文化芸能編  Vol.51
吉田 恭子さん
京都市生まれ。上智大学ロシア語学科卒業後、ワコール・アート・センターのスパイラル・ホールに勤務。91年に渡米し、ニューヨーク市立大学でパフォーミング・アーツ・マネージメントの修士を取得。ロサンゼルスの日米文化会館、ミネアポリスのアーツ・ミッドウェストに勤務した後、サンフランシスコで日米カルチュラル・トレード・ネットワーク(CTN)を法人化。本年1月より、シアター・オブ・ユウゲンのコ・ディレクターも兼任。戯曲翻訳も手がける。
日米の芸術文化交流、対話と協働で 社会問題にも取り組む企画を目指す
非営利セクターで日米の文化交流事業を手掛ける吉田さん。幼少期のウィスコンシン州、その後1991年の渡米からニューヨーク、ロス、ミネアポリスと経て2006年からベイエリア在住という彼女に、ここでの暮らしについて伺いました。
吉田 恭子さん

(Kyoko Yoshida)BaySpo 1646号(2020/06/12)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 渡米したのは、1991年です。NYCに5年、ロサンゼルス6年、ミネアポリスに4年住んだ後、2006年からサンフランシスコ市内に在住です。仕事が一段落したのを機に、遠距離でお付き合いしていた今の伴侶が住むこの地に引っ越しました。

ベイエリアの印象
 一年中、花と緑に溢れています。でも四季の変化が少ないのは少し寂しく、直ぐに一年が過ぎてしまう気がします。アジア系が人口の三割以上で、和食を含むアジア圏の食材やレストランも多い。でも、特に市内では、60年代のカウンターカルチャーの精神や多様な移民文化のエネルギーが、ここ10年程で加速したジェントリフィケーションにより、影をひそめてしまった印象があります。

自分の専門分野について
 非営利セクターで、日米の芸術文化交流事業を企画し、実施しています。具体的には、日本の舞台芸術(演劇、ダンス、音楽などの)作品を米国で上演したり、米国のアーティストを日本に紹介しながら、両国の関係者や参加者が、それぞれの社会や文化を学び合う対話の場とネットワークを創ってきました。2007年には、U.S./Japan Cultural Trade Network, Inc.(CTN)という非営利団体をサンフランシスコで立ち上げ、公私の助成金を申請して資金を作りながら活動しています。地元では、伴侶が創設したサンフランシスコ国際芸術祭とCTNの共催で、毎年5月に日本人アーティストの作品をフェスティバルの一環として上演しています。また、今年の1月からは、古典狂言の英語上演や、古今東西の芸術表現と能や狂言とのフュージョン作品を、40年以上にわたって創作上演してきたシアター・オブ・ユウゲンのコ・ディレクターも務めています。

その道に進むことになったきっかけ
 6才から7才にかけて、父の研究のために家族でウィスコンシン州マディソンで過ごしました。当時は英語もほとんど話せず、溶け込めなかったのですが、小学校で「文化紹介」をするため、着物を着て、折り紙やお箸の使い方をクラスメートに教えて拍手をもらい、とても嬉しかった思い出があります。また、日本に戻って暫くの間、少し引っ込み思案だったのですが、小学校の先生が「アリババと40人の盗賊」をミュージカルにして、クラスの皆で上演しました。その時、協働で舞台を創る喜びを知りました。中学、高校では、英語劇の演出、出演、舞台美術や大道具のデザインも手掛け、どんどんハマっていき、大学時代は、モダンダンスの振付、ダンサー、プロデュース。卒業しても、舞台の魅力とパワーから離れずに仕事がしたいと切望したところ、幸運にもワコールアートセンターのスパイラル・ホール担当として採用され、会場レンタルと、スパイラルの企画、制作の仕事に就くことができました。

英語で仕事をするということ
 英語は母国語ではないのでエネルギーも使いますが、その分、英語での表現や対話はEmpoweringです。日米両語を使うのは、頭と心への良い刺激で、視野を多角化し、考えを深めるのに役立つことが多いと思います。

英語で失敗したエピソード
 割と最近、大きな仕事のインタビューを受けた時、予期せぬ質問に一瞬、頭の中が真っ白になって自分でも驚きました。驚いている場合ではなかったのですが(笑)。後は、英国人の伴侶との日常会話で、私の言い間違いや聞き間違い、勝手な造語に大笑いすることがあります。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 米国生まれだったら、連邦や州政府の高官か市長職に就いて、文化、芸術、国際交流の支援、政策をたてる立場を目指したかもしれません。または舞台の演出、脚本、振付の道に進んだかもしれません。

あなたにとって仕事とは?
 自分のビジョンや感性を生かして、芸術や文化の魅力やパワーを人々にお届けする機会です。非営利セクターでの仕事なので、単に娯楽性を追うのではなく、日米の関係者や参加者が、人種やマイノリティー差別などの社会問題や環境問題についても、作品や表現を通してコミュニティーと対話し、協働で取り組むことのできる企画やプロセスを目指しています。二つの非営利団体を運営しているのでいつも忙しく、締切に追われるストレスもありますが、同僚や同志達と共に乗り越えてきました。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 幼稚園の時に、大きな旅館の女将さん、経営者になりたいと思いました。ご馳走と温泉、お庭の見える素敵な和室があれば、全ての人を幸福にできると思ったからです(笑)。

好きな場所
 オーシャン・ビーチやゴールデン・ゲート・パークでピクニックしたり、寝転がって空を見るのが好きです。

最もお気に入りのレストラン
 近場では、カンボジア・レストランのAngkor Borei、和食では中々行けませんが、そばいちとMaruyaが好きです。

よく利用する日本食レストラン
 近いので利用するのはKama Sushi、ヴァレンシアと17丁目にあるWe Be Sushiにもよく行きます。日本町では、ひのでやラーメンです。

1億円当たったとして、その使い道
 3分の1ずつ、非営利の芸術文化団体や福祉事業への寄付と、家族や老後のための貯金、残りは、今のサンフランシスコ市内では足りぐるしいですが、家を買う資金にしても良いでしょうか?
日本に戻る頻度
 大体年に2回、仕事に合わせて戻ります。仕事の前後に必ず京都の実家に立ち寄って、後期高齢者となっても元気な両親と、一週間程一緒に過ごします。

日本に持って行くお土産
 最近は、ピンクカカオのチョコレートや、地元ミッションのぺルビアン・クッキーなどです。

日本からベイエリアに持って
帰ってくるもの
 京都のお茶、黒七味などの香辛料、お出しのパック、蕗の薹や、季節の野菜の入ったお味噌、和菓子、日本人デザイナーの服、こちらではまず入手できない22pサイズの靴など。

現在のベイエリア生活で不安に
感じること
 物価、特に家賃が異常に高いことと、格差が広がっていること。そして現在、新型コロナウィルス拡散防止のために外出や集会が厳しく規制され、舞台芸術も上演できません。生活騒音なども重なり、ストレスが溜まっていくのが少し心配です。

日本に郷愁を感じるとき
 Facebookなどで桜や紅葉、温泉などの写真やビデオを見た時。それから、大晦日とお正月は、やっぱり日本でないと味わえない、と思ってしまいます。

お勧めの観光地
 大自然と野生動物なら、イエローストンやティトン国立公園。気軽なショッピングや屋外エンターテイメントなら、毎年7月にサーカスの国際見本市が開催されるモントリオールもお勧めです。

永住したい都市
 生まれ故郷の京都です。

最も印象に残っている本
 『夜と霧』、『脳内革命』、『利己的遺伝子とは何か』など。

最近読んだ本
 まだ途中ですが、知人P. Carl氏の著書『Becoming a Man: The Story of a Transition:』
最近観た映画
 『Bohemian Rhapsody』クイーンとこの曲には特に思い入れがあります。

自分を動物にたとえると?なぜ?
 ネコ科。猫が大好きなのと、追いかけられるより、追いかける方が好きなので。

座右の銘は?
When life gives you lemons, make lemonade (or lemon pie)! (災い転じて福となす)元の言い回しではレモンからレモネードですが、アップグレードしてレモンパイにしています。(笑)

(BaySpo 2020/06/12号 掲載)

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