一般編  Vol.251
陳 美和子さん
横浜出身。16歳の時に交換留学生として渡米。Oberlin College、University of the Pacific を経て音楽療法士の学位を取得。州の施設などで自閉症、精神疾患、アルツハイマーのクライアントと関わる仕事に従事。台湾系アメリカ人の夫と結婚、長女、長男に恵まれ現在はプリスクールで指導に立つ。自宅でピアノのレッスンもしている。
音楽を必要とする人のために
学生時代に渡米、ピアノの演奏家の道を目指して学ぶ中、一冊の本に出会ったのをきっかけに音楽療法士の道へ。家庭と仕事を両立させつつ常に向上心を忘れない陳さんにベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
陳  美和子さん

(Miwako Tan)BaySpo 1529号(2018/03/16)掲載

ベイエリアに住むことになっきっかけ、渡米した年
 渡米のきっかけはYFUという団体から交換留学生として1997年にウィスコンシン州ミルウォーキーへ来たことです。その後オハイオ州のOberlin Collegeのピアノ演奏科にて3年学び、その後ストックトンのUniversity of the Pacificで音楽療法の学士を取得、インターンシップ後、2005年に主人が住んでいたサンタクララへ引っ越して結婚、ベイエリアに住み始めました。

ベイエリアの印象
 食べ物がなんでもあり、なんでも美味しいこと。あとは色んなユニークな職業についてる人たちが沢山いる、という事でしょうか。

自分の専門分野について
 私の専門の音楽療法は音楽で人を癒やすということではないんです。音楽はセラピーのツールであり、そこに的確に療法のテクニックを挟んでその人に寄り添ったり、共に同じ目標へ進んだり…。老人ホーム、ホスピス、子供の病院、精神科、小学校、など色んな場面で活躍することができるとてもユニークな療法です。そこに音楽があれば音楽療法であるというわけではなく、学生時代は音楽、楽器全般、心理学、生理学、統計学に至るまで勉強しました。卒業し6カ月のインターン後、American Music Therapy Associationのテストを受け、公認音楽療法士 Board-certified music therapist (MT| BC)に認定されることが必要です。楽器も自分の専門の楽器が何であっても、ギターを使う事が必要です。また公認になった後も、Continuing Educationという継続教育プログラムにてクラスを取る量が決められていて、カンファレンスにも出席するなど常に新しいテクニックや情報を取り入れることが求められます。子供を産んでからはクラスを受講しに行ったりカンファレンスの為に他の州まで行くことが難しくなり、しばらく仕事をお休みしていました。今はEl Cerritoにある日米バイリンガルプリスクールでMusic Specialistとして仕事をしたり、自宅でピアノを教えています。音楽療法ではないですが音楽を使って体を動かしたり、楽器を使ってみたり、またBehavior Modificationも出来る限り取り入れています。日本語を使って仕事をするのはアメリカに来てから初めての経験なのでまたそれも面白く勉強するところが多いです。

その道に進むことになったきっかけ
 Oberlinのピアノ科にいた時は周りは本当にレベルが高かったです。大学院へ行く、もっとコンペティションにでる、ツアーに出るなど意欲的だったのですが私にはしっくり来なくて。そんな時、3年生になる夏に生野里香さんの『音楽療法士のしごと』を読んだのをきっかけに大学でも音楽教育のクラスで音楽療法士の仕事を見に行きました。その時に、「これがやりたかったんだ!」と全てが腑に落ちたんです。日本の親からは散々止められましたが。

英語で仕事をするということ
 細かいニュアンスなど難しいところもありますが、相手も英語が第2外国語の事が多いので、できるだけシンプルに説明します。また仕事に関しての英語はネイティブと同じようにしっかり出来るように心がけています。

英語で失敗したエピソード
 最初のホストファミリーのお母さんはミシガン出身で、独特のなまりがあったんです。何を話していたのか忘れましたが車の中での会話の最後に「You know what I mean?」と言われそれが理解できず「I don't know what you mean」と言ってしまい。私はそのフレーズが分からなかったのに彼女は話したことが全て解ってないんだと思ったらしく同じ話をされ、また最後に解らないフレーズを言われ…と負のスパイラルに陥った記憶があります。その何時間か後に家に戻りホストファーザーがすごくはっきり発音してくれてやっとなんの事か分かった、という苦い思い出があります。来た当初は失敗だらけで本当に色んな人に助けられました。助けを求めるというのに慣れるのに時間がかかりましたが、若かったので分からないことはすぐ誰にでも聞いていたし、知らない人でも快く答えてくれたので助かりました。知らない人や通りがかりの人とばかり話していたと今思うとかなり危険ですね…。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 国際公務員になりたかったですね。Oberlin Collegeに行った時2つの学士を5年でとるDouble Degreeプログラムで入学し、社会学とPiano Performanceを取っていました。残念ながら社会学のクラスで必要な読む、書く、グループワークに費やす時間を捻出するのはピアノの練習と両立出来るほど甘くなく、泣く泣く2年で諦めました。

あなたにとって仕事とは?
 今は自分個人というものを再認識させてくれるものですね。ベイエリアで結婚して家庭を持って働く、というのが親の子育て関与に必要とされる時間の多さに阻まれ思いの外難しくて、しばらくプロフェッショナルとしての自分を忘れていたのですが、少しづつでも仕事を始めることで、自分というアイデンティティを取り戻せている気がします。
生まれて初めてなりたいと思った職業
 ピアノの先生です。

いまの仕事に就いていなかったら
 犬が大好きなので犬と出来るような仕事、また化粧品が大好きなので美容系の仕事をしていたかもしれません。

現在、住んでいる家
 リッチモンド市のマリーナベイにあるコンドミニアムです。階段が多くて大変です。 

休日の過ごし方
 休日は少し遠出してハイキングに出かけたりしていましたが、最近は息子は柔道、娘は美術のクラスへ、主人も仕事が忙しい日が多くなっているので土曜日は家で、日曜日はどこか近場へ出かけるなどにしています。たまに暇をもらって一人で買い物に出かけたりもします。

好きな場所
 マリーナベイはベイトレイルの一部で、そこを散歩したり自転車に乗ったりするのが好きです。

1億円当たったとして、その使い道
 ベイエリアは1億円以上の家が多くて1億円は一般的に大きなお金であるにも関わらず買える家が大きくないのが残念ですね。とりあえず今の家のローンを払い終らせ、両親たちに旅行をプレゼントした後貯金しますね。

日本に戻る頻度
 毎年と言いたいところですが3年から4年に1回くらいです。日本に戻ると主人の実家のある台湾にも行くのでなかなか皆の都合を合わすのが難しいんです。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 食品、ステーショナリー、服、子供の本

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 不動産、賃貸の値段が高すぎることと年々車の数が増えてロサンゼルスのように渋滞、事故が多くなってきていることです。

日本に郷愁を感じるとき
 日本の童謡を歌う時にああ日本、と思います。歌詞に日本の四季、また情景が素晴らしく詰まっているので歌うたびに感動します。

5年後の自分に期待すること
 公認音楽療法士に戻り、もっと幅広く働いていきたいです。

好きな言葉
 スウェーデンのことわざです。
Fear less, hope more,
Eat less, chew more,
Whine less, breathe more,
Talk less, say more,
Hate less, love more,
and all good things are yours.

(BaySpo 2018/03/16号 掲載)

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