ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年 1983年に研究員としてボストンに渡米してきました。最初にベイエリアに来たのは1989年です。その頃は、ペンシルベニア大学でガン免疫の研究をしていました。当時、パロアルトのガンハイスクールの丘側にシンテックスという製薬企業があり、その製薬企業の顧問になったことがきっかけで、ベイエリアに頻繁に来るようになりました。その後、ペンシルベニア大学の研究室をクローズして、この製薬企業に入ることになりました。 その数年後、英国ベースの製薬企業に入ってからも、ベイエリアの数社のベンチャー企業の買収交渉で、毎月ベイエリアに来ていました。また、2000年東京で起業、上場後は、この企業のアメリカ支社のオフィスをフォスターシティでオープンしたので、さらに頻繁に東京からベイエリアに通っていました。このようにベイエリアが、自分にとって第2の故郷になりましたので、2013年に上場企業の社長を引退したのちは、こちらで定住することにしました。
ベイエリアの印象
ペンシルベニアに住んでいた頃、真冬の大雪の中からベイエリアを訪れる度に、こちらの気候を肌に感じて、ここは天国だと思いました。気候以上に驚いたことは、イノベーションが生まれるエネルギーの体験です。1990年当時、身近でスタートアップを肌身で感じることは無かったのですが、当時のベイエリアでは、日本や東海岸ではあまり見たことのない、スタートアップ(ベンチャー企業)が次々と生まれる独特な文化を目の前で見ることが出来ました。製薬企業のシニアマネージメントの多くが大企業をやめて、スタートアップを始めていました。ジェネンテック、アムジェンがまだ小さな企業だった頃です。世界の他の地域では体験できない、イノベーションを事業化する大きなエネルギーを、ベイエリアで体験することが出来ました。ここでの貴重な体験が、その数年後、自分自身での東京での起業、そして上場につながったように思います。すばらしい体験でした。
自分の専門分野について 医学・ガン免疫研究・製薬研究・ゲノム研究・医療制度などです。一つのことを極めることはできませんでしたが、ガン免疫の研究を行っていたお陰で、日本人としてノーベル賞を受賞されたMITの利根川先生とは共著の論文を出すこともできました。同じくノーベル賞をつい最近受賞された本庶先生とは、若い頃学会を抜け出してドライブに連れていただいたり、いろいろな交流を通じて沢山勉強させていただく機会を持つことができました。
その道に進むことになったきっかけ 父が若くして癌で亡くなったことがきっかけで医師になりたいと思いました。医学部入学後は基礎研究での発見が難病治療などに貢献するのを目の当たりにし基礎研究に興味をもちました。医学生時代に研究に関わらせていただいたお陰で、医学部を卒業する前にアメリカの大学からスカラーシップを出していただけることになり、医師国家試験合格直後、まわりの反対を押し切って渡米し、ボストンで研究員になったことがアメリカ生活と今の職業の始まりです。
英語で仕事をするということ 英語は常にハンデを感じています。そのハンデは、いつも仕事の内容でカバーするように頑張ってきました。少しでもネイティブの発音に近づくことができるように、英語のレッスンを受けたりもしています。
あなたにとって仕事とは? 人生へのチャレンジだと思っています。何かを達成した時の喜びは、生きがいを感じます。これからもずっと仕事をやっていきたいです。
生まれて初めてなりたいと思った職業 小学生の低学年の時に、父親ががんになり苦しんで亡くなっていくのを目のあたりにし、医者になりたいと思い、医学部を目指しました。
いまの仕事に就いていなかったら 次はフィンテック関連医療分野、もしくは保険関連医療分野のスタートアップをやりたいと思っています。
睡眠時間・起床時間・就寝時間 朝はなるべく早く起きて、夜寝ている間に受け取ったアジアからのメールに返事をして、1日が始まります。夜はなるべく早く眠るようにしていますが、アジア圏の人たちとチャットをしているので、遅くなることもあります。
休日の過ごし方 平日より早く起きて、ほとんど仕事しています。気分転換に走るかジムに行ったりして体を動かします。もし一日中、好きなように過ごせるなら、一日中ジムにいると思います。 今は無理ですが、数日休みが取れたら、海に行きたいです。
好きな場所 きれいな空や海があり美味しい食べ物がある、メキシコのロスカボスとイタリアです。 南イタリアは頻繁に行っていましたので、時間が出来たらまずは一番にシシリー島に渡ってタオルミーナでゆっくりしたり、美しい海岸線をドライブしたり、レッチェからバーリ界隈で食べ歩きたいです。 日本では東京に居た時に住んでいた青山と麻布十番が大好きです。
最もお気に入りのレストラン とにかく外食が好きで、ジャンルを問わずいろいろなレストランに行くのが好きです。東京で上場企業の社長だった頃は接待をお断りして、毎晩いろんなレストランに行っていました。東京の馴染みのお店には、日本に帰るたびに行きたいのですが、最近は短期滞在のことが多く時間に制限があり、なかなか思うように訪ねていけないので、「次回は必ず!」とオーナーに連絡しておくことが多くなり、残念です。
日本に戻る頻度 月に最低一度は行きます。 最近は特に短期で往復することが多いので、日本を訪問しているという感覚が乏しくて、日本の空港到着後すぐに会議を始めて、そのまま連続して予定している会議を行い、それが終わったころにはもう帰国便に乗っている、という感じです。
最近日本に戻って驚いたこと よく歩くことです。何も特別な運動をしていないのにフィットビットが1万歩のお祝いをしてくれます。先月と先々月にサクッと日本に戻りましたが、いずれも台風の影響を受けました。夜中には地震警報で起こされました。日本は災害の国だったことを、改めて認識しましたね。
;永住したい都市
今の住まいなら、ここで永住しても良いと思っています。ただ、雨の多い冬の間だけは南の国で住むのも良いかな、とも思っています。
5年後の自分に期待すること 次のスタートアップでは、英語がもっとうまくなっていて、自分でピッチができるようになっていることを期待しています。他にはもう少し早く走れるようになること。もう少し体を引き締めたいです。