ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年 日本の大学を卒業後、アスレチックトレーナーを目指して、2003年に中西部オハイオ州にあるOtterbein Collegeに留学したのが渡米のきっかけです。卒業後1年間はLAにあるカイロプラクティックの学校に通っていたのですが、その後サンノゼにあるPalmer Westというカイロの学校に編入することになり、2007年にベイエリアに来ました。
ベイエリアの印象 アメリカの最初の3年を中西部で過ごした自分にとっては天国ですね。同じアメリカでも完全に別世界です。ベイエリアは多様性を受け入れる土壌があるので、日本人に限らず海外からの移民にとっては生活の面でもビジネスの面でも暮らしやすい場所だと思います。食べ物も日本食はもちろんそれ以外のいろんな国の選択肢があって美味しいですし、あと気候がいいので年中外でサッカーができるのが嬉しいです。
自分の専門分野について カイロプラクターとしてマウンテンビューとサンマテオでクリニックを開業して患者さんを診ています。アスレチックートレーナーの資格も持っているのでスポーツ専門と思われることもあるのですが、そんなことはなく、特にこのエリアではコンピュータの使い過ぎで腰や首・肩回りの痛みを抱えている方も多いですし、妊婦さんや育児中の方、高齢の方など様々な方がクリニックにいらっしゃいます。もちろんマラソンやサッカー、テニス、野球、ゴルフなどのスポーツ障害も診ています。専門でいうとカイロプラクティックの中でさらに専門性の高い機能神経学の学位を取っているのと、神経系や免疫系、消化器官系、内分泌系といったシステムを個別に診るのではなく、統合的に診察するFunctional Medicineと呼ばれるまだ新しい医療の分野の勉強をしています。まだどちらも分野としては新しく認知度も低いので、今後これらの医療をより一般的なものにしていければと思います。もともと自分がスポーツをしていてこの世界に入ったので、アクティブリリーステクニックやグラストンといったスポーツ障害に特に効果的な筋・筋膜療法や、TRX Suspension Trainingというプロのスポーツチームや軍隊でも使われているトレーニング機器のインストラクター資格なども持っています。
その道に進むことになったきっかけ 小さいころからいろんなスポーツをやっていて、ケガをしたときに日本の整骨院や整形外科、理学療法、カイロプラクターなどにお世話になり、自然と身体の仕組みや使い方について興味があったのが最初のきっかけだと思います。高校卒業後すぐにアスレチックトレーナーを目指して渡米することも考えていたのですが、親に頼むからとりあえずは日本の大学を出てくれと言われたのもあり、日本の大学に進学しました。その後、普通に就職活動もしてみたのですが、自分がどんな仕事をしたいか、将来的にどのような生き方をしたいかを真剣に考えた時に、どこかの企業に勤めてコンピュータの前でデスクに座っている自分の姿を想像できず、やはり一度は海外での生活を経験したいし、できればスポーツや健康に関ることをやって生きていきたいという思いが強くなって渡米を決意しました。それを許して、サポートしてくれた両親には感謝しかありません。
英語で仕事をするということ 現在のクリニックは僕以外のスタッフやドクターは全員アメリカ人なので、その間のやり取りはもちろん100パーセント英語なのですが、日本人の患者さんの診察中はずっと日本語なので、アメリカに来て10年以上になりますが今が一番生活の中で英語を使っていないと思います。大変なのはネイティブでも日本人でもなくて、英語が片言だったり、ものすごくアクセントが強い患者さんとコミュニケーションをとるときですね。
英語で失敗したエピソード 多すぎて覚えていないくらいですが、僕はESLとかなしに渡米し次の日からアメリカ人と同じ大学の授業をそのまま受けていたので、本当に周りが何を言っているかわからず、それこそいつ授業が終わったかもよく分からないレベルでした。わざと日本人が少なそうな場所を選んで留学したのですが、最初の2カ月くらいは本当にこれは無理かもしれないと思ったくらいです。オハイオ州で通っていた大学は160年くらいの歴史があるのですが、未だに僕がその学部の卒業生で唯一の日本人どころか唯一の留学生らしいです。今思えば迎え入れてくれた大学側の学部スタッフも最初は戸惑っていたのではないかと思います。
あなたにとって仕事とは? 自分がやりたいことをそのまま仕事にできていることは本当に幸せなことだと思います。極端な話、いきなり一生お金に困らないような大金が手に入って、生活のために稼ぐ必要がなくなったとしても同じようなことをしていると思います。より良い医療を提供するために生涯勉強をし続けることが必要な職業でもあることも、それも自分には合っていると思います。また自営業なのでドクターとして患者さんを診ることがもちろん一番大切なのですが、その他経営者でもあり経理でもありマーケターでもないといけないので、良くも悪くもすべてが自分の責任、やり方次第。いろんなことを学ぶ必要もあり、やり甲斐もあります。あと本業以外では、ベイエリア80年代会の幹事や、シリコンバレー大運動会や合同大学同窓会といった日系コミュニティー向けの様々なイベントの運営に携わっていて、そのような活動を通していろんな方にお会いすることができて楽しいです。
休日の過ごし方 週6で診察しているので基本は休みが日曜だけなのですが、今は日曜日の朝は毎年8月から11月限定のJYSOという日本人の子供向けのサッカー教室でコーチ兼メディカルスタッフをやっています。その後は家族で買い出しに行ったり、子供達と遊んだりします。現在2歳と3歳の男の子がいるので、大体毎週末どちらかの友達の誕生日会だったり、今のシーズンだとハロウィンパーティーのイベントなんかで予定が埋まります。休日ではないですが、自分の時間が取れるときはサッカーやバドミントンをしたり、BAJRというランニンググループに参加して走ったりしてます。
好きな場所 まずは家族のいる家、きれいな人工芝のサッカーフィールドですかね。毎年シリコンバレー大運動祭を開催している高校のフィールドとか見ると、日本じゃ大学レベルでもまずない設備なので、アメリカのスポーツを取り巻く環境をうらやましく思うと同時にテンションが上がります。
最近日本に戻って驚いたこと 大阪出身なのですが、ここ数年で梅田の北側のあたりの開発が進んでそのエリアだけ東京っぽくなってましたね。あと天王寺動物園前の一帯が「てんしば」っていうみんなの憩いの場所みたいに生まれ変わってて驚きました。
日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
オムツ、日本でしか手に入らないお菓子、調味料、子供がおじいちゃんおばあちゃんにねだって買ってもらったおもちゃ、サイズの合う服、ベルト(こっちでサイズがない)など。
現在のベイエリア生活で不安に感じること ここ数年の不動産の異常な高騰と今度はいつバブルはじけるのか、はじけたらどうなるのかってことですね。リーマンショック後はあからさまに101号線の交通量が減ったので。またこれはベイエリアに限らずですが、アメリカの医療保険のシステムが信用できないので、老後までこっちにいるのは不安ですね。あと不安ではないですが、こちらに長く住んでいると知り合って仲良くなった方を見送ってばっかりなので寂しくはあります。その分新しい出会いも多いですが。
自分を動物にたとえると? なぜ? 猿ですかね。申年生まれですし、見た目もそんな感じですし。
座右の銘 「Life’s too short to drink cheap Beer.」