一般編  Vol.347
岡田 宏子さん
兵庫県生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科心理学専修卒。クラーク大学心理学修士号取得。東京でブルームバーグ、ニューヨークでKPMGで働いた後、サンフランシスコ州立大学看護学部学士、修士号所得。専門看護師、ナースプラクティショナーの免許を持ちつつ、(普通の)看護師として小児がん病棟で勤務中。
これから先も燃えつきることはない
東京・NY・ベイエリアでコンピュータ関連の仕事に従事した後、友人の言葉をきっかけに45歳で看護学校に入ったという岡田さん。現在、小児ガン病棟にて勤務し、日々医療の最前線で活躍する彼女に、ベイエリアでの暮らしについて伺いました。
岡田 宏子さん

(Sabrina Hiroko Okada)BaySpo 1683号(2021/02/26)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 ベイエリアには2000年に引っ越してきました。当時の夫が東京からニューヨークに転勤になり、それに伴い東京からニューヨークに転職先を探し、まだ小さかった子ども2人を連れてニューヨークに転職し、その後彼がカリフォルニアに転職を決意し、一家でニューヨークから引っ越してきました。以来、元夫は日本に戻り新しい家庭を持ち、子ども達もそれぞれ独立したので、私は気に入ったベイエリアで一人のんびり暮らしています。

ベイエリアの印象
 気候がいいのが一番ですね。確かに気候だけをとればハワイや南カリフォルニアの方がいいかもしれませんが、シリコンバレーの元気を肌で感じられるのがまたいいところだと思います。さらに、アジア人が適当に多いので、アジア人だから、日本人だから、と構える必要がないのが気楽です。

自分の専門分野・その道に進むことになったきっかけ
 現在、子ども病院のガン病棟で看護師として働いています。日本の大学の学部では心理学を勉強し、コンピュータのプログラムを書いたり、統計ばかりをやっていました。大学の同じ専攻の同級生はほとんど全員コンピュータ関係の仕事についているのですが、アメリカの大学院でも心理学を勉強した時、アメリカの心理学とはあまりに違うのでびっくりしたのを覚えています。残念ながら大学院終了後、東京での就職に心理学はほとんど役に立たず、結局コンピュータプログラミングと統計学で就職することになりました。いろんなコンピュータ関係の仕事をしてきましたが、子どもの時からぼんやりと医療関係で働きたいという夢は頭の隅にずっと持っていました。10年ちょっと前のある日、ジムでマスターズスイミングの練習の後、チームメートたちとジャグジーに入っている時、「何歳でもナースにはなれるのよ。」と言われ、それをきっかけに看護師になることにしました。彼女はハイテク企業でテクニカルライターをしていた後に45歳で看護学校に入りました。ちょうど同じ頃、トライアスロン仲間の男性もユナイテッドの経営困難を目の当たりにし退職、50歳直前で看護師になる方向転換をし、国家試験にむけて勉強中でした。さらに、ランニング仲間の1人が高校の数学の教師を定年退職した後に看護師になったこともあり、看護師を第2のキャリアにする人が周りにいたことで、思い切って方向転換することできました。
 学部から大学院まで続いたプログラムを選択したため、看護師として働き始めるまで5年以上かかりましたが、運良く、希望した小児ガンの病棟に就職することができました。

英語で仕事をするということ
 病院にはいろんな人が来ます。英語を母国語とする人をはじめ、母国語としない人達もたくさん来られるため、英語を普通に話せたり、聞きとることができるだけでは十分ではなく、くせのある(自分の聞き慣れない)英語もある程度聞き取れる必要があります。また、病気でうまく話せない人の英語や幼児の英語を聞き取る必要もあります。就職したばかりの時には、アフリカ系アメリカ人の英語が特に聞き取りにくく、何回も聞き直したものです。今でも聞き取れないことがないとは言えませんが。家にも職場にも日本語を話す相手はいないですし、子ども達とも英語でしかコミュニケーションができないので、ほとんど日本語を話すことはなく、ほとんど英語しか話さない日常です。子ども達には英語をよく直されます。いい先生に恵まれました。

英語で失敗したエピソード
 英語での失敗は本が書けるほどあります。看護学部に入学するため、コミュニティーカレッジなどで日本での高校レベルの理系の授業を取らなければならなかったのですが、概念や日本語での用語は知っているのに英語でなんというのかわからない、というシチュエーションがよくあり、恥ずかしい思いをよくしました。こんなのも知らないのか、と思われていたと思います。でもミトコンドリア、英語でなんというのか、なんてアメリカで初等教育を受けていないものにはわからないですよね。
 また、日常生活でも、恥ずかしい思いは数限りなくしてきています。日本語の外来語がそのいい例です。ホッチキスはカタカナで書いてあるので、私はずっと英語だと信じていました。ならば、なんと英語で発音するのか? 考えた挙句、「ス」にアクセントを置いたり、「ホ」にアクセントを置いたり、いろいろ試してみましたが、全く通じず、実物をもってきて見せると「Oh, you mean a stapler!」と言われたり。
 道順を尋ねたら、to 80と言われたので、80号線にのればいいのかと思ったら、280号線のことだったり。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 仕事をしていなければ、まず、ベイエリアに住んではいられないので、仕事をしないことは考えられないです。看護師になる前は、毎日1日10時間以上、10年バケーションなしで働くような生活をしていました。仕事が全ての中心でしたが、今は、自分の健康を犠牲にしない程度に働くことができます。バランスのとれた働き方をしているので、リカバリーも早いですし、これから先も燃え尽きることもないと思います。
 不思議なことに、幼稚園の卒園アルバムに、看護師になりたい、と書いていました。日本で学校に行っている間には、看護師になりたいと思ったことは一度ないのですが、50年近くたってから、幼稚園児の時の夢が叶ったことになります。
 現在の職についていなければ、コンピュータプログラムを書く仕事をしているか、オペラ歌手になっているか。今度生まれ変わったときにはまた違うアドベンチャーを楽しみたいと思います。

好きな場所
 海の見えるところが好きです。水の音が聞こえるのが好きなのかもしれません。子どもの頃、瀬戸内海の近くに住んでいました。週末になると父が海や山に連れて行ってくれました。人があまりいない自然の中にいるのが好きです。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 不便とまでは言いませんが、アメリカのサービスが日本のきめ細かなものとは違い、20年たった今でもイライラすることがよくあります。例えば、後で連絡します、と言われた場合、半分くらいの確率で折り返し連絡がくることはありませんし、サービスが悪くてクレームの電話をしても、対応する人はすみませんさえ言いませんし(確かにその人のせいではないんですが)、何時にサービスに家に来る、と行っても、その日のうちに来ないことさえあります。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 不安に感じることは、引退後の税金の高さです。引退後、年金生活になったときに、この高い税金を払い続けることができるか、非常に不安です。私の周りの引退に近い歳の人達の多くが、そのように考えていると思います。特に、カリフォルニアに移り住んできて、働き盛りをここで過ごした人達です。さて、ではどこに住むか。それはそれで問題なのですが、もっと税金の安いところで引退したいと考えている人たちはたくさんいるようです。

5年後の自分に期待すること
 5年後もまだ看護師として働いていると思いますが、チャンスがあれば、Nurse Practitionerとして、新しいチャレンジをしているかもしれません。私生活面では、引退後、一緒に過ごすことのできるパートナーが見つかればいいなと思っていますが、そればかりは思うようになりません。

座右の銘は?
 「気宇壮大」という言葉が好きです。意気込み、度量や発想などが人並みはずれて大きいことをいうのですが、それくらいのつもりで前向きに生きたいと思います。

(BaySpo 2021/02/26号 掲載)

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