近かったらなと思います。

日本に郷愁を感じるとき
 祖母、叔父、叔母、従兄弟たちや友人のことを想う時。温泉、チョコレート、メンチカツ、日本のサービスの良さと安全さ。

お勧めの観光地
 パリ。建物と照明が美しくて人々が優しく、芸術も食べ物も素晴らしいです。

永住したい都市
 1番がサンフランシスコ、2番がロサンゼルス、3番が札幌、4番はマウイで5番がニューヨークです。

5年後の自分に期待すること
 子供がいるといいですね。今より自分のことを知って物事を楽しめていること。より強く、健康になっていること。

最も印象に残っている本
 マルバ・タハンの『The Man Who Counted』、数学者による本です。ドストエフスキーの『罪と罰』。

自分を動物にたとえると? なぜ?
 戌年生まれなので犬。犬は遊ぶのが好きで頭も良くて忠実、我慢強い。もう少し犬のようになりたいです。

座右の銘
 一期一会。笑顔で世の中を変えよう、世の中にあなたの笑顔を変えさせるな。

(BaySpo 2016/12/30号 掲載)

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