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| 一般編 Vol.136 |
斉藤満知子さん |
東京都・品川生まれ。慶応大学の通信で学び、24歳でドイツに渡る。帰国後は筑波大学で教授秘書をしながら、筑波市が提供する外国人への日本語クラスで教えることに。82年、結婚を機に渡米。永住権取得後、市内の幼稚園に勤務。86年、留学生のコンサルタントを兼ねたツアーコンダクトで独立経営を開始。96年、日本に一時帰国したが、99年に三人の子供をつれて再度ベイエリアに。現在はJACLと金門学園で働いている。 |
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仕事はやりながら覚えるしかない |
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1982年に結婚を機にアメリカに来た斉藤満知子さん。慣れない土地での3人の子供の育児と仕事を両立させ、現在はJACL(Japanese American Citizen League)で働いており、昨年は保険エージェントの資格も取得、ベイエリアの日系コミュニティに貢献している。また、週末は日本語学校「金門学園」で子供たちに日本語を教えており、多忙な毎日を送っている。今回はそんな日々忙しく過ごされている斉藤さんにお話を聞いた。 |
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(Michiko Saito) | BaySpo 1213号(2012/02/24)掲載 |
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ベイエリアに住むことになったきっかけ 渡米した年は、1982年です。結婚が機でしたが元々の動機は、1975年に学生でロングビーチ大学に三カ月の研修で来た時です。年代や場所がそう思わせたのかどうかわかりませんが、アメリカ人のとてもおおらかで明るいところに感激し、いつかまた戻り、その人達と混じりあいたいと願っておりました。82年からの結婚生活は、南カリフォルニアから始まったんです。永住権の申請の為にここベイエリアに移ったのは、翌年の83年です。
ベイエリアの印象は 初めはとても穏やかで交通の便利の良いところだと思いました。急な坂が多いために創られたケーブルカー、またゴールデンゲート・ブリッジの歴史、ゴールデンゲート・パークがもつ豊かな芸術等にとても感動しました。そして日本町に安らぎも感じました。昔はタイ焼きをたべながら、隣に座る人と同胞のようにおしゃべりをしたり、用事がなくても歩いたりしたものです。歴史と自然を守りながら、東に広がるダウンタウンの国際性が魅力です。ベイエリアというと、さらに大きな範囲になりますがそれぞれの場所に特色があるのではないかと思います。
現在のお仕事について 20歳の時に、教育の道を選びました。初めて生徒をもったのは21歳の時で、ロングビーチでの留学から帰って間もなくの頃でした。それ以来、塾のアルバイトの他に家業の手伝いをしながら勉学を進めておりました。24歳で、ドイツに渡る機会に恵まれ、1年半程でしたが違う国の子供達と新しい経験を積むことが出来ました。現在は、市内の金門学園で週に一度教えております。平日は、「JACL(Japanese American Citizen League)」という非営利団体の会社で多く日系の方と接しております。こちらは教育とは全く関係がありませんが、これも専門分野で州のライセンスを必要とする仕事です。昨年このライセンスをとりました。
その道に進むことになったきっかけ 週一の日本学校は、子供が日本語を学び始めた時でした。JACLでの仕事は、アメリカ市民権をとる決心をした時に、日系アメリカ人として何か貢献できる仕事をしたいと思ったところからです。
英語で仕事をするということ 日系の方とは日本語で話すばかりでなく、もちろん英語も絶えず使います。仕事の場合は業務用語が多くなりますから、それを習得すれば時には日常会話よりも話し易しくなります。相手の話しの意図を良く理解して、英語の上手・下手を気にせず丁寧に応対するよう努めております。当初心がけた事は、「怖じない・できる」と決めて始まることでした。
英語で失敗したエピソードは? いつもなので、例を出すのに困っています・・・。
英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に? 日系という前提で、同じ仕事をしていると思います。
あなたにとって仕事とは? 自己の持てるもので社会に貢献することでしょうか。雇用側と相互に善と益を育てながら、さらに向上していく事ができたら嬉しいです。
生まれて初めてなりたいと思った職業 歌い手さんでした。年代がわかってしまいますが、テレビが民家に普及した頃に育ちましたので、綺麗な着物やドレスを着て登場する歌手がとても憧れでした。
いまの仕事に就いていなかったら たぶん、すし屋です。父、叔父が日本で営業していましたので日本では家業を手伝っておりました。実は、20年前に一度市内で店を持ったことがあります。子供が三人になり、また景気の波に乗れず閉じることになりましたが、子供も手から離れた頃にはもう一度やり直しを考えたかもしれません。
現在、住んでいる家 7年前に、デーリーシティーのセラモンテに移りました。
乗っている車 ずっとフォードでしたが、10年保証を出すキアを先週買ったところです。
睡眠時間・起床時間・就寝時間 5時間から7時間の間です。6時半起床、12時迄に就寝を心がけています。
休日の過ごし方 日曜日の一日は、書類整理と家事で殆どが過ぎてしまいますが、日頃会えない友人とお茶をしたりすることが楽しみです。
好きな場所 家ですね。
最もお気に入りのレストラン 日本町にある赤とんぼ、寿司ネタも良く美味しいです。
よく利用する日本食レストラン 日本町にあるカフェマムズ。年中営業していてとても気軽に入れます。
1億円当たったとして、その使い道 知っているおばあさんやおじいさん全員に何か喜ぶことをする事、日本の津波からの復興に寄付をすること、家のローンを払い切る事、家族に配当する事。
日本に戻る頻度 今年は行きたいと思いますがもう6年ぶりです。
最近日本に戻って驚いたこと 久しく帰っていませんが、随分お店の形態・様子がユニークになったという話を聞いて驚きに似たものを感じました。
日本に持って行くお土産 壊れなくて、小さなものということでいつもチョコレートとビーフジャーキーになっています。
日本からベイエリアに持って帰ってくるもの 梅干と干しいもです。
現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき 特に、不便を感じたことはありません。
現在のベイエリア生活で不安に感じること 子供達と自分だけの家族で親類がいないことですかね。それ以外に不安というのは思いあたりません。
日本に郷愁を感じるとき 時間に追われる毎日ですが、時たま一人で何の予定も入っていない夕方です。
お勧めの観光地 お勧めするからには、自身が行ってないといけませんよね・・・ミユンヘンでしょうか。
永住したい都市 今、住んでいる所です。
5年後の自分に期待すること 健康的な生活のリズムの中で、仕事と個人の時間のバランス良く楽しめるようになること。
最も印象に残っている本 『大地』、『ジェーンエアー』、『走れメロス』いずれも小学校から中学校時代に読んだ本です。
最近読んだ本 『窓ぎわのトットちゃん』、「香峰子抄』は大好きで何度も読みます。
最も印象に残っている映画 『卒業』、『ひまわり』
最近観た映画 映画をみる時間はあまりないのですが、『アバター』は、とても印象に残っていてます。好みはプロポーザルのような楽しい恋愛ものです。家族では『ファンタステックミスターフォックス』を見ました。
自分を動物にたとえると?なぜ? 羊年なので、たぶん羊です。暖かい毛を人にシェアーできたら嬉しいです。
座右の銘は? 「愚痴より感謝」、「冬は必ず春となる」
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取材を終えて 女手一つで3人のお子さんを海外で育てあげた斉藤さん。様々な苦労があったかと思いますが、そんな苦労をみせずに前向きにお仕事をなさる姿をみて、こちらも元気をもらったような気がします。保険のライセンスを取得され、今後もますます活躍してほしいと思います。
(BaySpo 2012/02/24号 掲載) |
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