渡米のきっかけ 家族の渡米がきっかけです。姉はサンフランシスコで生まれましたが、家族で日本に帰国。姉が21歳で再びアメリカに来て、その数年後には父と母がレストランビジネスのために渡米しました。私は両親の3年後、2005年9月にこちらに来たんです。当時は日本でスイミングとフィットネスのインストラクターをしていたので、その勉強をアメリカでしたいという思いが強くなっていたことも大きなきっかけです。
ベイエリアの印象 気候が良くて、空が真っ青で気持ちが明るくなります。人種もさまざまで他の文化に興味や知識がある人が多く、私より日本語や日本文化について知っている人もたくさん。ベイエリアは色んな発想が飛び交う場所というイメージもあります。
自分の専門分野について 日本で長くスイミングのインストラクターをしていたので、教えてほしいと言われれば、友達の子供や大人の指導をしています。アメリカではスイミングクラスに初めて行って、いきなりプールに放り込まれることも良くあるようで、トラウマになった子もいます。水が怖くてプールに入らなかった子や、泳げなかった子が泳げるようになって自信がついた時の笑顔を見ると、教える機会をいただいたことに感謝でいっぱいになります。多くの子供と関わることは、2人の娘の子育ての勉強にもなっています。もう一つは両親の店でカレー専門店「Muracci's Japanese Curry & Grill」経営の手伝いです。両親は日本でも食品関係の自営業を営んでいました。母は昔から料理がとても好きでフードコンサルタントでもあるので、2年に1度ナパで開催される、鉄人・森本シェフやフレンチの坂井シェフなども参加する大きなフードショーで、ベイエリアの日系フードディストリビューターを代表してプレゼンテーションしたこともあるんですよ。私は母とは逆で料理のセンスもテクニックもなかったのですが、業務を手伝っているうちに料理が大好きになりました。
その道に進むきっかけ 水泳を始めたのは6歳から、結構遅い方だと思います。10歳で育成クラス、11歳で競泳クラスに進みました。シンクロの選手としてやっていくかどうか迷った末に競泳を選びました。競泳クラスに進んでからは毎日休みなく泳ぐ日が続き、多い時は1日10キロ泳ぐ時もあり、泣きながら練習していたのを覚えています。競泳は高校卒業まで続けて、卒業した年の春からそのままアルバイトでインストラクターを始めて今に至ります。日本で教え始めてから今まで教えた子供の数は300人以上になると思います。
英語で仕事をする事 渡米当初は全く英語が話せなくて、コミュニケーションに苦労したのを覚えています。特に電話でのやり取りがイヤでした。仕事をしているおかげで英語力が随分伸びたと思います。逆に日本語を話せないレストランの従業員が一生懸命勉強して、数年でコミュニケーションが取れるぐらいまで話せるようになるのを見ると、一緒に働いていてうれしく思います。
英語で失敗したエピソード いまだに発音を聞き取ってもらえない時があります。特にRの発音。名字がラミレスなんですが、理解してもらえないことが多々あります(笑)。
英語が100パーセントネイティブだったらどんな仕事に? セラピスト。水泳やレストランでの関わりの中で、助けを求めているなと思う大人や子供に会いましたが、言葉の問題や、その道のプロではないこともあって、何もしてあげられないことを心苦しく思ったことがあるので。
あなたにとっての仕事とは 好きなことを仕事として、仕事を通じて関わる人たちと共に成長すること。相手にもプラスになるように心がけています。
生まれて初めてなりたいと思った職業 小さいころは本当に水泳が好きだったので、オリンピック選手。
今の仕事についていなかったら きっとフラフラ適当に生きていたと思います。
最近日本に戻って驚いた事 日本に住んでいる時によく行っていた大阪の梅田駅周辺に、大きくてモダンなビルが立ち並んでいたこと。
睡眠時間、起床時間、就寝時間 大体8時間です。午前6時半には起床、午後10時半ごろに就寝します。
休日の過ごし方 家族で出かけたり、娘たちのお友達の家族と過ごすことも多いです。日曜はレッドウッドシティにある日本人教会に行きます。出かけないときは家で料理するのも好きです。
好きな場所 ゴールデンゲートブリッジを渡ってすぐのところにある、Bay Area Discovery Museum。そこから見えるサンフランシスコや、下から見上げるゴールデンゲートブリッジはとても綺麗です。
最もお気に入りのレストラン モントレーに向かう途中、モスランディングという小さな街にある、「Phil's Fish Market」というチョッピーノで有名なお店。数年前にケーブルTV局のフードネットワークでも紹介されていました。
よく利用する日本食レストラン 旦那がラーメンが好きで、サンノゼの「Kumakoラーメン」や、ミツワ内の「山頭火」に行きます。後は「Sushi Maru」も好きです。
1億円あたったとしてその使い道 家が欲しいです。でも全額は使わずに、一部は日本国際飢餓対策を支援するNPO「Ainote International」に寄付します。
日本に帰る頻度 3年か5年に一度くらい。
日本に持っていくお土産 カリフォルニア産のワインやオリーブオイル、コーヒー、パンケーキミックス。Trader Joe’sやWhole Foodsのエコバックも喜ばれます。
日本からベイエリアに持って帰ってくる物 食料品が多いです。特にだしパックなどは軽くて荷物にならないので。
現在のベイエリアで不便に感じる事 交通機関が不便だと思います。アメリカに来た当初は車もなかったので、バスや電車をよく利用してましたが、時間通りに来なかったり、どこで降りてよいか分からないことがしょっちゅうでした。
現在のベイエリアに不安を感じる事 不動産の高騰化で、ホームレスになる人や貧困に苦しむ人が増えそうなこと。
日本に郷愁を感じる時 春の桜や、秋の夕暮れ時にふと懐かしく感じることがあります。
オススメの観光地 やっぱりサンフランシスコです。サウサリートやティブロンもお勧めです。ラスベガスも楽しい雰囲気で日本から来た人に喜んでもらえます。
5年後の自分に期待する事 今より娘たちも少し大きくなって時間ができていそうなので、学校に戻ってもう一度勉強できれば理想です。
最近読んだ本 非営利団体ハンドインハンド・ペアレンティングのファウンダー、パティー・ウィフラー著の『Listen』。もう一冊は、UCLA医科大学精神科臨床教授のダニエル・シーゲル著の『The Whole Brain Child』。
最も印象に残っている映画 ラッセ・ハルストレム監督の『What's Eating Gilbert grape』。当時好きだったジュリエット・ルイスが主演だったのもあります。彼女の自然体な感じがすごく好きでした。
自分を動物に例えるなら 申年だから猿? 昔は猿っぽいってよく言われた気がします・・・。
座右の銘 マザー・テレサの言葉「Spread love everywhere you go, let no one ever come to you without leaving happier.」。見返りを求めて何かをするのではなく、常に100%の愛情をもって人と接することを心がけています。娘たちにもいつか思いが伝わって、自分たちが受けた愛情を人に分け与えることの出来る人間に成長して欲しいと願っています。