一般編  Vol.219
塩川 治奈さん
大分県出身。25歳の娘と18歳の息子を持つ。同志社大学文学部卒。アイオワ州立大で学士、SFコンサベトリーで修士を取得。法政大学アメリカIT研究所のスタートアップメンバー、クパチーノ学区音楽教諭、加州音楽教員協会サンタクララ支部理事、クパチーノ市コミュニティーセンター音楽講師を務め、現在はサンノゼのチャーター・スクール、イマーション・スクールのアフタースクールでも教授中。レガート音楽院学校長。
すべての人が音楽で幸せに
アメリカの各地に住んだ後ベイエリアに来て、ここはアメリカのパラダイスだという塩川さんに、これまでのことと日ごろの暮らしぶりについて伺いました。
塩川 治奈さん

(Haruna Shiokawa)BaySpo 1459号(2016/11/11)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 2000年6月にエンジニアで台湾系アメリカ人の主人のリサーチが終了して、就職が決まると同時に自分も無事大学を卒業し、就職が決まりシリコンバレーへ。それ以前は1997年からアメリカ南部と中西部に住んで、主婦と大学生をしていました。

ベイエリアの印象
 いろいろな国の人や人種がいて、本当のメルティングポットのようだと思いました。特に、ご飯が美味しいと感じました。信じられない話ですが、ファストフードだと知らずに初めて入った「Happi House」で、「本当においしいね!」と、家族4人で涙うるうるしたのを覚えています(笑)。

自分の専門分野について
 ブロードウェイ、クラシック、オペラを主体とした声楽(ポップ・ロックも)、歌に関する、英・伊・独・仏・西・ラテン語の発音、ディクションコーチング、および音域ボイストレーニング、ピアノ、音楽理論(級試験対策)などを、幼児クラス、音楽大学受験講座まで教えています。生徒たちはローカル、州、国内、国際レベルのコンクール出て、結果も出ているので嬉しいです。

その道に進むことになったきっかけ
 日本でつらく悲しい挫折を経験し、ヒーリングと、遅ればせながらの自分探しも含め、ずっとやりかった音楽の勉強と再起をかけて、両親の猛反対を押し切り、30代半ばで渡米しました。学費が安かったアラバマ州立大学の集中英語コースに入学。この間、当時6歳だった娘と離れ離れに。1年後にオハイオの州立大に入学してから娘を呼び寄せ、在学中に下の息子を出産。子育て、大学生活、家族が生活しやすいことを考慮してアイオワ州立大学へ編入。卒業後は、当時バーリンゲームに開設された、法政大学アメリカIT研究所のスタートアップメンバーとして働きながら、SFコンサベトリーで修士号(声楽専攻・ピアノマイナー)を取得しました。やはり教えることが自分の道だと信じて、クパチーノの公立小学・中学校で音楽教師、市のコミュニティセンターの講師としてレギュラークラス、スペシャルニーズクラス、家庭がハッピーでない子供たちを教えながら、プライベートでピアノと声楽を教えることを約10年間続けていました。生徒、保護者、先生、すべての人が人種・国境・年齢を超えて、音楽を通じてハッピーになれる場所をアメリカで作る、先生と生徒が合同コンサートをやる、という夢をかなえるため、2009年にレガート音楽院を開校し現在に至ります。

英語で仕事をするということ
 おこがましいのですが、自分なりにプロになれる時間。学んできたことや経験してきたことを次の世代にパスできること。自分なりの最高の形で、音楽を様々な人種・世代とコミュニケーションし、すべての人が「レガートになれる=音楽を通じてスムーズにつながる」時間を共感、共有し、提供することです。

英語が100%ネイティブだったら
どんな仕事に?
 もっと、音楽を通してアメリカ中を飛び回って教えているかもしれません。

あなたにとって仕事とは?
 Cheesy(キザな表現)ですが、私の歩いてきた道、歴史、生きてきた証でしょうか。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 アナウンサー。父がアナウンサーだったので、物心ついたころからいつかテレビに出たいと思っていました。

いまの仕事に就いていなかったら
 音楽はいつもそばにいて、励ましたり、慰めてくれたから、ここまでやってこれたと思うので、音楽以外のことをやっていることは考えられません。

現在、住んでいる家
 ウエストサンノゼの古家です。主人が休日にDIYでリモデルしているので、購入時とほとんど変わっていません。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 5〜6時間程度。12時就寝で5時半起床。ベッドの中で事務仕事をしながら寝てしまい、翌朝、終わらなかった仕事をするために早起きしている感じです。1日が30時間だったらいいのにといつも思います。

休日の過ごし方
 高校生の生徒たちはとても忙しく、休日に振り替えレッスンをしていることが多いですが、時間のある時は主人とキャンベルのファーマーズマーケットや、サラトガのビラ・モンタルボのトレイルに散歩に出かけます。2人の子供は社会人と大学生になり、いままで主人のことはかまってあげてなかったと反省し(自立していて、辛抱強い人で良かった!)、休日はせめていい主婦をしなければと思っています。

好きな場所
 リラックスの時間を下さる、浅尾先生の鍼灸院とイズミ先生のヨガクラスです。

1億円当たったとして、その使い道
 もう50+になったので、私に音楽を芽を植え付けてくれた両親、いままで支えてくれた家族と3世代旅行に行き、残りは少しずつ軌道に乗ってきている、音楽のNPOの費用にあてたいと思います。クパチーノの小学校とサンタクララカウンティのチャータースクールで、低所得家庭の子供たちだけのための音楽レッスンをやっています。

最もお気に入りのレストラン
 キャンベルのオーストリア料理レストラン「Naschmarkt」です。シュニッツェルが最高です!

よく利用する日本食レストラン
 クパチーノの「Ajito」です。子供たちも主人もとても気に入っています。

日本に戻る頻度
 3年から5年に1度。両親が年老いてきたので、本当はもっと戻りたいです。

最近日本に戻って驚いたこと
 東京の地下鉄に乗って、「急停車しますので、吊革にしっかりとおつかまりください」というアナウンスを聞いて、日本はなんて優しい国なんだろうと驚くとともにほっとして、日本人に生まれてで良かったと思いました。今はアメリカ市民になりましたが、日本人のスピリットはしっかりといつも私の中にあります。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 特にありません! 今まで、ジプシーのようにアメリカを転々としましたが、ここはアメリカのパラダイス。もう20年近くここにいます。

日本に郷愁を感じるとき
 仕事、人間関係などで嫌なことがあったとき。四季の移り変わりや和の行事があまり感じられないとき。

お勧めの観光地
 ボストン。アメリカの歴史が最も感じられる気がするので。テネシーのアッシュランドの紅葉もおすすめです。

;永住したい都市
 音楽の都ウィーンです。『サウンドオブミュージック』は、両親が私に初めて与えてくれた音楽で、私の原点でもあります。

5年後の自分に期待すること
 もう一度学校に戻ってパワーアップして、もっとたくさんの子供たちを育てていること。クラシック音楽の本場ヨーロッパでも、初心に帰り勉強してみたいです。NPOがもっと軌道に乗って、つらさや、苦しさを抱えている子供たちが音楽をエンジョイして、音楽が慰め、励ましになるよう日々精進していること。

最も印象に残っている本
 ドナルド・キーンの『二つの母国に生きて』と、出口治明の『仕事に効く教養としての「世界史」』。

最近読んだ本
 シェリル・サンドバーグの『Lean In』と、中西輝政の『日本人として知っておきたい外交の授業』。 

自分を動物にたとえると? なぜ?
 ウサギです。気は小さいですが、フットワークは軽いから。

座右の銘
 「利他の心」「感謝」「努力」です。

(BaySpo 2016/11/11号 掲載)

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