一般編  Vol.279
ミード ヒロミさん
米国にてMEd(Master of Education)モンテッソーリ教育のスペシャリストの資格、モンテッソーリAMI国際免許、カリフォルニア幼児教育資格を取得。専門はポジティブな躾学。モンテッソーリ教育に基づき「No」と言わない教育学を親に教える。現在北カリフォルニアで唯一の公立モンテッソーリ学校にて教鞭をとる。日本、米国のカレッジにて幼児教育の講義を行うほか、カリスマ教師の称号を受けカリフォルニアのカレッジにてゲストスピーカーとしてモンテッソーリ幼児教育の倫理について講義を行う。
子供たちの未来を一緒に考えたい
米国にてMEd(Master of Education)モンテッソーリ教育のスペシャリストの資格、モンテッソーリAMI国際免許、カリフォルニア幼児教育資格を保有しているMeadさん。現在北カリフォルニアで唯一の公立モンテッソーリ学校にて教鞭をとるMeadさんにベイエリアの暮らしぶりを伺いました。
ミード ヒロミさん

(Hiromi Mead)BaySpo 1571号(2019/01/04)掲載

ベイエリアに渡米してくる前
 大学時代は体育会ヨット部に所属していて、現役をほぼ引退した時からヨット部時代の親友とヤマハ・ジュニア・ヨットスクールのコーチを引き受けました。就職後も週末の練習や有給休暇には合宿へ参加するなど、子供たちと先輩コーチと共に過ごしていた時間が多かったです。約1年間、就職活動を全くせずにコーチの仕事や、社会性に欠ける子供たちにスポーツを通して協調性を身に着けてもらうことを目的に活動する非営利団体が組織するグループのリーダー、マーケットでの試供品の売り子、冬は山にこもりスキー宿でのアルバイトなど、就職が決まるまでフラフラしていましたね。日本の大学を卒業したのち、ベルリン銀行とフランクフルト商業銀行が合併してBHF(Berliner Hundeles Frankfurter Bank)東京支店を開設した際の1期生として採用されました。受付からはじまり、ディーリングルームのバックオフィス業務を担当し、気性の荒いディーラーたちに右往左往していましたね。2年間BHFで働いた後、汽船会社、運輸業などでアルバイトをしながら、以前からやっていたジャズダンス、エアロビクスに本格的に取り組むようになりました。1987年にUCサンタバーバラに聴講生としてこちらに来るまでは人生を模索していました。

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 ベイエリアに住むことになったのは、大学の学費の月謝が滞っていたため、資金稼ぎをするためにサンタバーバラからサンフランシスコに上京したことがきっかけです。サンフランシスコに来てからベビーシッターの公募を見つけ、ベビーシッターをはじめました。そのオーナーがツアーガイドの仕事をしていたので、オーナーの紹介でツアーの仕事をはじめることになりました。当時はバブルの最盛期で、日本人にとってカリフォルニアは最も人気のある観光地でしたね。ユニオン・スクエアのブランド店にバスが列をなし、懐に札束を入れた農協の団体さんや有閑マダム、会社員や修学旅行生など、老若男女と問わずあらゆる方々でサンフランシスコの街が賑わっていました。市内観光、モントレー・カーメル、ヨセミテ1日観光、ナイトツアーと、朝から晩まで動き回っていました。その時に今の主人と出会い、大学での勉強を終えて日本に帰国しましたが、1989年に再びベイエリアに戻ってきました。

ベイエリアの印象
 ベイエリアでの最初のアルバイトはダウンタウンの古着屋での仕事でした。暗い地下のガレージで1枚1ドルにもならない古着にアイロンをかけたりと、悲惨なアルバイトを経て、やっと一人暮らしができるようになった学生の頃には大家に全財産を乗っ取られたり…。ベイエリアに来たばかりの頃は苦い経験をたくさんしたので、あまり良い印象はありませんでした。

自分の専門分野について
 19世紀前半に注目を受けたモンテッソーリ女医の教育哲学を継承したモンテッソーリ教育です。子供の感覚機能を重視した教材を使用し全8教科(日常生活の練習、感覚重視教育、言語、数学、地理、科学、文化、道徳)を子供の成長に合わせて教えていく、独立心、責任感、そしてグローバルな思考能力を育てる教育システムです。

その道に進むことに
なったきっかけ
 息子のプリスクールを探している時にモンテッソーリの学校見学に行き、校長先生にスカウトされた形でこの道に入りました。モンテッソーリ教師になるのには資格が必要で、先生になるために仕事と子育てを両立しながら学校に通いました。複数の学校に数年かけて通い、マスターを取得しました。

英語で仕事をするということ
 普段は日本語を話す環境にいないので、英語を使っているという意識があまりありません。教室内では日本人の親御さんとも英語ベースで会話をしています。

英語で失敗したエピソード
 最初に渡米してきた頃は、コミュニケーションが上手く取れないという失敗をしましたね。学生の時に銀行に行って口座を作る際、車の保険に入る際、契約書を受諾する際なんかは特に苦労しました。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 大学の名誉教授、作家、脚本家、脳心理学士でしょうか。

あなたにとって仕事とは?
 子供たちが将来人間として自立し、責任のある行動がとれるよう、また、良き選択ができるような考え方を培っていくお手伝いをすることが私の仕事だと思っています。仕事をしたら仕事に見合った報酬、もしくはそれ以上の収入を得るために普通は仕事をしますよね。一方で、私の仕事は収入を重きにおいては成り立たない商売だと思っています。

現在、住んでいる家
 主人とツアー会社、当地のランド・オペレーター会社を経営していた時に今の家を購入しました。私たちが住んでいるサウス・サンフランシスコは、空港に近く、ダウンタウンにも近い場所です。当時は今と異なり、オフィスビルなんて全くありませんでした。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 睡眠時間は十分ではないですね。生徒たちが登校する時間の少なくとも30分前には学校に到着するようにしていす。終業定時に学校を出られる日はほとんどありません。家に帰宅してからもその日中に片付けなければならない仕事が山ほどあり、夜中まで仕事しています。

休日の過ごし方
 シリコンバレー・ヨット・クラブに所属し、月2回はセーリングをしています。レースにも参加しています。他には、クラシックバレーもやっているので、パフォーマンスがある際には週末の時間を練習に費やします。最近は家庭菜園に凝っていて、アボカドからハーブまでかなりの種類の無農薬野菜を栽培しています。

よく利用する日本食レストラン
 御父兄の経営している寿司店によく行きます。

1億円当たったとして、
その使い道
 世界を旅行したいですね。

最近日本に戻って驚いたこと
 若いお嬢さんのファッションと行動でしょうか。電車の中で平気でお化粧をしているお嬢さんたちに驚きました。

日本に持って行くお土産
 ホワイトニング入りの歯磨き粉や、日本では販売していないマニキュア、栄養価入りのコーンチップスです。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 修理の人を呼んだら、丸1日待っていないといけないことが不便に感じます。他には、日本のように八百屋さんや魚屋さんなどの専門店がないことです。

お勧めの観光地
 アメリカ4大国立公園がお勧めです。

5年後の自分に期待すること
 幼児教育専門家として名声を得ることです。

座右の銘は?
 「前進あるのみ」、「七転び八起き」。

日本に戻る頻度
 毎年1回は必ず帰っています。

好きな場所
 都会です。自然に囲まれた場所も好きです。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 たらこ、すり胡麻、ドレッシングなどです。

乗っている車
 地球にやさしいハイブリッド車です。

日本に郷愁を感じるとき
 父と妹のことを想うときです。

永住したい都市
 歴史のあるヨーロッパのどこかでしょうか。

(BaySpo 2019/01/04号 掲載)

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