ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年 1999年に夫と共にベイエリアに引っ越してきました。それ以前はふたりが同じ地域に住めない時期が長かったので、同居できることと、前からの夢だったカリフォルニアで生活することを条件に仕事を探したところ、彼はリバモアでわたしはオークランドに転職することが出来ました。それがきっかけでこちらに住むことになりました。初めて渡米したのは1980年代で、大学に留学するためでした。
ベイエリアの印象 気候と自然に恵まれ、社会・文化も多様で、日本人にとっても住みやすい所です。オークランドに引っ越してきてすぐにスーパーに買い物に行って、客も店員も人種が多様なだけでなく一人ひとり個性豊かで、夫と一緒に感動しました。しばらくはオークランドやバークレーを歩きながら人間観察をして、ベイエリアに移住してきたことを実感していました。
自分の専門分野について ベイエリアでは政策評価研究の仕事に携わってきました。評価とは、公的機関などのプログラムや政策が意図どおり履行されたかどうか、またその目的が何なのかを調査したり、実際に効果をもたらしたのかを実証する仕事です。これまで、データの収集、統計解析、研究プロジェクトのデザインやマネジメントなど、評価研究のあらゆる側面に関わってきました。
その道に進むことになったきっかけ 大学で経済学を専攻しましたが、実社会に役に立つ学問なのだろうかと疑問を感じていた時期がありました。しかし大学院時代の恩師が、自分も同じように考えたこともあったが、経済学は社会変革のために活用できるツールだよ、と可能性を示してくださったことで迷いが消えました。
英語で仕事をするということ 仕事では、議論したり人前で発表したりすることが少なくないので、話す力が必要とされます。でも私自身は英語で話すのは苦手です。以前は人を説得するには綺麗な発音だとか流暢さが必要だと思ってました。しかし最近は仕事に差し支えがないほどのレベルに到達すれば、あとは流暢さより度胸や態度が物を言うと気づきました。今でも相変わらず下手な英語を喋っていますが、あまり気にしなくなりました。
また、仕事上書くことも多いです。書くことでは、ネイティブでないことがプラスになる時もあります。整理されていない考えを漠然とした表現で誤魔化すことが英語では上手く出来ないので、伝えたいことを明確にすることを強いられます。結果的に第二言語ということが文章作成に役だっていると思います。
英語で失敗したエピソード タイピングがとても下手です。打ち間違えがとても多くてスペルチェッカーに頼っています。でも、打ち間違っていても実際に存在する言葉だとスペルチェッカーにも見逃され、恥ずかしい思いをすることが少なくありません。以前 「public policy」と打ったつもりで 「pubic policy」と打ち間違ってしまい大笑いされました。
英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に? 大学時代、一番興味があったのは心理学でしたが、教授からあなたの英語力ではこのクラスは無理だと言われ、めげて諦めてしまいました。あのころ英語がネイティブだったら、心理学を専攻し、心理学者やカウンセラーの仕事についてかもしれないですね。
あなたにとって仕事とは? 仕事の意味は、人生のステージや状況によって変わっていくものだと思います。私は昨年までの18年間、民間の研究コンサルタント会社で、教育・社会保障をはじめ多分野において第三者の立場から評価研究をしてきました。専門知識・技術を生かし磨くことが出来てとても充実した職場でした。その一方、コンサルという職業柄、長時間労働で仕事に追われる毎日で、自分の健康維持や家族との時間を大切にするのが難しく感じるようになっていました。昨年の末、心機一転して、スタートアップのノンプロフィットに転職しました。このノンプロフィット(Upstream USA)は、妊娠する意図のない女性が、知識に基づき自分に合う避妊のメソッドを自由に選択できる医療環境の実現を目指しており、医療機関に対して技術と事務面のサポートを提供しています。私自身の仕事は評価研究ですが、以前と違い、第三者の研究者としてではなく組織の一員の立場から積極的に女性の生活向上に繋がるプログラム作りに参加できる事にやりがいを感じています。またパートタイムで責任の少ないポジションに切り替えたので、以前よりバランスがとれた生活ができるようになりました。現在は新しい仕事にしっかりと取組みながら、長期的に自分が進みたい方向を模索しています。
近所にあるお勧めの穴場スポット Mountain View Cemetery。墓場ですが、湿っぽくもないし怖い感じでもありません。公園みたいな感じです。近所の人が犬の散歩やジョギングに訪れます。サンフランシスコ湾が一望で、ローカルの著名人のお墓もありベイエリアの歴史を感じることができます。ジュリア・モーガンがデザインしたチャイムズチャペル(納骨堂)が隣接していおり、ミシュランの2つ星レストランなどもあるピードモント通りの近くです。オークランドに用事があったついでに立ち寄るのに悪くない、ローカルな穴場です。
今まで旅した国で最も印象に残るのは? 世界銀行に勤務していた時代、最初に訪れたパキスタン、また担当の国となったタンザニアの印象が強く残っています。貧困問題の深さ複雑さを痛感するとともに、風土や文化の違いを通じて世界の壮大さを身に染みて知りました。
永住したい都市 仙台。育ったわけではありませんが、実家が仙台にあります。帰る度、住みやすい街だと実感しています。仙台の夏はベイエリアよりは暑いけど、何とか耐えられます。また冬寒くなりますが、大雪や極寒に見舞われることはほとんどなく、日本の中では、過ごしやすい方だと思います。山や海が両方近く自然に恵まれています。その一方で、東北一の文化・商業の中心地で、何でもあります。交通至便で、飛行機や新幹線で東京や海外にも出やすいです。温泉も近いし食べ物も美味しいし、なにより家族がいるので住むなら仙台がいいなと思います。
最近買ってよかったもの スマホ。昨年末に初めてスマホを使い始めました。スマホが、こんなに便利なものだとは思っていませんでした。
今熱中していること 新しい日本のミュージシャンをみつけてスマホでストリームすること。ここ30年ほど日本の音楽を聴くことがなかったので、毎日新しい発見があって嬉しいです。また写真をよく撮るようになりました。手軽にいつでも写真が撮れてすぐにシェア出来るのがいいですね。
最も印象に残っている映画 『となりのトトロ』。中学生のころからのアニメファンで、とくに宮崎駿監督の作品はみんな好きです。トトロは観る人の心を優しくさせてくれる名作だと思います。
最も元気になれる音楽 久石譲の『Summer』。
座右の銘は? Yesterday is gone. Tomorrow has not yet come. We have only today. Let us begin. (マザーテレサ)
自分はすっかりアメリカの住人だなと思う瞬間 電車やバスがスケジュール通りにくることを全く期待しなくなっている自分に気づくとき。
自分はやっぱり日本が好きだなと思う瞬間 世界選手権、オリンピック、ワールドカップ等国別対抗のスポーツで、日本と他の国との試合では、必ず日本を熱く応援してしまいます。そういう時は、やっぱり自分は日本が好きなんだと思います。