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| 一般編 Vol.121 |
峯元規さん |
三重県名張市出身。9歳でオレゴン州ユージーンに家族で移住。その頃からコンピューターを始めゲーム制作などプログラミングを始める。オレゴン大学時代には、日本の雑誌「Tokyo Walker」を真似た「Eugene Walker」を「勉強の一部」として2千部ほど発行。同大デジタルアーツ専攻で卒業後、日本で横浜から沖縄まで自転車で1ヶ月半かけて走破。その旅をYouTubeに投稿。2008年に再渡米して就職。 |
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将来は子供のためになるアプリ作り |
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現在、インターネット、携帯電話などで利用できるゲームなどソフト制作に携わっている峯元規さん。子供のころから絵を描いたりするのが好きで、コンピューターの発展と共にプログラミングの道に自然と進んだ。峯さんのベイエリアでの暮らしや専門分野について聞いた。 |
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Technical Artist(Genki Mine) | BaySpo 1158号(2011/02/04)掲載 |
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プログラミングの世界に入ったきっかけは? 幼稚園のときから、絵を描くのが好きで漫画のドラゴンボールの絵を描いてました。上手く描ければ嬉しくなりましたね。上手く描けると、次の日に見ても嬉しくなるんです。何かを作った後の感動が嬉しいですね。中学の頃に父親から簡単なプログラミングのやり方を教わり、ファミコンを日本から持ってきてなかったので、それからは独学で単純なゲームを作って遊びました。当時は白黒の「マッキントッシュ•プラス」を使って、絵を描き、ゲームみたいなものを作って友人と遊んでました。高校の最後の年、18歳の秋に特技でもあり、好きなことで仕事につながることはグラフィックデザイン、ビデオ編集などでしたので、ほとんど迷いなくこの道に決めました。
現在はどのようなことを? 自分の専門分野はコンピューターのキャラクターアニメーションやデザイン、あとプログラミングです。おもにiPhoneアプリやFlashアプリを作っています。2009年に働いていたスタートアップ会社がなくなり時間ができたこともあって、家にこもりっきりでロールプレイングゲーム(RPG)を半年かけて作りました。クレージーな一年でした。2010年に発売しましたが、作っただけでは売れないので、マーケティングの一貫でレビューサイトや、日本の(ゲームのアップを行う)サイトなどに働きかけました。売り上げは100倍くらい違いました。メディアのすごさが分かった瞬間でしたね。3ドルで売っているにも関わらず、iTuneサイトのレビューで「3ドルは高い」というコメントもあり、「コーヒーより安いのに」と思います。そして、友人のコネで去年の3月に就職し、ソーシャルネットワークのFacebookサイト内で友人とできるゲームを作っています。現在、ゲーム業界ですごく注目されているらしいいんですけど。
将来どのようなソフトを作りたいですか? 息子が生まれたので教育ソフトを作りたいです。父親が数学と英語の先生をしていて、オレゴン大学にコンピューター教育で移住したときに、アイコンのデザインやウェブサイト制作の手伝いをしました。そのときの刺激もあるのではないでしょうか。ゲームは何も残らない、ただのエンターテインメントですからね。ひらがなを覚えるソフトみたいに、普通の子供が3歳、4歳になればできるような単純なソフトを作りたいですね。
ベイエリアに住むことになったきっかけは? 渡米したのは1989年の9歳のころです。父親がオレゴン大学でコンピュータ教育を学びたくて家族5人で引っ越しました。自分がベイエリアに来たのは2007年ごろです。オレゴンをでてIT業界が豊富なシリコンバレーで働きたかったのがきっかけです。姉がサンフランシスコに住んでいたので助かりました。
ベイエリアの印象は? オレゴンとは違ってもっと人種が多くて楽しいです。人種が多いということはレストランも多様で、いろんな文化や考え方を持った人と出会えると感じました。
日本で横浜から沖縄まで自転車旅行をしたそうですが? テントを持って、3日に1日は野宿、その他は親戚宅にとまったり、民宿に止まりました。大学で覚えたビデオ編集などのスキルがあったので、撮りながら、電気のある所で編集して、インターネットのあるところではYouTubeにアップロードしてました。友人が「リアルタイムで見ていると一緒に旅をしているみたいでワクワクする」と反響が良かったです。
英語で仕事をするということには? 9歳からいるのにも関わらず、多少日本語のほうが話しやすいことが多いです。専門分野は英語のほうが話しやすいです。どうしても100%ネイティブじゃないので、少しコンプレックスだったりします。
英語で失敗したエピソード? 小学校のときにクラスのみんなが「日本語で名前を書いて」と言ってくるので一人一人ひらがなとカタカナで書いてあげていた時に「Rachel」という名前が聞き取れず、丁寧にゆっくり「Rrray chaael」と言ってくれて「おっけーおっけー、うえいちょ、と」書いてあげました。
英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に? もっと的確にコミュニケーションがとれる人をつなぐ仕事ができればと思います。自分のノウハウを教えたり、人を動かす力が欲しいです。
あなたにとって仕事とは? 家でも自分のプロジェクトをやっているので、ほぼ仕事中毒です。何かつくっていないと気が済みません。
生まれて初めてなりたいと思った職業 幼稚園のころにヤクザ。何の映画か忘れましたが、かっこいいと思ってなりたいと言っていたと親が話してました。小学生のころは宇宙飛行士ですね。「宇宙の秘密」という本を読んで憧れましたが、英語ができなければいけないと知り諦めました。結局。今英語は話せますが。
乗っている車 Honda Civic 1991とNissan Versa 2011
睡眠時間・起床時間・就寝時間 睡眠時間は7時間から8時間。起床時間は8時半。就寝時間は夜中の12時から1時の間。睡眠がとれないといい仕事ができません。
休日の過ごし方 家族と買い物したり、料理をしたり、自分で作ったゲームのアップデートなどをしています。作ったゲームは新しいOSでは対応できておらず壊れていたので、「こんなの売ってはまずい」ということであわてて直したりしてます。ゲームの質を上げることをしてFacebookとつなげたりしました。今は落ち着いたので、教育ソフトを作りたいですね。
好きな場所 風がゆっくり吹いている緑の丘。サンマテオの家がベイの隣で、歩いて10分で行ける公園がそんな所です。サンフランシスコベイが見渡せ、風が吹いてなければ、ベイが鏡になり、吹けば波があり気持ちがいいです。絵を描くときも丘と青空が好きで、ゲーム内にもその背景があります。
最もお気に入りのレストラン サンフランシスコのリッチモンド地区にある「My Tofu House」。豆腐が入っているスンドゥブが好きです。肉や魚介類を選べますから。
よく利用する日本食レストラン サンフランシスコのリッチモンド地区にある「Oyaji」。陽気なおやじさんが好きです。学生時代、スシ職人をやっていて、スシを握っている人が楽しい方が美味しく感じられます。
1億円当たったとして、その使い道 たいして大きくなく普通の家を買います。自然の多い所が好きなので、町と田舎の中間くらいの大きさの町に住みたいです。
日本に持って行くお土産 日本で買うと高いドライフルーツやナッツ系です。健康にいいのと、親が好きでいつも大量に買っていきます。
現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき フリーウェー101の事故多発。
現在のベイエリア生活で不安に感じること 自分の子供の教育。最低限英語と日本語を両立させてあげたい。
日本に郷愁を感じるとき NijiyaやMitsuwaやKinokuniyaにいったとき。
お勧めの観光地 初めてサンフランシスコのダウンタウンからOcean Beachをずーっと行くとちょっとテンションあがりました。
5年後の自分に期待すること この業界でもうちょっと自分の力を発揮できるようにしていたい。
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■インタビューを終えて 早くからコンピュータプログラミングの世界に入り積極的に物事を創り出したり、思い立って横浜から沖縄まで自転車で旅してしまう峯さんの性格に感銘を受けました。峯さんがおっしゃっていたように、毎日進歩しているインターネットやコンピューターゲームが、将来子供たちの成長のためになるよう進歩してくれればと思いました。
(BaySpo 2011/02/04号 掲載) |
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