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| 文化スポーツ編 Vol.43 |
太田光信 さん |
宮城県仙台市出身。国際基督教大学在学中に少林寺拳法に出会い、少林寺拳法普及のため渡米。「少林寺武道専門学校」で教官、少林寺拳法本部国際部長を経て、東洋武術の訓練・研究を進める中で、東洋医学に目覚め中医の道を目指す。その後、中国形意拳の世界的大家、尤彭熙老師と欧陽敏師母に出会い、日本人として初めての直系弟子となる。日本に気功道場を設立、サンマテオには東洋医学治療医院、太田気功道場を設立し、現在に至る。
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「癒しと再生への道」をテーマに全エネルギーを注ぐ |
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触らずして気で人を動かす気功家として日本のテレビ番組でも数多く取り上げられた気功武術家の太田光信さん。東洋医学の医師でもあり、サンマテオの道場で気功を併せた治療を行いながら気功を教えている太田さんに、これまでの道のりや現在の暮らしぶりを聞いた。 |
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気功武術家(Mitsunobu Ota) | BaySpo 1140号(2010/09/24)掲載 |
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気功の道に入ったのは? 日本では大学在学中から少林寺拳法をやっていまして、1972年に少林寺拳法の普及のために渡米し、少林寺武道専門学校の教官と国際部部長を務めました。拳法を続けていく中でやはりどうしても多いのが怪我だったので、いつからか、「こうやって壊すことばかりやっていていいのか、せめて練習相手を治すことはできないものか」と考えるようになり、そこから鍼灸など中医の道を目指すようになったんです。そんな縁で出会ったのが、大先生と呼んでいる私の師、尤彭熙(ユー・ホウキ)老師と欧陽敏(オー・ヨウビン)師母でした。中国には「大成した拳法」といわれる「形意拳」という武術があり、両師ともその創始者の直弟子として中国でも有名な武術家でした。特にユー先生は「形意拳」を、相手に触らずに気でコントロールする「空勁」という武術に発展させた人物でしたが、大家であった二人は文化大革命が起こったことでアメリカに亡命し、サンフランシスコに住んでいらっしゃったんです。その噂を聞き、本当にそんなすごい人がいるの?と最初は物見遊山の気持ちで会いに行ったのですが、この出会いが私の人生をがらりと変えてしまいました。
初めて師に会ったときの印象は? それはもう怖かったですよ。迫力がすさまじくて、目なんかまともに見られなかったですね。私も少林寺拳法をやっていましたが、突き方ひとつをとっても普通じゃない衝撃で飛ばすところを見て、頭からガンとショックを受けた感じでした。「これは一体何なんだ」と。なんとか入門して空勁を学びたいとお願いしましたが、最初は何度も断れました。ある時「日本に帰って人に見せたいんだろう」と言われたものですから、「いえ、自分は東洋医学の医者でもあるから、これを芸術の域まで高めて、人を治すことをしたい」と自分の気持ちを伝えたんです。そしたらフンと鼻で笑われましてね。それでも、「じゃあいっぺん来い」と言ってくださいました。
入門後、どんな訓練を? 最初は何も教えてくれないんです。低い姿勢で立ってろ、なんて言われて。でもそこに気で負荷をかけられるので、足はブルブル震えてくるし、ゲップも出るしで、体がめちゃくちゃな状態になるんです。それに1時間くらい耐えたときに本当に入門を許してもらえました。ほかにも、想像上の水がめを中腰になって持ち上げ、それを横の地面に置くという動作を繰り返す訓練もありました。途中からその水がめに先生が気を入れていくので、存在しないはずの水がめがどんどん重くなってくるんです。この動作を延々繰り返すと、頭の中が空になって、体の芯に筋肉がしっかりとついてブレなくなります。すると体のコーディネーションがよくなりますから、運動だけでなく、書道や茶道のお点前も上達させられますよ。
太田さんの気功について 人に教えてもいいという許可をもらったのは1992年でした。その後、空勁をはじめとする東洋武術を、より日本人の身体的、文化的特徴にあった「神意拳」というものに発展させて、現在は東京とサンマテオの道場で教えながら、「癒しと再生への道」をテーマに鍼灸も併せて治療を行っています。気の治療では不思議なことがよく起こります。先日も、脳内出血を起こして後遺症を持つ患者さんを治療したのですが、後でその方から「大変だ、鼻から出血が始まった」という電話がありました。私は「それはいいじゃないですか」と答えました。それは脳内の血が鼻から出たということで、結局その方は、後遺症がなくなって完治したということがありました。ケガ、病をすべてこういった方法で取り除いた後、生まれ変わって再び元気に生きていってもらいたいという願いで全てのエネルギーを注いでいます。
1日のスケジュール 起床は6時前です。いい気が流れている早朝に瞑想します。本当は4時半から5時半くらいまでがすごくいい気が流れています。午前10時から患者さんを診ますが、それぞれの治療が終わるごとに気を浄化するために瞑想をします。夜も一日の浄化のための瞑想をして、寝るのは1時くらい。瞑想すると睡眠時間がそれほど長く必要なくなります。
休みの日の過ごし方 土曜日は道場と治療がありますが、日曜日は欧陽敏先生に会いにいくことが多いです。先生は現在100歳を過ぎていますが、まだまだ健在でサンフランシスコに住んでいます。先生には、百会(ヒャクエ:頭頂部にあるツボ)に手を置いてもらうだけで力をもらえます。
いい気を持つためのアドバイスは? マイナスのイメージを持たないこと。嫌なことがあっても一瞬目を閉じて、悪い言霊を出さずに、さっと青空を見上げて忘れることです。特にベイエリアの空はきれいですからね。それから、人は誰でも、必ずどこかに出会わなくてはいけない何かがあります。気のエネルギーを強めると、あまり遠回りせずに、必要なことに絶妙のタイミングで出会えるようになります。
1億円当たったらその使い道は? ベイエリア中の東洋人が集まれるアジアの文化センターのような場を作れたらと思います。中国人や韓国人、日本人と分かれるのではなく、みんなが集まって文化を互いに伝え合って交流できるスペースです。私は中国人との交流が深かったので、特にこう感じるのです。
自分を動物に例えると? 練習をしていたときの私の動きから、大先生には「チーター」と呼ばれたことがありましたが、当時は体重もあったので、家内には「クマ」と呼ばれていました(笑)。
一番好きな場所 スペインのグラナダでしょうか。拳法の講習で何度も行きました。人間も水もいいところですね。洞窟の中でフラメンコを観たのは素晴らしい思い出です。
最近日本に行って驚いたこと 日本には大体一年に一度行って講演会などをします。日本は様変わりしましたね。特に若者のマナーの悪さ。電車の中で立ってそばを食べてる人を見かけた時には驚きました。
日本から持ってくるもの カステラや京都の薬味を買ってきます。
日本に郷愁を感じるとき 温泉に入りたい時です。私の地元である東北には温泉がいっぱいありまして、子どもの頃からよく連れられていましたから、私は温泉で育ったようなものです。湯船のすぐそばで瞑想すると気持ちがいいですね。
よく行くレストランは? 私はお肉をあまり食べないので、家で食べることの方が多いのですが、プレザントンの「Sato Japanese Restaurant」はこだわりがあって、きっちりした仕事をしているので気に入っています。それからサンタクララの「en」も好きです。
今後の自分に期待すること 「100歳クラブ」というのを結成していまして、私の先生のように、みんなで100歳まで生きてなお自立できることを目指し、いろいろ研究しています。そのためにももっともっと気を強めていきたいですね。
座右の銘は? 「真善美愛」。全ての意味で最高至高、極限にまで高めることを目指すという言葉です。
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インタビューを終えて 太田さんが日本のテレビ番組に出演したときのビデオを事前に観たところ、そこには、プロのスポーツ選手や格闘家達を次々にふっ飛ばす太田さんの力強い姿が。心して会いに行きましたが(笑)、現れた太田さんはビデオの中とはまた少し違った、「癒し系」の迫力をまとっていたように感じました。先生である欧陽敏師母からの指導で、当時は武術を磨くために体重をつけ、どんどんトレーニングを重ねていた時期、今は体重もぐっと落とし瞑想を深める時期であるのだそう。一生をかけた修行をされている姿に感銘を受けました。
(BaySpo 2010/09/24号 掲載) |
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