一般編  Vol.304
白石 義明さん
1954年大阪生まれ。神戸大学経営学部を卒業後、住友商事に入社、農水産本部油脂部へ配属され食品業界に携わる。その後90年からシカゴ、サンフランシスコへ駐在を機に2002年にマウンテンビューにて食品コンサルティング会社を設立。以降、食品・サプリメントを中心に数々のコンサルティング・執筆・講演活動を日米の企業のために行う。
いつも到達点を意識しながら全体を見て判断することが大切
商社勤務時代に駐在した際のベイエリアの穏やかな気候が忘れられずに、東京に帰任後に脱サラして再度ご家族と渡米したという白石さん。現在はベイエリアのみならず日米の食品、サプリメント業界をつなぐ架け橋として活躍する彼に、ベイエリアでの生活について伺いました。
白石 義明さん

(Yoshiaki Shiraishi)BaySpo 1609号(2019/09/27)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 商社の駐在で1991年にシカゴから移動してきました。その後1997年に帰国辞令で東京に帰任したのですが、ベイエリアの気候が忘れられず、2001年末にマウンテビューへ奥さんと猫2匹を伴なって戻ってきました。マウンテビューを選んだ理由は、当時商社を辞めて仕事もなく、急遽J-PORTCompanyなる食品関係のコンサルティング会社を設立したのですが、小さなスタートアップでも当時から温かく受け入れてくれるベイエリアの気質・環境と、若干商社時代に土地勘があったからです。商社時代、日系米国人とのJoint Ventureに参画しており、そこのEVPをしておりました。

ベイエリアの印象
 2001年頃はまだIT不況のど真ん中で、シリコンバレーは交通量も少なく、それでいていつもお天気がよく、仕事があまりなくても本当に住みよいところだと思いました。その頃は節約のためにいつも鍋ばかり食べていたように思います。夏でも鍋が美味しく食べられるベイエリアの気候は本当に素晴らしいです。ただそれから20年近く経った今はあまりに人が集まりすぎ、交通渋滞とダイニングアウトの困難さから、そろそろ脱出時かなと考えるようになって来ました。

自分の専門分野について
 主として食品、Nutrition素材、サプリメント関係の日米両市場でのマーケティング、M&A、全法規のコンプライアンス、必要許認可取得、臨床試験等に関わるStrategic Consulting業務です。自分の仕事の説明をするのが一番厄介なのですが、一言で言うと日米の食品・Nutrition業界の企業が苦手とする分野をコンプライナスを遵守しながら、できるだけ安価に効率よく仕掛ける仕組みをつくるお手伝いをしているということだと思います。現在複数の日本及び米国の企業のお手伝いをさせて頂いております。たとえて言うと、専門医療(この場合は法律事務所やM&A CPA)を受ける前に、Primary Care的に判断し、どこの専門医療を受けるべきか判断するような業務でしょうか。新しく事業を海外で仕掛ける場合「木を見て、森を見ず」になるのが一番怖いことです。いつも到達点を意識しながら、全体を見て判断していくことが大切です。

その道に進むことになったきっかけ
 元々食べることが大好きであったこと、また商社時代ほぼ全ての食材のソーシングに関わったこと、素材のソーシングと合わせて、食肉の熟成などのひと手間を加えながらいかに美味しい料理を作るかにこだわるようになってきたこともあり、栄養素と食事の重要さに気付くようになったことがベースだったと思います。あと、文系ではあるのですが、生物学・栄養学に興味があり、かなり門前の小僧になってしまったこともあります。ただ本質的には大きな組織でジェネラリストになることを嫌がって、日本から飛び出し、こちらでの様々な人との出会いからこういう事業展開になって来たという感はあります。

英語で仕事をするということ
 商社時代は「買い」側の英語でしたが、独立してからは「売り」側の英語のため、客先があまり真剣に聞いてくれず随分苦労しました。その観点では、最近は商談がほぼ電子メールになり、あまり電話を使わないようになったので、それなりの英語の文章が書ければ、後は明快な論旨で説得できるのでかなり楽になりました。昨今は無謀にもIFT(International Food Technology)という世界的な食品業界のR&D陣の集合するセミナーにて英語で45分間も講演するようになりました。

英語で失敗したエピソード
 数多くあります。極めつけは商社駐在員時代の食肉の輸出の仕事でのエピソードです。食肉加工工場のフィレ肉処理では生肉を手鉤(hook)で引っかけて箱に移動させるのですが、手鉤穴が深く商売品にならず正式にクレームレターを出したことがありました。そのとき手鉤(hook)をhuckとまずスペルミスした上に、HをFと書き間違えたまま、正式クレームレターを出してしまいました。後で米人のアシスタントに指摘を受けて真っ赤になりましたが、先方はこっちが大変怒っているものと思い、大急ぎで補償してくれました。

英語が100%ネイティブ
だったらどんな仕事に?
 やっぱり今の仕事をもっと格好よくやっていたのでは?(スペル間違いもせず)

あなたにとって仕事とは?
 人の役に立ちながら、自分も楽しく成長できることです。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 医者かな? 本当は理系の仕事に興味を持ってました。

いまの仕事に就いていなかったら
 ホテルマンになっていたかも知れません。いや案外オペラ歌手かな。

現在、住んでいる家
 Mountain Viewにある3ベッドルームのタウンハウス

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 大体6から7時間程度、朝5時半起床、午後10半頃就寝

休日の過ごし方
 ヨガ、読書、料理、たまの蕎麦打ち(最近はロカボで控えている)あとは、結構日本のTVも見ます。

よく利用する日本食レストラン
 ちょっとゴージャスに行く場合は、SFのKusakabeです。

1億円当たったとして、その使い道
 早めのリタイアかな?

日本に戻る頻度
 仕事柄、年に3から4回程度日本に出張します。

日本に持って行くお土産
 お気に入りのスパイス・ブレンドがありまして、カレースパイス、イタリアン・ハーブなどをお土産にします。持ち運びが便利で喜んでくれます。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 各種鍋の素のポーションパック、これはレトルト臭がなくていいのです。畜肉エキスが入っているので輸入できません。ただ不思議と日本の夏には売っていないので、通販でホテルに送っておきます。

日本に郷愁を感じるとき
 スポーツクラブの塩素まみれのジャグジーに入って、日本の温泉を思うとき。


現在のベイエリア生活で不安に感じること
 このままどんどん物価があがると、お金の使う価値がなくなること。

お勧めの観光地
 特にありませんが、仕事でたまに行くジョージア州、サバンナ市はいい町です。

5年後の自分に期待すること
 恐らく半リタイアくらいの情況で、ノマドでできる情報発信業務と年金で悠々自適な生活を送っていることです。後継者も育てたいと思ったこともありましたが、あまりにも個性で仕事をしているのでちょっと無理かと。

最も印象に残っている本
 ちょっと古いですが『柔らかい個人主義の誕生』山崎正和著。今でもその内容は通用します。

最も印象に残っている映画
 『Soldier Blue』今の米国政府にはやはり200年前にルーツがある。

最近観た映画
『ボヘミアンラプソディー』

自分を動物にたとえると?なぜ?
 猫、余り人の言うことを聞かない。自分勝手。でも気持ちいいのが好き。

座右の銘は?
 母親が当方の猛烈商社マン時代によく言っていた「あのな、その会社はいくら働いても自分のもんにならへんのやで。」という言葉。お陰で早めに会社を辞めることができました。最近の日本の「働き方改革」には良い銘だと思います。

(BaySpo 2019/09/27号 掲載)

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