文化芸能編  Vol.32
中條 ベンさん
 1942年、アイダホ州ミニドカ生まれ。小学生の頃ベイエリアに移り住む。サンフランシスコ州立大学にて歴史学、文化人類学を学ぶ。卒業後は日本航空に勤務し、サンフランシスコ日本町の都ホテル建設に深く関わる。1967年の第1回北加桜祭り以来現在まで、実行委員をつとめている
日本町に若いエネルギーを
 桜祭り実行委員を1967年の第1回から務めているベンさん。サンフランシスコ日本町では知らない人はいないというほど、日本町の開発や発展に深く関わり、そして今現在もなおボランティア活動などを通じて日本町の活性化のために尽力されています。そんなベンさんにベイエリアでの生活についてお話を伺いました。
中條 ベンさん

(Benh Nakajo)BaySpo 1272号(2013/04/12)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 私はアイダホ州のミニドカという町で生まれました。当時はまだ戦時中で、そこには日系人の収容所があったためです。この頃の記憶はほとんどありません。それからしばらくして、家族でユタ州のソルトレイクシティに移り住みました。そこには割りと大きな日系コミュニティーがあったのを覚えています。私が9歳の時、祖父に会いに母と一緒に数週間の滞在予定で初めて日本に行ったのですが、その間にソルトレイクシティにいた父が突然病気で亡くなってしまい、母は日本に残るかアメリカに帰るか決断できずにいました。結局、数週間の滞在のはずが1、2年の滞在となり、現地の学校にも通いましたが、当時はまったく日本語を話すことができなかったため、よくいじめられました。後にインターナショナルスクールに少しだけ通うことができたので良かったですが、当時は日本での生活が本当に嫌でした。二度と日本に住むものか、と思ったほどです(笑)。その後、母は私たち兄弟を連れてアメリカに戻ることを決意し、親戚の住んでいたサンノゼに引越しました。しかし、当時住んでいた家は不便な場所にあったので、後にサンフランシスコに引越して、それ以来ずっとサンフランシスコに住んでいます。その頃はちょうど日本町やウエスタン・アディションのあたりが、再開発に伴って大きく発展し始めたころでした。私の家族は皆60年代、70年代にかけて、コミュニティ活動に熱心でしたので、よくサンフランシスコ出身だと思われていますが、実は違うんですよ(笑)。

ベイエリアの印象
 ベイエリアは本当に多様な町だと思います。世界中のあらゆるところから人が集まり、娯楽や食などからさまざまな文化、伝統を発見できます。ちょっと足を延ばせば素晴らしい自然を見ることができるのも魅力だと思います。気候もいいですし、アジア系の人口も大きいので私にとってはとても住みやすい場所です。

自分の専門分野について
 「コミュニティーボランティア」だと思っています。長い間JALに勤めていましたが現在はリタイアし、桜祭りの実行委員や日本町の気持会のボードメンバーとして、地域の活性化に努めています。あとは、ときどき友人のお店をパートタイムで手伝ったりもしています。

その道に進むことになったきっかけ
 徴兵から戻ってきた頃、ちょうどJALの求人広告をみて応募しました。4年ほど勤務した後、サンフランシスコ日本町に建設計画のあった都ホテルをオープンさせるために、系列のウエスタン・インターナショナルホテルに移りました。その頃はホテルをオープンさせるために朝から晩まで本当に忙しく働いていたのを覚えています。その後、またJALに戻って2006年にリタイアしました。

日本語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 日本語がネイティブだったら、日本文化に対してもっと深く関わる機会があっただろうと思いますね。少しは話せますが、読み書きはまったくできないし、知っている単語数が少ないので英語と日本語が混ざってしまいます。日本語の本や雑誌などを見ると、どんなことが書かれているのだろうといつも考えています。もしネイティブだったらきっと人生は大きく変わっていたでしょうね。もしかしたら日本で働いていたかもしれないし、まったく違うことをしていたかもしれません。
 
生まれて初めてなりたいと思った職業
 私はいつも世界を見たいと思っていました。さまざまな場所、人種に魅力を感じます。そのような考えがあって大学時代も歴史や文化人類学を進んで勉強していたのだと思います。もしかしたらホテルビジネスに関わったのもこういった背景があったからなのかもしれません。

いまの仕事に就いていなかったら
 もしお金があれば、世界のいろんなところを旅行したいですね。幸運なことに今までに多くの国に旅行に行く機会があり異なる文化や伝統を見てきましたが、まだまだ行ってみたい場所はたくさんあります!
 
現在、住んでいる家
 日本町にあるアパートに住んでいます。旅行中に買ったお土産や出土品などがたくさんあり、まるでアンティークショップのようです。小さい場所ですがとても気に入っています。
 
乗っている車
 1982年のNissan Maximaです。とても古い車ですが大好きです。Datsun(かつての日産自動車を代表する小型車レンジのブランドの1つ)っぽさと、Nissanっぽさが合わさった感じのモデルです。
 
睡眠時間・起床時間・就寝時間
 だいたい11時半から12時頃には寝て、7時半くらいには起きます。ゆっくり寝たいときもあるのですが、もうそれが習慣になってきています。

休日の過ごし方
 残念ながら、週末は働いているんです。土曜日も日曜日も。平日はプライベートな用事を入れたりボランティア活動をしたりしているので、あまり休みの日はないですね。リラックスできる休みの日があれば、本を読んだり、映画やショーを見たり、観光したりしたいですね。
 
好きな場所
 住む場所としてならサンフランシスコ。訪れる場所としては、東京かタイですね。
 
最もお気に入りのレストラン
 私はあまり食にこだわるタイプではないので、特には思いつきません。日本町にあるレストランはおいしいし、値段も手頃なのでいいですね。May's Coffee Shopは美味しいし、オープンスペースに座ることができるので、知り合いを見かけたり、声をかけられたりするので気にっています。
 
1億円当たったとして、その使い道
 おおっ! 1億円ですか! まずは自分に必要な分はとっておきます。あとは家族や友人に。それからいろいろな所に旅行に行きたいですね。あとは、世の中のためになるような寄付をしたいです。 

日本に戻る頻度
 1年に1度か2度ほど。

最近日本に戻って驚いたこと
 街の移り変わりの速さですかね。1年前にいった場所にもう1度行ってみると、すでにその建物がなくなっている、店舗が変わっている、といったことは良くあります。 

日本に持って行くお土産
 どこに行って誰に会うかにもよりますが、カリフォルニアのキャンディーやナッツなどでしょうか。リクエストがあればそれを持っていきますが、こちらにあって日本にないものを選ぶようにしていますが、難しいですね。
 
日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 民芸品や木でできた仏陀の彫像などの骨董品。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 犯罪の多さ。

現在のベイエリア生活で不便を感じるとき
 道のコンディションが悪いことでしょうか。 
 
日本に郷愁を感じるとき
 やはり、日本の清潔さ、人々のマナーやサービスの良さを思い出すときですかね。日本は(特に東京は)電車や地下鉄のシステムがしっかりしているし、食べ物も手頃な値段で美味しいものが食べられますしね。

お勧めの観光地
 今まで訪れたことのある国すべて。

5年後の自分に期待すること
 優先順位を決め、目標を持っていたいですね。安定していて充実した楽しい生活を送り、社会やコミュニティにとって何か役に立っていたいです。あとは健康でありたいですね。
永住したい都市
 サンフランシスコ。

最近読んだ本
『Public Japanese Gardens Northern California』。David M. Newcomer著。

最も印象に残っている映画
『Harp of Burma(ビルマの竪琴)』

座右の銘は?
『To have enough to meet our needs, not enough to meet our greed』

(BaySpo 2013/04/12号 掲載)

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