文化芸能編  Vol.23
ローマー蒲生百合子さん
 東京で生まれる。父親の仕事で1歳半の時にニューヨークに移住。11歳の時、南カリフォルニアのアーバインに移動。カリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業後、ニューヨークの広告代理店に勤務。20年前にベイエリアに移住、スタンフォード大学院でドキュメンタリー映画製作を学ぶ。卒業後、インデペンデントの映画制作会社「フライング・カープ・プロダクションズ」を設立。ウェブサイト:www.flyingcarp.net
すばらしい話を伝えたい
 サンフランシスコの自宅に映画製作所を設け、ドキュメンタリー作品を制作するローマー蒲生百合子さん。現在は、柔道創設者の嘉納治五郎から柔道を直接学んだ一人で、女子柔道で最高段位の9段を世界で唯一持つ福田敬子さん(97)の人生を描く映画「Be Strong, Be Gentle, Be Beautiful」の制作最終段階。百合子さんにとって映画製作とは?
ローマー蒲生百合子さん

ドキュメンタリー映画監督(Yuriko Gamo Romer)BaySpo 1152号(2010/12/17)掲載

なぜドキュメンタリーを?
 大きな映画を作りたいという気持ちはなかった。一般に良い話を伝えるために、人間の人生を描いた作品を撮りたいと思うようになりました。最初は、1993年にニューヨークの知り合いの誘いで、ロシアの極東で活動するのアメリカのピース•コープス(世界各地で生活に必要な技術などを教育する非営利団体)の撮影のためのアシスタントとして同行しました。ロシアの極東は、アメリカ人がほとんど行ったことのない場所で、現地の人にとっては米国人も珍しく、「米国人を触りたい」と寄ってこられたことを覚えています。食料品を買いに行くのも大変でした。パンを買うだけでも、パンを買うという切符をもらい、お金を払い、そしてまた戻ってと、パンを買うだけで30分、40分掛かってしまい「これ何してるの?」という感じでした。そのような経験もあり、私の知らない世界に入り、話を撮影して一つの作品にすることが、とても面白いと感じました。

最初の作品は?
 スタンフォードの大学院1年目の課題で、白黒で病院内の子供のための特別サービスについて3、4分の作品を作りました。2年目にマスター修士のために国際結婚についての作品を作りました。今年は、感臨丸のサンフランシスコ来航150周年記念で、委員会の方からジョン万次郎について説明したいと頼まれましてアニメーションを作りました。私のいとこが作った万次郎とミッドフィールド船長の人形を動かして、4分のアニメーションにしました。万次郎の日記も使い、簡単なスクリプトを作って、子供にも分かるように歴史も伝えました。子供たちに、歴史を伝えるのは良いことで、今後はその分野で仕事をしたいと思っています。

福田9段との出会いは?
 オプラ•ウィンフリーの「オプラ」マガジンに福田先生の記事が出てまして、写真を見たら私の家のすぐ近くの道場だったんですよ。記事を読んで、これはフィルムにできると思い、あいさつに行きました。会ってすぐに、すばらしい人間だと感じました。話をしなくても、道場に入っただけで、それがすぐに分かったんです。とてもWelcoming(歓迎)してくれたんです。道場は、私の家から坂を上がって行って4ブロック。しかも、私の家が道場と福田先生の家の間にあって、これは運命なのではと感じました。それから4年が経ち、映画を作り始めてから2年半です。

福田9段との4年間で印象に残ったことは?
 福田先生に同行して東京に行き、講道館の形の大会を撮影していた時です。開会のアナウンスが始まった時、特別ゲストの紹介が行われ、最初に男の先生の名前が呼ばれ、その後、福田先生の名前とプロフィールが紹介されたんです。先生の紹介を開会式でしてもらいたいと思っていたのですが、正直なところ、本当にアナウンスされるとは思っていなかったんです。(女性の福田9段に対する)尊敬の心が、講道館で表現されたことがすばらしかった。私も嬉しかったのですが、先生にとってもこのような体験ができたことがすばらしいと思いました。

人を撮ることの難しさは?
 当事者の本当の気持ちをできるだけ引き出すことですが、迷惑はかけられない。そのバランスが難しいです。一人の人生を描くとき、一人の考えを一方的に描くのではなく、当事者の周り人々の考え方も描かなくてはなりません。これまで多くの人に会い、福田先生がどのように思われているのか、ある過去の時期はどのように過ごされていたのかをフィルムに収めました。最初は、それらの人々を探すことが難しかったです。しかし、それをやらないとフィルムがつまらない作品になります。(ソウル五輪銅メダリストの)山口香さんに会って、今日でも女性の柔道には、昔程ではありませんが、まだ差別などの問題があるという話を聞きました。福田先生の柔道がどれだけ広まったのか、今の若い女性には、福田先生の人生がどのように影響しているのかなどもフィルムに入れたいです。

百合子さんにとって映画製作とは?
 仕事というよりも、私の人生をそれに使いたいという感じなんです。それを夢として生きていきたいのですが、お金も稼がなくてはいけないので、うまく行けばいいなと思います。福田先生が「私の人生に意味がある」という考えを持つ人だと知りました。彼女がこれまで多くの辛い経験をしてきたことを知り、(私の人生は)そんなに辛くないと感じるようになりました。ドキュメンタリー関係の友人は皆、一般の人々に伝えたい話を見つけると、辛くてもがんばれるし自信も出てくると言います。皆が集まって、お互いをサポートすることもあります。福田先生は、私にとってアイドルなので、たくさん辛い経験をしたのならば、私にもできると思いました。

日本語はどのようにして覚えているのか?
 日本で生まれ、1歳でアメリカに来たので、両親と日本語で話して日本語は覚えました。ある期間長く話していませんでしたが、子供を生んだ後、サンフランシスコ日本町のリトルエンジェルに通うようになり、その後日本語を毎日話すことになりました。

Flying Carpの名前の由来は?
 鯉のぼりです。元々は中国からの伝統で、いつかドラゴンになるんです。Flying Carpがドラゴンになるのは、今のプロジェクトが終わってからですかね。

子供のときは何になりたかったか?
 何かしらのアーティスト。子供のころは写真に興味があり、セラミックにも興味があった時期もありました。

休日の過ごし方
 子供がスポーツをたくさんしているので時間がないです。山に行って、スキーやマウンテンバイキングが好きです。犬がいるので、サンフランシスコのベーカービーチで散歩します。ゴールデン•ゲート•ブリッジが見え、イルカも見えるきれいな場所です。心が落ち着きますね。

好きな料理
 おいしい日本食、お寿司食べたり、タイ料理が好きです。ブリトーも好きです。

好きな映画
 子供の頃は「サウンド•オブ•ミュージック」や「明日に向かって撃て」、最近では「千と千尋の神隠し」「モンゴル」「グリーン・デスティニー」が好きです。ドキュメンタリーは「Grey Gardens」。

1億円当たったとして、その使い道
 まずは、福田先生のドキュメンタリーを終わらせ、次は万次郎のドキュメンタリーも。それが終わったらハワイ。子供がヨーロッパに行きたいと行っているので、ヨーロッパも。

日本に行ったらすること
 美味しいお寿司を食べに行きます。子供はラーメンが好きなのでラーメン屋も行きます。サンフランシスコにはおいしいお寿司が食べられますが、ラーメンはないですからね。

日本から持って帰るお土産
 静岡のお茶と抹茶のカステラ。

座右の銘は?
 強く、優しく、美しく(福田9段が、女性に柔道を指導する上で信条としている三つの言葉)

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■インタビューを終えて
 百合子さんの「良い話を一般の方々に伝えたい」という情熱に感銘を受けました。大きな映画製作会社とは違い、ファンドレイジング活動も行いながら映画製作もしなければならないと聞き、苦労されている様子でした。福田9段のドキュメンタリー作品が早く完成し、これまでの苦労が報われる日が来るよう願いたいものです。映画製作への寄付はFlying Carpのウェブサイトとhttp://documentaries.org/cid-films/be-strong/からできるようになってます。

(BaySpo 2010/12/17号 掲載)

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