文化芸能編  Vol.155
スティーブン ボーゲルさん
 ボストン出身。プリンストン大学在学中インターンシップで当時の国務大臣、伊藤宗一郎氏の秘書を経験。大学卒業後には外国人初のフルタイムの記者としてJapan Timesに勤務。現在はUCバークレーCenter for Japanese Studies所長、政治学部教授。先進国、主に日本の政治経済が専門。著書に『Japan Remodeled : How Government and Industry Are Reforming Japanese Capitalism』などがある。
次の世代の「日本エキスパート」を育てる
UCバークレーで政治経済学の教授として教鞭を執っていらっしゃるスティーブンさん。専門は先進国の政治の比較研究だそうですが、同時に同大学の日本学研究所でも所長として「次世代の日本エキスパート」育成のために尽力されています。そんなスティーブンさんにお話を伺いました。
スティーブン ボーゲルさん

(Steven Vogel)BaySpo 1289号(2013/08/09)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 私はボストン出身ですが、初めてベイエリアに来たのは1986年で政治学の博士号(Ph.D)取得のためにUCバークレーに来たのがきっかけです。その後、1993年に博士課程を修了し、UCアーバインで2年、ハーバード大学で4年間助教として教鞭を執った後、母校であるUCバークレーに准教授として採用され、2006年より教授となりました。

ベイエリアの印象
 初めてバークレーに来たときはちょっとしたカルチャーショックを受けました。やはり私が育った東海岸とは住む「人」が違うなと感じました。西海岸の人は誰に対してもフレンドリーですよね。東海岸はもう少し冷たいんです。実はUCバークレーに来た頃は、正直、スタンフォード大学にすれば良かったと思っていました。スタンフォード大学は私が学部時代に通っていたプリンストン大学と雰囲気がとても似ていて、とても静かでのんびりしていたのですが、UCバークレーはキャンパスの大きさのわりに生徒数が多くにぎやかなので、まるで東京の新宿駅のようだと思っていました(笑)。しかし、すぐにそのバークレーのエネルギッシュなところが好きになり、今ではバークレーが大好きです。

専門分野について
 私の専門は比較政治経済で、特に日本の政治経済についてです。日本とアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスといった先進国との政治経済についての比較研究をしています。

その道に進むことになったきっかけ
 私の父は学者なのですが、父の仕事の都合で私が13歳のときに日本に家族で長期滞在することになったんです。当時日本語はまったく話せませんでしたが、私はインターナショナルスクールではなく、東京にある啓明学園という高校に通いました。その学校は帰国子女が多い学校でしたが、卒業する頃には日本語は大分上達し、無事卒業することができました。その後、プリンストン大学で国際情勢について学び、大学3年生と4年生の夏休みに、インターンシップで当時の日本の国務大臣であり防衛庁長官であった伊藤宗一郎氏の秘書を経験しました。外国人だったのでとても珍しがられましたが、「日本の政治とは何か」がとてもよくわかり、大変勉強になりました。お茶汲みから名刺整理、選挙区の人のお世話(主に国会のツアーですが)など、何でもしていました。初めは「なんでこんなことを?」と不満に思っていましたが、後に「これが日本の政治なのか!」と理解できるようになりました。大学卒業後には、外国人として初めてJapan Timesでフルタイムの記者として2年間ほど働きました。その後、ジャーナリズムの世界からアカデミックの世界にまた戻りたいと思い、大学に戻ってきました。

日本語で失敗したエピソード
 13歳で日本に行ったときは全く日本語がわかりませんでした。登校初日には、寮の友達が私を教室に連れて行ってくれたのですが間違った教室で、私はそれに気付いていたのですが日本語で伝えることができず困っていました。すると、教室に入ってきたのは英語の先生で「教室ちがうよ」と英語で言われ、「わかってたよ!」という思いをしたこともありました。また、初めて日本語のスピーチコンテスト(弁論大会)に出場した時に「当時住んでいた寮で、出されたスポンジケーキをお箸で食べなければならず、どのように食べたらいいかわからなかった」という話をしたのですが、クラスメイトたちはその話をとても面白く感じてくれたようです。また、ある日、電車に乗っていたら日本人の酔っ払いが乗ってきたのですが、突然、いかに外国人が日本語を話せないかについて文句を言ってきたことがありました。当時は反論できるほどの日本語力がなかったので悔しい思いをしました。しかし、それがモチベーションとなってもっと日本語を勉強できて良かったと思っています。

日本語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 日本語で学術論文を書いてみたいですね。実際はあまり長い文章や複雑な文章は書けませんから。

日本学研究所(Center for Japanese Studies)とは
 日本学研究所とは、UCバークレーでの日本研究に携わる教員や大学院生の研究活動をサポートする研究機関で、学際的なプログラムの運営やネットワーク作りを行っています。また、さまざまなプログラムやイベントがあり、今年は世界的なミュージシャン、コンポーザー、プロデューサーの坂本龍一さんに「The Berkeley Japan Prize」が授与されました。この賞は毎年グローバルな舞台で日本や日本文化を伝え広めることに大きく貢献した方に授与する功労賞で、今年で3回目でした。過去には作家の村上春樹さんや映画監督の宮崎駿さんも受賞しています。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 典型的なアメリカ人の男の子のようですが、フットボールの選手になりたいと思っていました。しかし7年生の頃にフットボール選手のような体格にはなれないだろうと気付いて断念しました・・・。

現在住んでいる家
 4ベッドルームの家に住んでいます。妻と3人の子ども達と、犬が1匹います。私の息子はこの秋から大学生になり、上の娘はボーディングスクールに通う予定です。

乗っている車
 Toyota Camry Hybrid

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 毎日11時には寝て、朝は6時か7時ごろには起きます。7〜8時間は寝るようにしています。

休日の過ごし方
 妻と子ども達と過ごすのが好きです。妻と私は映画やコンサート(妻は特にロックのコンサート)、旅行が好きです。子ども達とはゲームやスポーツをしたり、おしゃべりをしたりするのが好きです。

好きな場所
 いろいろありますが・・・私のバックヤード、UCバークレーのキャンパス、サンフランシスコ、パリですね。

最もお気に入りのレストラン
 Chez Panisse、Gary Danko

よく利用する日本食レストラン
 バークレーにある「キララ」。私の娘はオークランドにある「Takara Sushi」が好きでよく足を運ぶようです。

1億円当たったとして、その使い道
 取り敢えず投資します。そして良い使い道を考えてから、社会貢献になり得るよう使われるべきところに使いたいと思います。

最近日本に帰って驚いたこと
 私は1年に1度か2度、日本に行ってスナップ写真を撮るのが好きなんです。なぜかというと、日本という国のムードの変化がわかるからです。例えば2009年の11月には、人々は新しい民主党政権が誕生したことで、国全体に高揚感がありましたが、2010年6月には人々はもう幻滅していました。東日本大震災後はさらに落ち込んだムードになったように思います。

日本に持っていくお土産
 Ghirardelliのチョコレート

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 柿ピー!

永住したい都市
 バークレーかサンフランシスコ

最も印象に残っている本
 Karl Polanyi『The Great Transformation』

最も印象に残っている映画
 『Gandhi』

自分を動物に例えると
 犬。フレンドリーで忠実だから。

(BaySpo 2013/08/09号 掲載)

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