一般編  Vol.232
御手洗 剛さん
高校時代にペンシルバニアに留学し、東海岸の大学やメディカルスクール等を経て、現在は救命救急科准教授としてスタンフォード大学病院のICUとERに勤務する御手洗さんにベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
試練に終わりはないが成長にも終わりはない
高校時代にペンシルバニアに留学し、東海岸の大学やメディカルスクール等を経て、現在は救命救急科准教授としてスタンフォード大学病院のICUとERに勤務する御手洗さんにベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
御手洗 剛さん

(Tsuyoshi Mitarai )BaySpo 1488号(2017/06/02)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 1992年に都内の高校からペンシルバニア州にある半寮制高校に編入しました。渡米の最大の理由は、自らもアメリカでの留学経験があった両親の教育方針です。それは3人の子供たちに留学を通じて若い時に苦労をさせることで、人としての成長を促すというものでした。その後大学、医学部、研修医生活も全て東海岸だったのですが、2007年にスタンフォード大学の集中治療フェローシップを機にベイエリアに住むことになりました。

ベイエリアの印象
 寒がりで日本食が好きな自分にとっては楽園です。ここに来る前は同じアメリカといっても冬場に鼻毛が凍ったり、日本人よりもアライグマと出会う確率の方が高いような場所が多かったので余計にそう感じます。

自分の専門分野について
 内科、救命救急、集中治療の専門医です。

その道に進むことになったきっかけ
 もともと小学生のころから医療に興味があり、体の秘密、病気の秘密、ブラックジャックなどの本を読んでました。一時ビジネスと医療のどちらに進むか迷ったこともありましたが、人としての理想像と医師としての理想像が合致したのと、20歳の時に父が病死した経験が大きかったと思います。当時集中治療室で闘病生活を送っていた父がある日、「剛、お前は今家族として辛い思いをしているだろうがこの経験が将来きっと役に立つ」と言いました。20年以上たった今でも心にぽっかりと開いた穴は埋まってませんし、もっとしてあげられることがあったのではないかという罪悪感も残っています。しかしそういう感情に対する理解も含めて父の言った通りになっています。

英語で仕事をするということ
 一言で職場英語と言っても、医師たちとの会話は正しい医学専門用語を駆使した英語が必要になる一方、救急の患者さんとは限られた時間の中で逆に如何に専門用語を使わずに分かりやすい英語で話すかが大事になります。 集中治療室においては意識が無かったり、せん妄の患者さんも多く、患者さんご自身よりも家族とのコミュニケーションの方が多くなります。 ご家族にとっては自分の愛する人が突然大病を患い、生死を彷徨うことになるわけですから精神的にも肉体的にも辛い状況です。特にそういう時の医師の言葉は救いにもトラウマにもなるので、言葉の重みを意識しながら話をさせてもらっています。とはいえアメリカには色々な価値観や宗教を持った方々がいて、決まった表現が全ての人に響くわけではありません。言葉以上に大事なのは、先入観を持たずにしっかりと相手の話を聞いて気持ちを受け止め、誠意と共感を持って患者と家族に寄り添う医師としての姿勢だと思っています。

英語で失敗したエピソード
 医学生時代に子宮のオペを見学する機会があったのですが、オペが始まる前に女性の研修医から「Come in between the legs(良く見えるように患者さんの)足の間に来なさい」と言われ、寝不足だったせいか、その研修医の足の間に入ろうとして爆笑されました。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 渡米してしばらくは英語が全然喋れなくて、かなり苦しい思いをしました。しかし辛くて孤独な思いをしていたからこそ人の優しさが本当に深く心に沁みました。その時の経験が自分の土台の一部になっているので、もしネイティブでも同じ道を選んだとは思いますが、医師としての視点は違ったものになっていたと思います。

あなたにとって仕事とは?
 人間的に未熟で欠点も多い私ですが、何の打算もなく患者さんのために持っている知識、経験、技術を総動員して汗をかいている時の自分が好きなんだと思います。やればやるほど人のためを思う気持ちが大きくなり、ますますそうしたくなるという好循環が生まれます。ですから私にとって医師の仕事とは、自分の根幹となる心の湧き水を絶やさないための生き方そのものともいえます。

生まれて初めてなりたいと
思った職業
 学校の先生でした。教えるという行為はあらゆる職業で見られるもので、現在の職場でも医学生や研修医を教えるのが大事な仕事の一部になっています。

いまの仕事に就いていなかったら
 恐らくビジネスをしていたと思います。スワースモア大学に入ってすぐに取った経済の授業がとても面白く、専攻も経済でした。大学2年生の時に学生の一人からアメリカのベンチャー企業が作っていた奇抜なマニキュアを日本で売ってみないかと言われ、2週間の冬休みを利用しようと、サンプルとプロモーションビデオを持って一時帰国しました。知識も経験もなかったので輸出入や薬事法に関する本などを7冊くらい買って勉強し、小売店や美容室や輸入業者などを回りました。自分で実際に男性用の黒のマニキュアを塗って製品をアピールしたり・・・、今考えるとかなり怪しい大学生に見られたと思います(笑)。それでも商標登録をしたり、アメリカに帰る当日にスーツケース持参で訪れた輸入代理店と商談をまとめることが出来ました。化学、生物学などに見られる真実の追求という面白さとはまた違った、形や答えが一つでないビジネスの面白さを経験出来た貴重な冬休みでした。
 大学4年生の時、グリーンカードやアメリカ国籍がない学生が医学部に入るのは非常に大変だったこともあり、アメリカの医学部受験と就職活動を同時進行でやりました。多くの医学部から門前払いを食らって心が折れそうな時、コンサルティング会社から内定を頂きました。悩みましたが自分の胸に手を当て、どんなに可能性が低くてもやはり医師になりたいと思い、辞退させて頂きました。その3日後、ローチェスター大学医学部から合格通知が届いたのですが、あの時決断を迫られたことは、自分と深く向き合うという意味で必要なステップだったと思います。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 救急の時は完全にバラバラです。ただいつでもどこでもぐっすり眠れるというのが数少ない特技なので、そういう意味でも自分にあった仕事かもしれません。

休日の過ごし方
 まとまった休暇ならば旅行に行くことが多いです。最近では母や義姉と一緒に家族で西日本13県を8日で巡る、お花見弾丸ツアーに行ったのですが、 行く先々で何を食べても美味しくて、ハードスケジュールだった割には太って帰ってきました。最近は忙しくて行けていませんが、ちょっと時間が空いた時は、料理教室に通ったり、ジムに行ったり、子供と遊んだりします。子供たちの日本語学校の宿題の手伝いをしている時間も結構多いと思います。

現在のベイエリア生活で不便を感じるとき
 近くに温泉があったら嬉しくて泣いちゃいます。

お勧めの観光地
 ここ数年、1月にヨセミテで講演をする機会があったのですが、思っていたほど寒くなく、綺麗で空いていてお勧めです。

5年後の自分に期待すること
 キャリアに関しては少し守りに入っていたところがあったので、枠にとらわれず新しい事にも挑戦して40代を楽しみたいと思ってます。プライベートでは家族の団欒の時間を増やしたいですね。 両親は忙しいながらも家族との時間を大切にしてくれ、 愛情や思い出や人生の教訓をいっぱいくれました。どんな困難に直面しても上を向いて歩き続けることができたのは、そういった生きる原動力をくれた両親のお陰だと思って本当に感謝しています。子供たちがどんな環境でも生きていける逞しさと優しさを身につけられるように今度は自分が父親としてサポートし続けたいと思っています。よく厳しい事も言っているので 、口うるさい父親だと思われていると思いますが、彼らが大人になって振り返ってみて、どれほど愛されていたかを感じてくれれば嬉しいですね。

最も印象に残っている映画
 『ショーシャンクの空に』

自分を動物にたとえると? なぜ?
 自分では分かりませんが、子供たちにはクマだと言われてます。

座右の銘
 That which does not kill us, makes us stronger .(Friedrich Nietzsche, ニーチェ) 

(BaySpo 2017/06/02号 掲載)

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