一般編  Vol.248
春木 博さん
1974年富士通入社、1980年にニューヨーク駐在、その後東京本社国際財務勤務。1996年Fujitsu Business Communication Systems, Inc.(Anaheim, CA) CFO を経て、Fujitsu Management Service, Inc.(Sunnyvale, CA)にてPresident & CEO、2014年に富士通を退任し、PFU America Group Management, Inc. CFOで現在に至る。2010、11年に北加日本商工会議所会頭を勤め、2015年からサンフランシスコ三田会会長。慶応義塾大学商学部卒、University Pennsylvania Wharton School Advanced Management Program修了。
自らの経験を次の世代へと
現在、PFU America Group Management, Inc.のCFOを務める傍ら、サンフランシスコ三田会会長として積極的にコミュニティ活動に取り組む春木さん。「皆さんが経験した米国ビジネス・生活の経験を若い人々に伝え、彼らに飛躍してほしい」と語る春木さんにベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
春木 博さん

(Hiroshi Haruki)BaySpo 1526号(2018/02/23)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 1980年にニューヨークに駐在員として赴任したのが渡米の初めです。6年ほど東京本社の国際財務に席を置きましたが、再度、1996年に南カリフォルニアのアナハイムに赴任、その後2002年にシリコンバレーへ異動して今日に至ります。

ベイエリアの印象
 気候が良いことに加え、シリコンバレーの活気で今流行りの地域ですが、米国に3カ所しかない日本人町の2カ所がベイエリアに所在していることからも分かるように、日米交流の歴史が始まった土地であります。その先輩方の作られた基礎の上に今の我々があると最近つくづく思っています。2010年に北加日本商工会議所の会頭を拝命した年が、咸臨丸サンフランシスコ寄港150周年の年でした。商工会議所、総領事館、日系コミュニティと共に多くの行事を開催させて頂き、歴史を学ばせて頂きました。今、会社の若い駐在員、大学の同窓会でも、サンノゼ日系人博物館の見学や、コルマ日本人墓地の清掃会応援など呼び掛け、ベイエリアの歴史を勉強するよう薦めています。

自分の専門分野について
 富士通入社以来、経理・財務の道を歩んで来ました。2005年頃からは、北米富士通グループのシェアード・サービス、新規ビジネス立ち上げも手掛けるようになり、管理系業務全般にも携わるようになりました。

その道に進むことになったきっかけ
 コンピュータの富士通に入ったにも関わらず、入社早々通信機器の製造工場経理課に配属されがっかりしました。しかしながら、工場原価計算、技術開発費、グループ損益計算と経験するに従い、人間の血液に相当するのは企業では金、その金が血管を通って身体(企業)中を回る。何処かで溜まっていれば、病気の症状。直ぐに手を打たねばならない。経理の仕事は正に人間にとっての医者であることを感じ取ってからは仕事が面白くなり、自信も沸いて来ました。通信機製造工場での最初のプロジェクトが大洋に沈められる通信海底ケーブルに欠かせない海底中継器の原価計算であったのも、文科系の人間が技術・製造の中に入っていく導入部になりました。

英語で仕事をするということ
 「語力」をフルに活用せねばならないことであると思っています。「語”学”力」ではありません。語力とは言葉だけではなく、自分の行動力、相手への思いやり、尊敬、相手を育てる思い、誠実心、色々とあると思っています。

英語で失敗したエピソード
 突然の米国駐在で最初の仕事は、自分の経理スタッフの採用でした。英会話ばかりでなく米国会計制度も分からないまま、採用面接は自分でやらされました。米国人の人事部門は、レジュメから候補者を絞り、面接をアレンジするまででした。そんな中で、幸運にもニューヨークとフロリダで1名ずつの素晴らしいスタッフを雇うことが出来ました。1年経つと双方の会話はスムーズになり、2年目には自分の英会話能力向上にとても満足しました。ところが3年経つと「何かおかしい」「何か私の考えは間違っている」と思い始めました。というのは、私が何も言葉に出さなくても彼女たちは、私が何を言おうとしているのが分かるようになったからです。私の英会話能力が向上したのではなく、彼女たちが私の考え方、行動を理解したに過ぎないのでした。

英語が100%ネイティブだったら
 日本人としての考え方、誇りを失って大海の中に飲み込まれていたかも知れませんね。

あなたにとって仕事とは
 楽しむものであり、人間関係を作るものだと思います。どんな難問にぶつかっても、諦めねば必ず解があると思うようにしています。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 国鉄の総裁です。

現在、住んでいる家
 以前はサウスベイに住んでいましたが、3年前からはフォスターシティにあるタウンハウスに住み、湾沿いのウォーキングを楽しんでいます。

乗っている車
 Lexus のLS430。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 午後11時就寝、午前6時起床で、7時間の睡眠です。

休日の過ごし方
 サンフランシスコベイ、ハーフムンベイ、ウッドサイドなどのトレイルを2〜3時間歩いています。今の仕事が落ち着いたら、弓道も再開したいと思っています。そして、無の境地と自分を見つめる時間をもっと持ちたいです。

最もお気に入りのレストラン
 サンノゼ・ダウンタウンの「IL Fornaio」。

よく利用する日本食レストラン
 サニーベールの「瀬戸レストラン」。

日本に戻る頻度
 年に2回程度です。

最近日本に戻って驚いたこと
 街に塵一つも落ちていなく綺麗なことです。

日本に持って行くお土産
 ワインとセントルイスのチョコレート。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 さば棒寿司と日本そば。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 鉄道が発達していないことでしょうか。会社帰りに仲間となかなか飲みに行けませんね。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 流行のベンチャービジネスに向かって若い人々がシリコンバレーに集まって来ます。夢を追うことは素晴らしいことですが、そこには落とし穴もあり、流行に惑わされず、根本をじっくり勉強して頂きたいと思います。

日本に郷愁を感じるとき
 お正月。

お勧めの観光地
 米国東海岸は、四季の自然と米国の歴史があります。

永住したい都市
 東京。歳を重ねるに従い、洋食好きであった私も日本食の美味しさを感じるようになりました。

5年後の自分に期待すること
 我々年代の皆さんが経験した米国ビジネス、米国生活の経験を若い人々に伝えて、彼らが更に飛躍することを見つつ感慨に耽ること。

最も印象に残っている本
 福沢諭吉著『福翁自伝』。

最近読んだ本
 佐藤隆三著『ミー時代のアメリカ』。トランプ大統領になって、レーガン時代の本を再読しています。歴史は繰り返すということを改めて実感しています。

最も印象に残っている映画
 『Hawaii』。 キリスト教の排他主義で、原住民の娘とアメリカ人の若者の恋が許されなかった悲しいお話。当時私は中学生でしたが涙を流しました。

座右の銘
 ともかくやってみよう

(BaySpo 2018/02/23号 掲載)

▲Topに戻る

有澤保険事務所

自動車保険をはじめ、火災保険、アンブレラ、ビジネス保険、労災保険、生命保険、健康保険などを取り扱う総合保険会社です。Farmers
Insurance、Blue Cross等のエージェントであり、日本語できめ細やかな安心のサービスを提供しています。

有澤保険事務所
2695 Moorpark Ave, Ste 101, San Jose, CA, 95128
http://www.arisawaagency.com

有澤保険事務所
(408) 449-4808
No Reproduction or republication without written permission
Copyright © BAYSPO, Inter-Pacific Publications, Inc. All Rights Reserved.