一般編  Vol.163
上野 正安さん
札幌市出身。東大教養学科アメリカ科卒。住友銀行入行後、コロンビア大学大学院留学。カナダ住友銀行頭取から山之内製薬に転籍、ベイエリアに本社のあるシャクリー・コーポレーション筆頭副社長、山之内製薬常務取締役、日本シャクリー社長を歴任して引退。ベイエリアではアジア美術館評議員(市長任命職)、ジャパン・ソサエティー副会長等の社会活動に従事。現在、ジャパンクラブ会長。(www.jpclub.org)
国際派日本人の先駆けとして渡米
1960年にコロンビア大学大学院に留学、日本企業の国際化が黎明期の76年に渡米、計22年間を海外で勉強、勤務した上野さんは、89年のサンフランシスコ大地震を被災、その体験と95年の阪神淡路大震災を機にNPOジャパンクラブを設立。今回は上野さんにベイエリアでの暮らしぶりについて伺いました。
上野  正安さん

(Masayasu Ueno)BaySpo 1322号(2014/03/28)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 初めて渡米したのは1960年にニューヨークのコロンビア大学大学院(国際関係論専攻)に入学したときです。ベイエリアにはそれから16年後の1976年に加州住友銀行(カリフォルニア・バンク・アンド・トラストの前身)の取締役総務部長として赴任しました。

ベイエリアの印象
 同じアメリカでも東部とベイエリアでは気候、風土、文化、どれも別の国のように感じました。ベイエリアの澄んだ空気と透き通るような青い空は住んでいると気がつきませんが、かけがえの無いものですね。

自分の専門分野について
 サラリーマン生活40年のうち、 若いころは調査・情報の専門家で、東京、ニューヨーク、ワシントンで計17年間、その分野を担当しました。最後の14年間は銀行および一般企業の経営の仕事をしました。

その道に進むことになったきっかけ
 銀行員になったのは若いうちは出来るだけ幅広い仕事がしたかったためです。銀行から山之内製薬(現アステラス製薬)に移ったのは銀行が関係する大型M&Aに絡んで必要とされたからです。

英語で仕事をするということ
 就職した1960年代ごろは、ちょうど日本の国際化が端緒についたころなので、留学経験のある私はフルに国際化の先兵にさせられました。そんなことで私のサラリーマン生活40年のうち、留学も含めると実に22年間、海外で英語を使いながら仕事をしたことになります。特に山之内製薬に移籍後の7年間は、4000人の従業員中、日本人は私1人だったので逆にその時は、英語で仕事をするという意識はありませんでした。

英語で失敗したエピソード
 私が学んだ英語の語彙は主として観念語であり、具体語に関しては小学生並であることを、たびたび痛感させられました。あるとき、空港に着いてリムジンを呼び出した際、相手が言った車の色「マルーン(えんじ色)」が分からずに何度も説明を求めたら、最後は「Maroon is maroon」と言って電話を切られました。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 アメリカで仕事をする以上、もちろん英語は上手くなくてはなりませんが、同時に語学とは別の人柄、見識、文化的背景等も大切です。特に経営の立場からは最後はどれだけお互いに信頼関係を築けるかにかかって来ます。私の体験から言えることはそんなことです。

あなたにとって仕事とは?
 この地球上のあらゆる生命体は、生きるためにせっせと仕事をしています。人間もその例外ではありません。仕事をしないですんでいるように見えるのは、たまたま自分の過去の仕事のお釣りか、他人の仕事の上前をはねているに過ぎません。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 野球少年だったのでプロ野球の選手。

いまの仕事に就いていなかったら
 若い時から文章を書くのが好きだったので小説家かジャーナリスト。実は退職後に『信頼の研究』等4冊の本を出しています。

現在、住んでいる家
 サンマテオパークに近いマンションに家内と二人で住んでいます。

乗っている車
 ベンツS320とトヨタ・カムリ。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 睡眠8時間。7時起床、11時就寝。

休日の過ごし方
 ゴルフ、読書、音楽鑑賞、クルーズ。

好きな場所
 結果的によく行く場所は、レークマーセッド・カントリークラブ。

最もお気に入りのレストラン
 サンフランシスコ市内クレメント通りにある「シャポウ」、20年以上通っています。

よく利用する日本食レストラン
 ミルブレーにある「馬車道」。

1億円当たったとして、その使い道
 若いときには自分自身のために色々ありましたが、今となってはそれを運用して運用益を私が現在会長をしているNPO団体ジャパンクラブに寄付します。

日本に戻る頻度
 年2回、春と秋。

最近日本に戻って驚いたこと
 若い女性がほぼ例外なくきれいになったように感じます。

日本に持って行くお土産
 カリフォルニア特産ナッツ類(ピスタチオ、アーモンド)、シーズのチョコレート、ワイン。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 日本酒、煎餅、佃煮。

現在のベイエリアで不便を感じること
 日常生活でのトラブルが起こったとき、それがたとえ小さくても手間がかかります。たとえば家電製品が故障したとか銀行取引でミスがあったとき。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 やはり大地震の可能性です。私自身1989年のベイエリアでの大地震を経験していましたので、1995年の阪神淡路大震災を機に有志と語り合って、NPO団体ジャパンクラブを設立しました。ジャパンクラブは災害時の相互扶助だけでなく当地での生活で知っておかなくてはならない国籍、ビザ、年金、税金等の問題も取り上げています。

日本に郷愁を感じるとき
 今は子ども達は日本にいないので、日本に帰ると友人達と温泉旅行に行きます。東北地方が多いのですが、旅館でのおもてなし、料理、地酒を思い出すとすぐにでも日本に帰りたくなります。

お勧めの観光地
 ベイエリアを起点とした所では、やはりカナディアン・ロッキーとグランドキャニオン等のキャニオン巡りが最高です。

永住したい都市
 アメリカならサンフランシスコ、日本なら京都。

5年後の自分に期待すること
 いままで通り美味しく食事が出来て、ゴルフを続けられれば文句はありません。

最も印象に残っている本
 『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ)、『文明の衝突』(サムエル・ハンチントン)。

最近読んだ本
 『人間の終わり』(フランシス・フクヤマ)、『分断されるアメリカ』(サムエル・ハンチントン)。

最も印象に残っている映画
 スタンレー・クレーマー監督の『渚にて』。核戦争による世界の終焉が描かれ、死の街となったサンフランシスコも出てきます。

最近観た映画
 『華麗なるギャツビー』。

自分を動物にたとえると?なぜ?
 ねずみです。干支がねずみで、ものをためる癖があるから。

座右の銘は?
 「人間は生きた様にしか死ねない」。日本を代表するジャーナリストで個人的な知己でもあった草柳大蔵の言葉です。

(BaySpo 2014/03/28号 掲載)

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