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| 一般編 Vol.122 |
横田慎矢さん |
東京都出身。幼年の頃から絵と文章が好きで、アートや哲学などに強い関心を持つ。19歳で単身、ニューヨークを訪れ、その後アートスクールへ留学。そのころから日本を客観的に見るようになり帰国後、禅、茶道、華道など日本文化を学ぶ。95年、シアトルのマイクロソフト社に勤めその後ニューヨークへ移住。同時多発テロや香水ブランド会社設立などを経験し、2007年にサンフランシスコに移住。今年からアップル社に勤める。 |
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フォーラムを通して相互理解を |
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日本人とアメリカ人を集めてタブーなトピックや最近の時事問題などを討論し、お互いの文化の違いを理解したり友人関係を築くためのフォーラムグループを立ち上げ、これまで40回以上行ってきた横田慎矢さん。現在は地元IT企業に勤める。幼少のころからアートや哲学に興味があり、自らを「自由人」と称する横田さんのベイエリアでの暮らしぶりを聞いた。 |
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「Japan-US Forum of San Francisco」設立者(Shinya Yokota) | BaySpo 1162号(2011/03/04)掲載 |
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フォーラムを始めたきっかけ 以前住んでいたシアトルで似たようなディスカッショングループをしていました。サンフランシスコでは、日米人の交流がロサンゼルスやニューヨークと比べて多く感じ、本格的に始めてみようと思いました。
フォーラムではどのようなトピックを討論しますか? 2007年にサンフランシスコに来た当初はゲイ、ドラッグ、自殺、セックスなどタブーなトピックを中心に、月二回日米人が入り交じって日本語で討論を始め、これまで日米におけるさまざまなトピックを取り上げました。最近行った起業家のフォーラムでは、起業家が集まって夢をシャアしてそれをどのように実現するかなど話し合いました。
フォーラム開催の目的は? 理解を深めることもありますし、そういった交流を通してネットワークを作ります。深い話をした後での友達作りは次元が違います。日本人、アメリカ人といってもほとんどが、国籍上は日本人でもアメリカに長く住んでいて、個人的には日本人でもなければアメリカ人でもないかもしれないというサードカルチャー的な人たちが多いんです。アメリカ人の中にも「日本に長く住んでいました」という人たちは同じ立場です。彼らが話し合うと、結果がとても特殊なんですよ。
印象に残ったトピックは? 賛成反対が大きく分かれたトピックは「捕鯨」ですね。英語でも、日本語でもやりました。英語を話す人たちは反捕鯨派が多かったのですが、中立の立場のアメリカ人モデレーターが集めた事実などを共有することによって、反論を持っていた人が「そういう事実があるんだ」と考えが変わった人が最終的にいました。逆に、「これまで捕鯨は良いと思っていましたが、ちょっとだめなのでは」という人もいました。意見を共有して考え方を変える機会を与えることができたなと実感した会でした。
フォーラムを開催して「良かったな」と感じたこと 地球環境について話したとき、「これからどのように行動するか」と話したときです。「私はこれから、お箸を持って歩きます」とか、コーヒーをよく飲む人は「コンテーナーを買って、持ち歩きます」なんて結果になりました。何ヶ月か経って、皆で食事に行ったとき、皆がまだそれを実践していて、「なんか貢献しているな」と実感が得られました。考え方やチャンスを与えて、地球環境に対して貢献することを考えさせる場を提供しているなと実感しました。
ベイエリアに住むことになったきっかけは? 90年代にアートスクールの学生として留学したのがきっかけ。その後、シアトル、ニューヨークと移り住み、新しい考えを持っている人が多かったことがきっかけで、三年前に再度サンフランシスコに移住しました。
ベイエリアの印象は? 気候、食べもの、人間環境全て良し。特に、戦後の「アメリカの良き時代」と言われる、フランク•シナトラやヒッチコックなど音楽や映画が華々しかった40、50年代の跡が残るサンフランシスコに惚れました。
英語で仕事をするということは? 実際アメリカに長いので、英語•日本語の差をあまり感じませんが、未だにこれら二言語の間で少し人格が異なるのを感じます。特にフォーラムでは、日本人の英語のレベル、そして英語がネイティブのアメリカ人の日本語レベルの高さに驚きます。
英語で失敗したエピソード? アメリカに来たてのころ、レストランでウェイターのバイト中、注文を取りに行ったら、アメリカ人のお客さんに「One Second」と人差し指を立てて言われたので、酒を一本持って行ったら笑われました。やはりこれも来たてのころですが、カフェでお茶「Tea」を注文したら、なぜか「(アルコール飲料の)Kir(キール)」が来たので、昼間っから酔っぱらわなければならなくなったこともありました。
英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に? Stand-up comedian。あれは頭が良くないとできないですね。サインフィールドとか、こっち独特のしゃべりで人を笑わせるというのは知的でないとできない。政治をトピックに話したいですね。
横田さんにとって仕事とは? 生計を立てることではなく、人生を創ること(であってほしい)。生計のための仕事はお金のため、自分が生きるためです。でも自分を生かすためではありません。自分が本来やりたいことができている人もいますが、生計を立てるために仕事するのはそうではない。自分の人生を創るために仕事ができたらいいですよね。結局、生計は立てられなくなるかもしれませんが(笑)。
睡眠時間・起床時間・就寝時間 3時間か12時間。3歳の娘と寝ると夜7時くらいに寝て、朝7時くらいに起きる。一人だと、7時間くらい。ベッドに入っても寝られないときは起きて、考え事を書いたりします。
休日の過ごし方 娘とマリン郡のGreen Gulchにある禅寺へ行きます。日本の温泉旅館みたいな所で、建物が日本の秘境の中にあるような所です。月の第一日曜日に子供が参加できる日があり、他の子供たちと遊ばせたり食事をしたりします。
最もお気に入りのレストラン サンセット地区にある「Naan and Curry」。ラフさ、適当な感じが好きです。過去の旅行の経験からインドに行くとあんな感じで、適当に座って、適当に食べろっていう感じなんだろうと思います。水も自分で「持ってこい」ですからね。でも、安くて美味しいです。
1億円当たったとして、その使い道 一生旅行して、1億円が10億円くらいの価値になる発展途上国で島でも買い、漁師か何かになって自然と共に暮らす。たまにボートに乗って、文化のあるところに行って人と交流します。
最近日本に戻って驚いたこと スターバックスの侵略度。多すぎますよ。ローカルのコーヒーショップの隣なんかに平気で出店して、ローカルのお店に人が行かなくなって潰れてしまう。俗にいうアメリカン・コーポレーションのやり方が嫌いです。日本も同じですね。日本人がそれを許しているところも気になります。
日本に持って行くお土産 チャイナタウンの「I ♥ SF」Tシャツ。一枚2ドルのやつを15枚くらい買って会う人全員にあげます。
現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき 自分が「ヨッコータ」になるとき。マーケティングコールなどで「Can I speak to Mr.ヨッコータ」呼ばれると、ノーと言いたくなります。
日本に郷愁を感じるとき スーパーで赤い目をしたさんまを見るときです。うまそうに思ってよく見ると目が赤く「やっぱりな」と感じます。日本で1匹100円しない、たいへん新鮮なさんまが食べたくなりますね。
お勧めの観光地 Treasure Islandから見るサンフランシスコの夜景。コマーシャルサインがなく、上品です。
永住したい都市 イスタンブール。町の至る所に1500年以上前の遺跡があるところです。モスクの寺院でコーランが流れたりエキゾチックな反面、ボスフォラス海峡の桟橋でさんまのサンドイッチが売っている日本風情みたいなものもあり、そのギャップも好きです。
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■インタビューを終えて 横田さんの持つ「自由」への哲学的考え方を聞き「過去の出来事も基づいた固定観念に左右されずに今を100%今に生きること」と話していました。フォーラムを提供することで、文化の違う人間が自由な意見をぶつけ合い結論を導く。横田さんの活動を応援したくなりました。
(BaySpo 2011/03/04号 掲載) |
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