ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年 1964年、23歳の時に農業実習生として渡米してきました。1年間の実習期間中に妻と知り合いました。妻は両親と4姉妹を戦災で亡くして兄と岡山に疎開。頼りにする兄も病気で亡くなり、遠い親戚のいるアメリカへ養女として15歳の時に渡米してきました。逆境に負けず、一家の中心となって農業を営み頑張っている妻の姿に感動し、1年間の実習生活を終えて日本に帰国後、翌年の1965年に再渡米して結婚しました。
ベイエリアの印象 ベイエリアが私にとって初めてのアメリカでした。日本と違って雄大な自然と広大な土地を有しているというのが第一印象です。渡米当初はこちらに住むと思ってもいませんでしたが、幼い頃に暮らしていた満州も同じく広大だったので憧れを持っていたのかもしれません。気がつけば在米54年です。
専門分野と仕事について 農業でしょうか。渡米当初は、農業を営んでいました。自分の土地を購入しましたが、日本で培ってきた農業経営とは根本的に異なっていたことに加えて、農業生産市場も日本のようにオークション方式ではなく、ネゴシエーション方式であったためとても苦労しました。最盛期の収穫時期などは、生産者は品物の良し悪しで売るのではなく、これまでの取引履歴を重点に売るため、私のような新参者は相手にされませんでした。最後に回ってくるのは、買い手が見つからず捨てざるを得ない品物です。その結果、経営がおもわしくない状況になり、農業を断念しなければならなくなりました。その後、友人の紹介で日系の造園家のもとに就職しました。しかし、単に人の下で働くことに満足できませんでした。「どうすれば経営者になることが出来るのか」と考え、調べていくなかで、取得しなければならない資格があることを知りました。その資格を取得するために夜学や専門学校に通いましたが、当たり前のことながらすべて英語で勉強しなければなりませんでした。私の英語力は学校での読み書きから培ったものではなく、会話で覚えた英語であったため、アメリカ人の友人に協力してもらいました。資格の取得に必要なさまざまな課題をこなし、試験に望みました。3度目の挑戦でようやく資格を取得することができたのです。
1976年に造園会社を創立しました。創立当初は、新しく建設された家に訪問して仕事を獲得しましたが、英語のハンデで10件のうち1件を契約できれば上出来だったくらい、一番苦労した時期でもありました。「3年間は金儲けより良い仕事をして、名前を覚えてもらう」と心に決めて仕事しました。それが功を表し3年後には、顧客の紹介や近所の家からの注文で自ら訪問をすることなく仕事が入りました。そして顧客の多いベイエリアに移住し、5年後には従業員30人の会社に成長しました。ベイエリア地区の造園組合に所属し、役員に推薦され会長職も歴任してようやく英語社会にも馴染み、元フットボール選手のジョー・モンタナ 、歌手のバニー・レイト、ニォー・ヤング、オラクル共同創業者のラリー・エリソンなど多くの有名人の庭園を手がけるようになりました。
功績について 1989年カリフォルニア造園組合の最優秀会員として表彰されました。また、1990年に造った庭がカリフォルニア州で1番の庭に選ばれ、1999年には大日本農会より緑白綬有功章をいただきました。
現在の暮らし いろいろと苦労をしてきましたが、4人の子供に恵まれました。長男、長女、次女が大学の園芸課を卒業し、長男は造園設計者として、長女と次女は会社を手伝ってくれました。子供たちはそれぞれに結婚し、現在9人の孫に囲まれています。2012年にリタイアを決め、日本庭園を主に造っていた造園だったので子供たちでは日本の経験もなかったため、惜しまれながらも西沢造園を閉めました。現在は私が造った庭をメインに、造園管理の仕事を孫と取り組んでいます。孫に日本庭園のすばらしさを知ってもらえたらと毎日一緒に励んでいます。
英語で仕事をするということ 経営者になるために必要な資格を取得するために、ネイティブの友人に協力してもらい勉強しました。友人に教科書を読んでもらい、テープに録音し、そのテープを仕事の行き帰りに聞くなどし、頭ではなく耳からの英語を聞いて勉強しました。
生まれて初めてなりたいと思った職業 子供の頃からお百姓に憧れを持っていたので、農業をやりたいと思っていました。アメリカでの生活を通して感じたことは、目標に向かってひたむきに努力すれば成長し続けていけるということです。アメリカは日本のように障害がないように思います。
英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に? アメリカで生まれ、英語がネイティブだったら野球選手になりたかったです。
現在、住んでいる家 イーストベイのコントラコスタ・カウンティに住んでいます。空が広く、街も一望できます。
乗っている車 トヨタがずっと好きで、トヨタ車ばかり乗っています。プライベートではトヨタのハイランダー、仕事ではトヨタのツンドラです。トヨタ車は丈夫で長持ちするのが魅力です。
睡眠時間・起床時間・就寝時間 仕事が始まるのが7時頃なので、起床時間はいつも5時半です。仕事を終えて2時頃に帰宅し、1時間お昼寝をします。その後は、次の日の仕事の準備や夕食、ニュースを読んだり、テレビを見たりで、就寝時間はだいたい11時頃です。私の健康の秘訣はお昼寝です。
休日の過ごし方 週末は孫たちの部活の応援や、趣味に時間を費やしたりしています。趣味は盆栽、詩吟、水石、木工です。また、空いている時間には、今までお世話になった日系社会に少しでも還元したいという思いから、北加日米会、モラロジー、捧誠会、盆栽会、造園組合、県人会などの日系団体の幹部役員として活動しています。桜祭りでは、北加日米会でお茶会を企画しているほか、JCCCNC会館で盆栽と水石の展示会も行います。
好きな場所 マウントディアブロです。雄大な山々の景色がとても綺麗です。水石をやっているので、石を拾いに行ったりしています。
日本に戻る頻度 昔は、年に2〜3回日本に戻っていましたが、最近は3年に1回くらいです。昨年7月には、子供、孫含め家族19人を連れて日本に旅行しました。主な目的は私が育った日本を見てもらうためでした。日本にいる私の親類縁者との交流を図り、いつの日かお互いが行き来して親交を深めていってほしいです。今では孫たちも日本に興味を持ち、学校で日本語を専攻するようになるなど、少しでも役に立ったと感じとても嬉しく思っています。
最近日本に戻って驚いたこと 外国人旅行者が増えたことに驚きました。昔まではなかったような光景です。電車に乗ってもどこに行っても外国人旅行者がいます。
現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき 交通量の多さです。アメリカは車がないとどこに行くにも不便なので、交通機関が発達して少しでも渋滞が改善されたらいいなと思います。その点、日本の交通機関は優れていて便利ですね。
5年後の自分に期待すること
昨年より北加日米会の会長として、北加日米会にあるお茶室を最大限に利用することに尽力しています。先人が北加日系社会に残してくれた伝統文化を引き継いぎたいという想いで取り組んでいます。5年後かは分かりませんが、遠い将来に孫たちが「おじいちゃんはこのようなところでも活躍していたのか」と言ってもらえるようになりたいと思っています。
座右の銘 「人事を尽くして天命を待つ」。自分の力でできる限りのことはやって、結果は天の意思に任せるということです。