一般編  Vol.262
葛西 陸奥夫さん
大学を最低の成績ながら何とか4年で卒業し、その卒業の1カ月半後に同じ大学の彼女と結婚。仕方なく家業の柔道着・空手着の輸出を手掛けることとなり、4年間アメリカ、カナダ、特にヨーロッパ中を飛び回る。26歳で女房と当時2歳の長女を引き連れてアメリカに移住。
日本の武道を学ぶべし
世界中を駆け巡り柔道着・空手着の輸出を手掛けた葛西さん。現在は、リタイアしナパで暮らしながら、趣味の詩吟や居合い、茶道を楽しんでいる。柔道着・空手着の輸出を通して多くの選手たちのサポートをしてきた葛西さんにベイエリアの暮らしぶりについて聞きました。
葛西 陸奥夫さん

(Mutsuo Kasai )BaySpo 1545号(2018/07/06)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 アメリカに移住する前に5〜6回、商用ビザで全米を飛び回ったことがありました。26歳の時に運命の悪戯とも言える悪縁に導かれ、本格的にL|1ビザを取得。1975年にニューヨーク州バッファロー市にて、日本から主に柔道・空手着の輸入販売を生業とする超零細企業を設立しました。しかしニューヨークの冬季は、日本の本州名古屋から来た人間にとって想像を絶する寒さで、3年で逃げ出し、思い切って気候の良い新天地を求めベイエリアにやってきました。

ベイエリアの印象
 最初下見に訪れたのは真冬の2月でしたが、空がどこまでも蒼く透き通るように明るく、湾や野山もそして家並みなど、すべてのものが一斉に輝いて見えたのが大変印象的でした。

自分の専門分野について
 日本でもアメリカでもさまざまな分野の商品の輸出入を取り扱いましたが、基本的には日本や台湾、パキスタンから武道関係の稽古着や武器を輸入し、アメリカ国内やカナダへ販売していました。しかし何十年も同じことをしているうちにそれにも飽きてしまい、ついに5年前にリタイアしました。

その道に進むことになったきっかけ
 大学時代の4年間は毎日パチンコとマージャンと武道に明け暮れ、お陰で成績は4年間を通じ下の下の下。しかしながら卒業間近の最後の試験だけは、それまでの生涯のうちで初めての蛮勇をふるって10日間ぶっ通しで徹夜で勉学に励み、何とかギリギリ卒業必要最低単位だけの試験を全科目パスすることが出来ました。

英語で仕事をするということ
 大学を出てからアメリカへ移住する前の4年間は、柔道・空手着の売り込みにヨーロッパ中を20回以上飛び回りました。英語を母国語とするイギリスやアイルランドを除いたヨーロッパ圏の人々にとっての英語は、日本人にとっても同様に外国語です。イタリア人、フランス人、ドイツ人などとは互いに同程度の英語力の会話で、必要に迫られた価格、船積み時期、それと支払い条件などにさえ注意を払っておけば、万事上手くいきました。

あなたにとって仕事とは?
 金儲けと同時に「弱き者の味方であり、その弱き者たちを強き者たちに変身させる助け人である」。具体的にはイジメられっ子のお父さんやお母さんに日本の武道道場を紹介し、半年〜1年が過ぎた頃「お陰様で我が子が全くイジメられなくなったし、精神的にも大変強くなった」と非常に感謝された経験が数え切れないほどありました。まさにハリウッド映画『ザ・カラテキッド』のような話です。「イジメられっ子は、皆日本の武道を学ぶべし」と、昔日本のイジメ問題の教育者に進言したことがありますが全く取り合ってくれませんでした。コトの解決は実に簡単なことなのに…と今でも心底思っています。日本の全ての武道には技やその強さを競ったり誇ったりするだけでなく、その底辺には必ずサムライとしての武士道精神が脈々と流れています。必ず礼に始まり、礼に終わる。弱い者イジメは決してしない。嘘は決して付かない。友に対しては信義を貫く。他からの見返りを求めない。優しくて力持ち。世界中のイジメられっ子の泣き虫連中よ! 「日本の武道を学ぶべし!」強く、逞しく、そして心優しい人間になりましょう。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 小〜中学生にかけての頃、お姉さんが世界中を飛び回って色々な国々を紹介するテレビ番組、「兼高かおる世界の旅」がありました。海外の様子が観れるのが面白く、当時その番組だけはいつも食い入るように観ていました。そして子供心に、「飛行機は高そうで無理だけど、大きくなったら外国航路か遠洋漁業の船乗りになってタダで世界中を見て周ろう」などとよく夢想していました。

現在、住んでいる家
 ナパの山奥での隠遁生活を送っています。ガレージの裏手に自分で十年の歳月をかけて三畳台目の草庵茶室を造りました。茶室といっても茶を点てるのは数えるほどしかなく、友人と酒を酌み交わす方がはるかに多いです。昨年10月初旬に発生したナパ・ソノマの大規模な山火事で何もかも焼失したものと完全に諦めていましたが、消防隊の決死の尽力と風向きが変わったお陰で我が家一帯だけがギリギリ炎との境界線で、延焼を免れました。この世にはミラクルっていうものが本当に起こることがあるんですね。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 睡眠時間は夕方のゴロ寝も含めて7〜8時間くらい。リタイアしてからの起床時間は、朝早く起きる必要もなく、午前10時から11時の間です。就寝時間は午前4時頃。小さい頃からの夜型というか、夜中型人間です。

休日の過ごし方
 リタイアしているので毎日が日曜日というか休日です。しかし、この毎日が暇かと思えば案に反して結構忙しく、薪ストーブの煙突掃除から始まり、雑草刈り、デッキのペンキ塗りやら家の補修、さらには来冬の薪ストーブに備えて枯れ木の伐採や薪割り云々と雑務が一年中続きます。趣味として詩吟、居合い、茶道をやっています。

好きな場所
 普段は山の中に住んでいるので時々海が無性に見たくなります。年に1度くらいシーランチの貸別荘へ行き、潮騒を聴きながら3〜4日過ごすのが好きです。

最もお気に入りのレストラン
 ヨントビルにある「ビストロ・ジャンティ」。ここのレストランのトマトスープは絶品!

よく利用する日本食レストラン
 最近はデイビスにある「ミクニ・ジャパニーズレストラン&スシバー」。

日本に戻る頻度
 中学〜高校生時代を思い起こせば、まるで恒例のようにお袋が毎週学校に呼び出され、どの学年の担任からは決まり文句のように、「御宅の息子は全く反省の色が無い!」などと、自分に代わって散々に叱られっぱなしでした。お袋に対してはそういった負い目もあり、年に最低2度はワインとチョコレートを土産に日本へ帰っています。自分の胸の内ではお袋に対し、今頃になって精一杯懺悔しているつもりです…。
日本に持って行くお土産
 ナパ、ソノマのワインやウイスキー、ゴディバのチョコレートです。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 各種のお菓子類、麺類、漬物、抹茶、煎茶、きし麺、八丁味噌など。

永住したい都市
 日本でなら気候が温暖で富士山が見え、海も山も身近にある伊豆半島の小さな村です。現地まで数回下調べに行きましたが最終的に全家族の猛反対に遭い、移住計画は断念しました。

5年後の自分に期待すること
 孫たちにとっていざとなった時に頼りになるお爺ちゃんであることです。

最も印象に残っている本
 印象に残っている本というより好きな作家は、司馬遼太郎、山本周五郎、池波正太郎、海音寺潮五郎、藤沢周平などで、彼らの著作はどれも好きでほとんど読み尽くしました。

最も印象に残っている映画
 『大脱走』『俺たちに明日は無い』『荒野の七人』『七人の侍』『荒野の1ドル銀貨』『ノルマンディー上陸作戦』『新選組血風録』『沖田総司』『切腹』『壬生義士伝』『ハックソーリッジ』『硫黄島からの手紙』など。観ているうちに全身を巡る血液がフツフツと沸騰し出し、心臓がパックンパックンしてくる映画です。

座右の銘は?
 「乾坤一擲」。「風林火山」。

(BaySpo 2018/07/06号 掲載)

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