一般編  Vol.120
島邊美紀子さん
 東京生まれ。1980年に夫の転勤でニュージャージーに10年滞在。93年からベイエリアに在住。現在逆単身赴任中。高校•大学時代に心身障害の子供たちのためのケアが最初のボランティア活動。以来、アダルトスクールやカウンティカレッジの日本語教師(ニュージャージー)、少年サッカー(横浜)、社会福祉活動(横浜)、箱根ガーデン(サラトガ)、日本語弁論大会(サンフランシスコ)、北加日米会イベント、友愛会の礎(サンノゼ)、と40年以上、場所を変えボランティア活動に精を出す。礎の会長は2006年から務める。
日本語でベイエリアの生活相談
 日本語でベイエリアの生活相談ができる「礎」の会長を務める島邊美紀子さん。「礎」での活動やボランティアに対する心意気を聞きました。
島邊美紀子さん

礎会長(Mikiko Shimabe)BaySpo 1156号(2011/01/21)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけは?
 1993年、ベイエリアへ夫の転勤のため家族5人で渡米しました。1980年からニュージャージーに10年住んでいたことで、子供たちの言語は英語がベーシックだったので、こちらでなりたい職業についてもらいたくベイエリアに残ることを決めました。子供がいなければ、夫とあっち行って、こっち行ってとしていたと思います。2005年から夫の日本への転勤と、父親の介護をすることになり、私と子供はこのまま残ることにしました。

礎のボランティアではどのような相談が多いですか?
 最初は、日本語のできる医者、弁護士などの紹介が多かったのですが、最近はうつ病や、家庭内暴力などの相談があります。シニアで家庭内暴力を受けているケースは、家を出れずに、家族がいない時を見計らって電話をしてきます。聞いていて「危ないな」と感じたら、友愛会にいるプロの看護士やカウンセラーに代わってもらいます。我々はボランティアで素人なので、お話は聞くことができますが、直接解決することはできません。でもここに訴えてくるということは、何かがあるので、誰も電話に出れない場合はメッセージだけでも残して下さいと言ってあります。
 シニアの方々の中には、長年暴力を受けているので平気になっている方もいますね。助けようがないので、友愛会で手芸や三味線のクラスがあると紹介し、うまく家から出てこられた方はここで発散して頂けます。そういった方は、家に戻ってもうまく対応ができるらしいのですが、運転免許がなく家から出られない方は大変ですね。シニアの方なら、友愛会のサービスで送迎のサービスを受けることが可能です。
 シニア以外に今年あったケースは、下の子が3ヶ月くらい子供3人とそのお母さん。ご主人の暴力に合い、子供ごと外に出され、アパートのリースがご主人にキャンセルされて帰る家がなくなったというものです。こちらで相談を受け、シェルターを紹介し、お母さんに働いて子供と一緒に住める状態になれるようにサポートしました。今は落ち着いていると聞いてます。そういった家族を目の当たりにすると、今少なくなっている電話相談をなくす訳にいかないと感じます。
 シニアで引きこもりの方を「散歩や買い物に行こう」と外に連れ出したりしたこともあります。昼時だったら、友愛会の栄養プログラムに誘ったります。最初は嫌がられても、一回食事に来てもらうと、その後は全くお世話は要りません。同じような境遇のシニアとお友達になり、杖をついてでも来るようになります。私の仕事は、なんとかして外に連れ出すことですね。
 お話をしたシニアの方たちは私にとって「明日は我が身」ですし、亡くなった母や祖母の代わりだなと思うことがあり、楽しいです。

島邊さんにとってボランティアとは?
 生活そのものですね。昨年で還暦を迎え、これからは趣味をゆったりと楽しみたいですが、趣味と実益を兼ねることができればいいなと思います。例えば、趣味の茶道をするだけでは趣味で終わりますが、茶道をすることでボランティアもできます。自分も楽しみながら、日米会館や箱根ガーデンでボランティアができて楽しいですね。
 今までの人生を振り返ると、礎のボランティアを始めたきっかけもそうですが、世の中の風が自分の所に廻ってきて「あなたの番だよ」と他から頼まれれば「今できることはさせてもらおうか」と思います。人生は死ぬまで修行中だと思うんです。自分で好き勝手なことをやったら修行中になりませんよね。来るものは受け止めて、きちっとお返ししなければなりません。アメリカで英語ができないで渡米し、子供3人を無事に育ててこれたことは、周りの方たちのお陰だと思うんです。アメリカ人にお返しをしたいし、めちゃめちゃ優しくしてくれた日系人にもお返ししたいですね。

英語で失敗したエピソード
 子供がおなかを壊して、先生の所に行ったとき「ハロウィーンパーティーに行った」と言ったつもりだったのですが、私の発音が悪かったのか「ヘロインパーティー」と聞こえたらしく、先生も看護婦さんも血相を変えて騒いでしまいました。しかも、そのパーティーは先生たちの集まりだったと言ったら「そりゃ先生だったらヘロインを集められるけど、それを子供に?」なんてことになってしまい、時間がだいぶ経つまで誤解が解けませんでした。
 
生まれて初めてなりたいと思った職業
 小学生のころから弁護士になりたかったです。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 5〜6時間ぐらい。起床は朝7時、就寝は午前1時過ぎ。

休日の過ごし方
 毎週土・日は必ず何かのイベント•ボランティアがあるので、年間数日の休暇は小旅行かな。実際の休日はサンクスギビング、クリスマス、正月くらいです。旅行に行く場合は、レイクタホやカーメルに一泊旅行しますね。

最もお気に入りのレストラン
 サンノゼの飲茶レストラン「海鮮酒家」。

よく利用する日本食レストラン
 サンノゼ日本町のKubotaレストランとすし丸。バラエティに富んでいます。

1億円当たったとして、その使い道
 カリフォルニアに来たとき最初に思ったんですが、海の見える場所を手に入れて、そこに牧場と農場と花園を造って、特に独り暮らしの人たちと一緒に自給自足の生活をしたいと思います。私の世代は一人の人が多いんです。いろんな人を集めて、それぞれが個性を活かし、サポートしながら共同生活していきたいですね。

日本に戻る頻度
 親の介護があるので年4〜5回。

最近日本に戻って驚いたこと
 食べ歩きや電車の中でのお化粧など、公共の場所でのマナーの悪さ。

日本に持って行くお土産
 ドライフルーツ、カリフォルニアワイン、チーズ。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 生昆布、鰹(かつお)節(ガリガリ削るので)、和装小物。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 治安ではなく、マナーの悪さを感じます。移民の方々の中には、英語もしゃべらず、ゴミのポイ捨てや行儀の悪さなど、アメリカに来たらその国のルールに従ってほしいです。規則をしっかり守っている移民の方々も一緒くたにさせられると悔しいと思います。

日本に郷愁を感じるとき
 やはり季節の変り目かな。

永住したい都市
 やはりベイエリアが良いですね。海が見えて暖かいです。

5年後の自分に期待すること
 身体も眼も健康で、皆さんの運転手をしていたいですね。

最も印象に残っている本
 司馬遼太郎「坂の上の雲」

最近読んだ本
 「宇宙人との対話」

最も印象に残っている映画
 「ET」(アメリカに来て最初に観た映画なので)

最近観た映画
 「AVATAR」

座右の銘は?
 「今日出来ることを、明日にのばすな。」

(BaySpo 2011/01/21号 掲載)

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