一般編  Vol.296
中島 恒久さん
2004年に抽選永住権に当選して日本からベイエリアに移住。キッチンヘルパー、起業、ラスベガスでの演奏、刃物研ぎからホームレス直前までを経験。現在はFujisoft AmericaのCOOであり、ベーシスト。会社としてアメリカ全土でのシステム開発事業の推進と、個人として日本の若者向け教育プログラムの活動も行っている。
世の中を相手取っての真剣勝負
日本にいる時から今もなおプロのベーシストとしても活動を続ける一方で、様々な仕事を経験しながら現在は在米日系企業のCOOとしても活躍する中島さん。グリーンカード当選をきっかけに、今まで一度も足を踏み入れたことがなかったアメリカへ勢いで移住してきました、と話す彼にエネルギッシュな魅力の秘密を伺いました。
中島 恒久さん

(Tsunehisa Nakajima)BaySpo 1599号(2019/07/19)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 2001年の9・11の同時多発テロが発生した時、私は日本に住んでいたのですが「これじゃ誰も抽選永住権に応募しなくなるなぁ」と思い応募してみたところ、当選してしまったので「えいやっ!」と後先考えずに2004年にベイエリアに移住してきました。当時、移住を決めた時にはアメリカについて何も知識がない状態だったのですが、親族に1人だけベイエリアに駐在した経験のある叔父がおり、彼から「とにかくベイエリアは日本人に住みやすい地域。そこでアメリカに慣れてからニューヨークでもニューオリンズでも引っ越せば良い」と言われたのがベイエリアを選んだ理由です。住んでみると、確かに本当に住みやすいなぁ、と思いましたね。ちなみにそれまで日本を出たことがなかったので、初めての海外旅行がベイエリアへの引っ越しとなりました。

自分の専門分野について
 ベーシストという演奏家の自分と、ビジネスパーソンとして組織の起ち上げ、組織運営を専門にしている自分が自意識として共存しています。

その道に進むことになったきっかけ
 21歳の時に日本を代表するベーシストである水野正敏氏に弟子入りし、プロとしてのキャリアを始めました。個人事業主としての自覚は当時からありましたが、渡米後に起業を経験してから「目標を達成するために、どういう組織であるべきか?」という事を考え始めました。それから、組織作り、組織運営を実務を通して試行錯誤し、学びながら今に至っています。

英語で仕事をするということ
 仕事のやり方は言語によって変わるものでは無いと思っています。私は英語ネイティブではありませんので、語彙、表現についてはどうしても制限、限界があります。そのため、日本語を使う時以上に丁寧さを心掛けているかもしれません。出来るだけ誤解が発生しないように、相手と気持ちの良いコミュニケーションを取れるように努力を怠らない様にしています。

英語で失敗したエピソード
 数え上げたらキリが無いですが(笑)渡米後しばらくの間、かなり発音が悪くてThat's usefulと言ったのに、相手にはawfulと聞こえてしまい怒らせたあげく悲しませてしまったことがありました。「全く逆の意味になるのはイカン。これは何とかしなければ…」と心を入れ替えて英語に向き合うキッカケになったエピソードの1つです。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 やっぱり、仕事の本質自体はどの言語を使っていても変わらない筈だと思っています。言葉と言うのは、その人の思いや考えを表すツールでしかないので。私の場合は何語のネイティブだったとしても人と関わり、人を応援し、人を支えて、人と一緒に良い仕事をしていくという道を選ぶだろうな、と思います。

あなたにとって仕事とは?
 世界に自分の居場所を作るために、世の中を相手取っての真剣勝負、ですね。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 水谷豊さんの出ている刑事ドラマの大ファンで、ずっと刑事になりたかったです。

いまの仕事に就いていなかったら
 違う会社にいたとしても今と同じように仲間と共に、良い仕事をしよう! と必死にやっていると思います。

現在、住んでいる家
 サンフランシスコのLower Haightにあるアパートに住んでいます。

乗っている車
 渡米して16年目にして初めて車を所有しない生活を送っています。

休日の過ごし方
 とにかく読書をするのが好きで、カフェを開拓しては本を読んでいます。あと、文章を書くのも好きなので、何かのテキストを書いてます。

好きな場所
 結構な頻度でTwin Peaksには行っている気がします。いつも寒いので景色を見たらすぐに帰りますけど(笑)

最もお気に入りのレストラン
 サンマテオの遊楽にはランチでも、ディナーでも良く行きます。

よく利用する日本食レストラン
 渡米直後にキッチンで働かせてもらっていたBerkeleyのKiralaです。僕のアメリカにおける原点で、とにかく特別なレストランですね。いつ行っても美味しいですし、何より懐かしいし安心します。

1億円当たったとして、その使い道
 自分と相性の良いビジネスをやっている小規模の会社を買って経営します。

日本に戻る頻度
 出張を含めると年に3、4回です。

最近日本に戻って驚いたこと
 街を歩いている人たちに元気が無いように見えるところですね。あと、街で人とぶつかっても一言も謝らないところ。なんだか殺伐としているな、と感じています。

日本に持って行くお土産
 いつもギリギリになってしまうので、空港でギラデリのチョコレートを買って済ますことが多いです(苦笑)

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 Kindle化されていない書籍とかめびし醤油の三年醸造を買って帰ってきます。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 テック産業等に従事している高収入の人達は問題ないのでしょうが、それ以外の産業で働いている庶民にとって既にこのエリアで普通の生活が営めなくなっている状況を全く良いと思っていません。テックがInnovationを推進するのは良いんですが、庶民の生活をDisruptしてどうするの? と思っています。

お勧めの観光地
 ニューオリンズです。いつでも時間が許す限り、飛んでいきたい街です。素晴らしい音楽が街中に溢れ、食事も美味しい。世界中であんな最高の街は他に無いと思っています。

永住したい都市
 ブラジルのリオデジャネイロです。アントニオ・カルロスジョビン、イバン・リンスなど敬愛する音楽家たちが住み、音楽を奏でた街に自分も身を置いてみたいという思いに焦がれています。

5年後の自分に期待すること
 関わって下さる人達から信頼されていて、誰かに機会を与えられる人間になっている事

最も印象に残っている本
 ポール・オースターの小説はどれも好きで印象に残っていますが、初めて読んだ『偶然の音楽』の衝撃はすさまじいものでした。「あ、これ僕の事だ…」と心臓が痛くなりながら読みました。

最近読んだ本
 何度目かの読み直しになりますが、佐藤優さんの『自壊する帝国』です。この本の中でエリツィン大統領のサウナ政治について言及している個所について、先日の日本滞在で完璧にサウナにハマり頭と体の両方で理解出来ました。

最も印象に残っている映画
 『Blues Brothers』(1980)です。この映画のいくつかのシーンをアメリカで実際に経験したいという思いで渡米してきたと言っても過言では無く・・・。実際に体験出来たので人生経験としては最高であったな、と思います。

(BaySpo 2019/07/19号 掲載)

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