文化芸能編  Vol.47
花柳 道弥(久保田 道子)さん
名古屋出まれ。東京の専門学校に通いながら、日本舞踊の稽古に通い、日本舞踊花柳流の師匠の資格を取得。指導者としてのキャリアをスタートさせたあとアメリカに渡米。Michiya Hanayagi Dance Studioを設立し、これまで53回のリサイタルを行っている。北カリフォルニアに留まらず、世界各国で日本の踊りを通して日本文化を伝えてきた。各国の万博や東京歌舞伎座での公演実績もある。
日本と米国のために生涯を 日本舞踊に捧げる
名古屋で生まれ、6歳のときに日本舞踊を習い始め、1947年に日本舞踊花柳流の師匠の資格を取得、東京と名古屋で踊りを指導。1954年にサンフランシスコに移住。日本舞踊花柳流指導者として広く貢献されている花柳道弥(久保田道子)さんに、ベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
花柳 道弥(久保田 道子)さん

(Michiya Hanayagi)BaySpo 1481号(2017/04/14)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 主人が2世だったため主人についてベイエリアに1954年に渡米してきました。当時は船で日本から2週間かけてアメリカに来たんですよ。渡米して最初はバークレーに住み、その後オークランドに引っ越しました。私は名古屋生まれですが、その後専門学校に通うため東京に出て、六本木に住んでいました。現在はアメリカでの生活の方が長いため、日本よりも住みやすく感じています。

踊りをはじめたきっかけ
 名古屋では芸事が東京や大阪よりも盛んだったため、両親に連れられて日本舞踊の教室に行き、芸事を始めると上手になるとされている6歳の6月6日に日本舞踊を始めました。東京の専門学校に通うために上京し、学校に通いながら稽古に励み、1947年に日本舞踊花柳流の資格を取得しました。資格取得後は東京や名古屋で教えていました。アメリカでは踊りを教える予定はなかったのですが、渡米後、バークレー大学に通う私の友人から「ジャパンナイトをやるのだけど、歌う人も踊る人もいないから踊ってくれないか」と声をかけられたため、初めてアメリカで踊りを披露しました。当時は日本から着物と扇子1本、レコードを2、3枚しか持って来ていませんでしたが、なんとか踊りを披露することができました。すると、ジャパンナイトで踊ったことをきっかけに、いろんな方々や大学から踊りを教えてくれないかとお願いされるようになりました。その2年後の1956年に稽古場を設立し、これまでに53回リサイタルを行いました。今年で教え始めて70年になりますが、これまで1000人以上の生徒さんを教えています。

踊りの先生としての仕事
 稽古場を設立した当初は、サンフランシスコに住んでいる生徒さんたちがよく習いに来ていましたが、段々と地域が広がって、稽古場での指導以外にも領事館やジャパンセンター、北加日本文化・コミュニティセンター(JCCCNC)での踊りの披露や、指導もしています。また、アメリカ各地の大学を回って指導を行い、アメリカ以外ではバンクーバー、イタリア、オーストラリア、メキシコなどへも生徒たちと一緒に訪れ、日本文化を広めています。大阪で開催された博覧会や東京歌舞伎座で講演を行ったこともあります。盆踊りは仏教会やシティホールなど、多い時で13カ所を回って指導して60年になります。時代が変化しても、盆踊りをする人がアメリカでも増えればいいという気持ちと、この文化を薄れさせたくないという思いがあり、ずっと教えてきました。おかげさまでたくさんの賞もいただき、今日まで後ろを振り返る時間もなかったほどです。

あなたにとって踊りとは
 両親が踊りを始めるきっかけを与えてくれたおかげで、ずっと踊りを続けてこれました。これだけたくさんの地で様々な行事に参加し、私の人生はほとんど踊りだったので、命と同じだと思っています。日本舞踊に誇りを持っていますし、日本の踊りを通して日本の文化を伝えられたと自負しています。

日本文化を伝えること
 大学で教えていた時は、日本へ行きたいという人が多くて、飛行機をチャーターして日本に連れて行ってツアーをしたこともありました。参加者には日系人の方もいれば白人の方もいました。外国の方に日本文化を伝えることで、日本に興味を持っていただき、それがきっかけとなって、「本物の日本を見たい、聞きたい」という人が増えて、実際に訪れる方が増えていくんだと思います。ですので、アメリカにいても正しいものを正しく伝えることが大切です。

あなたにとってのサンフランシスコ日本町
 今年で北加桜祭りは開催50周年になりますが、私はその第1回から参加しています。1968年に日本貿易センター(現ジャパンセンターモール)ができて始まった桜祭りですが、日本文化を伝えていこうと、当時は現在のホテル・カブキの一室で茶道や琴、踊りなどの催しがあり、ピースプラザでは合気道や柔道などを披露していました。また、パレードもラグナ・ストリートからフィルモア・ストリートまでと短かったんですよ。期間も桜祭りが始まった当初は3月末の3日間だけでした。今では日本町全体で様々な催しが行われ、パレードもシビックセンターから始まるなど、規模も大きくなりました。こうやって50年間続いてきたことをとても嬉しく、誇りに思いますし、サポートしてくださるボランティアの方々にも感謝しております。桜祭りの他にも、サンフランシスコ日本町のピースプラザで盆踊りを開催し、指導を続けて20年です。日本町の発展のために様々な行事に参加しています。

今後の桜祭りについて
 50周年と一口で言いますが、簡単に続くわけがありません。ボランティアの方が一生懸命に取り組み、さらに皆さんの協力があったから続いたのだと思います。日本人の和の精神でやってきたんだと思いますよ。私もその中のほんの少しでもお手伝いできたことは誇りに思います。これからも若い方々が引き継いでくださったら、まだまだ日本を宣伝できると思います。

現在、住んでいる家
 現在はオークランドにある3ベッドルーム、2バスルームの家に住んでいます。オークランドに住んで50年になりますが、もうすぐこの家もリモデルする予定です。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 毎日だいたい午前6時に起きます。テレビジャパンで放送している芸能番組を観たくて起きます。寝る時間はだいたい午後11時ですが、好きなお相撲番組が放送される日は、午前12時から開始するので、午前2時に寝ることもあります。

休日の過ごし方
 歩くことが好きで、家の周辺はもちろん、エメリービルの埠頭まで歩き、「Hong Kong East Ocean Seafood Restaurant」までご飯を食べに行ったりします。

よく利用する日本食レストラン
 バークレーボウルまで運転して買い物して自炊することが多いですが、日本食だったら「Kirala」、インド料理だったら「High Peaks Kitchen」です。

日本に戻る頻度
 年に1回ほど名古屋に戻ります。

最近日本に戻って驚いたこと
 人が多くて帰るたびに驚きます。あとは、たいした物でなくてもお値段が高いと感じます。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 交通の便でしょうか。アメリカの方が気楽に生活できますが、日本の交通の便はとてもいいです。

5年後の自分に期待すること
 自分の人生を振り返っていきたいです。これまでを振り返ると人生無駄なことはありませんでした。学んだこともたくさんありますし、今もまだ学ぶことがあります。年を取るなら楽しく年を取っていきたいと思います。

座右の銘は?
 人をねたまず羨やまず
 我が人生を切り開き
 笑顔で感謝思いやり
 人の役に立てる様
 信ずる道を進むべし

(BaySpo 2017/04/14号 掲載)

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