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| 一般編 Vol.111 |
斉藤 巽さん |
埼玉県出身。東松山高校を卒業後、航空自衛隊、移動通信部隊に入隊。1971年に渡米、サンフランシスコに住み始める。バーテンダーとして活躍した後、ビダルサスーン美容学校へ。同学校のコンテスト・カット部門で優勝した経歴を持つ。25年前より「ヘアたつみ」を経営。趣味はジャズドラムと将棋。ジャズバンド「Not Yet」でドラマーとして活躍中。 |
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初めてハサミで切った瞬間、「こりゃすごい!」 |
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ここサンフランシスコで25年近く美容室「ヘアたつみ」を経営する“たつみさん”こと斉藤さん。美容師という顔のほかに、ジャズバンド「Not Yet」で活躍するジャズドラマーとしても知られている。たつみさんが見つめてきたサンフランシスコや日本町について、そして現在の暮らしぶりについて話を聞いた。
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美容師(Tatsumi Saito) | BaySpo 1119号(2010/04/30)掲載 |
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ベイエリアに来たきっかけは? まずひとつ、きっかけだったのが失恋。当時付き合っていた女性が在日朝鮮人だったんだけど、家族をはじめ、ずいぶんと周囲の反対にあってね。日本では航空自衛隊の移動通信隊というところに所属していたんだけど、当時、ソ連や北朝鮮、韓国なんかはまだ敵国という意識があって、人種差別は今以上に凄かった。自衛隊の隊長からも、敵国の彼女と付き合っていくならこれ以上ここで働けないとまでいわれて、表向きは怪我で第一線を離れたということになったけど、もう日本にはいられないと思ったんだよ。それで、姉が住んでいるアメリカにでも行ってみようかという気になったわけ。当時からジャズをやっていたんで、ニューオリンズで本場の音を聴いてみたいという気持ちもあってね。
初めて聴いたアメリカのジャズは? 結局お金がなくてニューオリンズには行けなかったんだけど、サンフランシスコでもフィルモアをはじめ、あちこちでジャズが盛り上がっていたからね。初めて生の演奏を聴いたのは、日本町にあった「地獄」というクラブ。エディー・マーシャルっていうトップのジャズドラマーの演奏を聴いたんだけど、やっぱり本場の音は違うと衝撃を受けたよね。ラッキーなことに、後から彼に弟子入りすることができたし、今、店に置いてあるこのドラムセットは彼が使っていたものなんだよ。
当時のベイエリアの印象は? エアポートからのフリーウェイが印象的だったね。日本では片側4車線なんて見たことなかったから。道路もできたばかりできれいだった。それからオーシャンビーチの砂浜や、サンセットブルバードから海岸の方は、お菓子の家みたいなのが建ち並んでいて、本当に綺麗だった。人もすごくおおらかだったよ。
サンフランシスコに来てからは? 「東京スキヤキ」というレストランで働きながらお金を貯めて、「アメリカン・バーテンダー・スクール」というバーテンダーの学校に通いました。そこはニューヨークスタイルのカクテルを教えるところで、カリフォルニアの大雑把なスタイルとはだいぶん違うんだよ。一滴、二滴の単位で繊細に調整して作る。一通りのプログラムは3ヶ月くらいのコースなんだけど、僕は日本から来て英語も酒も何もわからないから、人より長くかかったんだよね。そんな僕を見た校長先生が「3ヶ月のあとは無料でいいから、毎日通いなさい」と言ってくれて、結局一年くらい通ったかな。 学校を終えた後は、エンバーカデロにあった「カウカウ・ガーデン」というハワイアンレストランでバーテンをしていたんだけど、あるアメリカ人のバーテンが「たつみの作るカクテルは違う、教わりたい」と言ってきてね。今度は僕が毎日、無料で彼に教えてあげることになったわけ。ある時そのバーテンが、元サウサリート市長のパーティーでカクテルを作ったことがあったんだけど、そのカクテルがえらく褒められたらしいんだよ。どこで習ったのかと聞かれたときに、彼が「たつみという日本人から習った」と答えたら、今度は僕までその元市長にディナーに招待された、といったこともありました。美容師になってからも、しばらくはバーテンも続けてたね。
美容師になったのは? 姉もサンフランシスコで美容師をしていたんだよね。昔は美容師なんて男のする仕事じゃない、なんて思っていたんだけど、美容学校で初めてハサミを持ってモデルの髪を切った瞬間、「あ、こりゃすごい!」と思った。奥が深くて勉強のし甲斐があるな、と。学校に通ったのは、レストランともうひとつ、用務員の仕事を掛け持ちしながらだったから当時は寝る暇もないくらいだったけど、これを一生の仕事にしようと決めたんだよね。
ヘアカットのコンテストで優勝したことがあるそうですが ビダルサスーンのトレーニングスクールに通っていたんだけど、在学中にビダルサスーンコンテストのカット部門で優勝したことがあるんだよ。今でもカットの後は、ちゃんと気に入ってくれたかな、と心配になるけど、やっぱり面白くてやめられないね。
当時の日本町について 渡米してきたのは、ちょうどその一年前にジャパンセンターができたばかりという頃だったんだけど、辺りには日本人は今の100倍はいたよ。ちょうど日本では政府関係でなくても、一般の個人もパスポートを持って海外に行けるようになってきた時期で、高度経済成長ということもあって商社マンが多かったなぁ。いわゆる新一世の走り。夜はピアノバーが流行っていて、どこも並ばないと入れないくらい大盛況だったね。そんな昔の姿はもう帰ってこないから、日本町は新しい世代の姿を目指した方がいいと思う。もう新しい人たちの時代だよ。去年オープンしたポップカルチャーセンターの「NEW PEOPLE」は素晴らしいと思う。ベイスポだってそうだよ。新しいことに挑戦したんだから。二番煎じはダメ。新しいことを追い求めていかないとね。
英語を使うということ 今でも難しい話になると大変だけど、わからなくても勉強する。一度、テレビと日本の本を全部捨てちゃったことがあった。そしたらドラムも将棋も上手になるかな、と思って。なっているはずなんだけどね(笑)。今でもテレビは見ないよ。
将棋はいつから? アメリカに来てから。サンフランシスコ太鼓道場・代表の田中誠一さんに「将棋をやらないなんて日本人じゃないぞ」なんて言われてから、頭にきてやるようになったんだ(笑)。サンフランシスコ将棋クラブで毎月指しています。
映画や写真集にも登場しているそうですが? アカデミーオブアート出身のユー・キム監督の「A Day」っていう作品に、ガーデアンアンジェルっていう死んだ人を神様のところに連れて行く役で出たんだ。英語、日本語、韓国語の3ヶ国語の作品で、僕の台詞は全部、日本語。韓国の映画祭で上映されたらしいけどね。 僕が出た写真展はちょうど4月の末までSOMArtsでやっていた、写真家キャンダシー・テイラーの「ビューティーショップカルチャー」っていう展示で、コミュニティーに根ざした美容室を通して、アイデンティティーや人種とかを写し出した一連の作品集だったね。
住んでいる場所 サンセットにある家で犬と猫と一緒に住んでいます。
ドラムはいつ叩く? ほぼ毎日叩いています。店にドラムを置いてあるんだけど、営業の前から後に叩いています。
乗っている車 マツダのミヤタ。オープンカーに乗っています。バイクはハーレーと76年製アンティークのホンダCB400です。
1億円当たったとしたら、その使い道 従業員達が家を買うために、頭金として援助します。
お気入り日本食レストランは? サンセットの「五右衛門」によく行きます。
日本に戻る頻度は? 最後に帰ったのは、20年以上も前。その頃すでに自分が外国人みたいだと感じたから、今行ったらどうなるかわかんないね。
5年後の目標は? 店を続けていたい。大好きだから。
<インタビューを終えて> 大きなドラムセットがあり、たつみさんのトレードマークでもある帽子がいくつもかかっている、「たつみさんらしさ」溢れる店内で、お話を伺いました。「この帽子はサンタナに真似されたんだよ」と冗談を連発しながら楽しく話を聞かせてくれました。常連さん達は、たつみさんの腕はもとより、そんな温かい人柄にも惹かれて通ってくるのでしょう。
たつみさんに5つの質問!
最も印象に残っている本は? 山崎豊子の「沈まぬ太陽」は面白くて印象に残っています。
最近読んだ本は? 近所に住むSteven Winnという作家が書いた「Come Back Como」という小説を読みました。
子どもの頃なりたかった職業は? どこか辺ぴな村の「おまわりさん」になりたかったな。自転車に乗って、「悪いやつは入れさせないぞ!」と見回ってね。
好きな場所は? 店でドラムセットの前に座ってるのが一番好きだな。
座右の銘は? やれば何でもできる!
(BaySpo 2010/04/30号 掲載) |
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