一般編  Vol.261
赤木 勝俊さん
大阪出身。大学卒業後、NECに入社。半導体チップの設計、開発業務を担当。96年にシリコンバレーに転勤。SGI/MIPS社に出向。その後、帰国、再渡米を経て、2007年に半導体系スタートアップに参加。さらに会社がクローズするなどシリコンバレーらしい経験を経て、今に至る。休日はSFベイをヨットでセーリングしている。
シリコンバレーで挑戦し続ける
ベイエリア在住約20年の赤木さんは、もともと駐在員としてベイエリアに渡米。NEC社やMIPS社で半導体チップ開発という仕事を通して、様々な領域のプロジェクトに従事。その後いったん日本に帰国するが再渡米し、2007年にはスタートアップにも参加した経歴を持ちます。現在は、半導体チップ設計を行う会社で開発マネジメント業務等を行っています。シリコンバレーで挑戦し続ける赤木さんにベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
赤木 勝俊さん

(Katsutoshi Akagi)BaySpo 1544号(2018/06/29)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 1996年に、NECの駐在員としてシリコンバレーにやってきました。ただ、勤務場所はNECではなく、当時、シリコングラフィックス(SGI)社の子会社だったMIPS社に出向という形でした。映画ジュラシックパークのCG作成などに使われた、SGI社製ワークステーション向けの、次世代CPU開発プロジェクト(プロジェクト名:Beast)がスタートし、パートナーだったNECから回路設計者として派遣されたのがきっかけです。

ベイエリアの印象
 天気の良さと適度に田舎っぽいところ(笑)が気に入りました。現在グーグル本社があるマウンテンビュー一帯は、当時のSGIキャンパスで、緑の芝生や樹木に囲まれた中におしゃれな建物が立ち並ぶ風景は、見るだけで晴れやかな気持ちになりました。日本の高層ビル群やいかにも工場というような雰囲気に比べて、なんて気持ちの良いところなんだとすぐに気に入りました。SGI、MIPS社内の雰囲気も自由で、国際色豊かな環境や、業界の専門家、有名人が集まっている環境にも、毎日ワクワクしたのを覚えています。

自分の専門分野について
 半導体チップの設計・開発業務を行っています。新卒で入社後は、NEC製大型コンピュータ用CPUチップ開発業務を担当し、MIPSへ出向してからは回路設計者として、CPU内の浮動小数点演算ユニットの設計などを行いました。その後日本では、地球シミュレータという超大型コンピュータ向けチップの開発を担当したあと、2001年に再渡米しPCI-Expressという新しい通信規格の策定、商品化に従事しました。2007年に現地駐在のまま退職し、創業して間もない半導体チップ設計のスタートアップに参加しましたが、残念ながらスタートアップは資金繰りが厳しくなり、約2年後に閉鎖することに…。一方でシリコンバレーらしい良い経験が出来たと思っています。その後、別の半導体チップ設計の会社に転職して、現在はSDカードに読み書きするためのホストコントローラチップや、バッテリー制御ICなどの設計、開発のマネジメント業務を行っています。

その道に進むことになったきっかけ
 大学4年時に入った研究室で初めてパソコンに触れたときに、なんて便利なんものなのだと感激しました。その後、NECに入社し、チップ開発、回路設計の道に進むことになりました。しかし、回路設計の仕事はかなり難解で、配属された後もなかなか仕事についていけず、初めての東京生活で浮かれて、毎日飲み歩いていました。そしてある日、電動消しゴムで回路図の修正中にうっかり居眠りをしてしまい、大事な図面に穴を開けてしまいました。驚いて飛び上がった拍子に机の上に置いていた湯飲みをひっくり返して図面にお茶のシミまで作ってしまうという、まるでマンガのような失敗をしてしまいました。その事件と関係があるのかないのか、翌日、部長に呼び出されて、転勤の辞令をもらいました。そのようにして始まった、私のエンジニア人生ですが、その後は上司や仲間に助けてもらいながら、入社7年目にはMIPSへ派遣されるなど、業界のトップクラスのエンジニア達にもまれながら、なんとか今日まで仕事を続けてくることが出来ました。

あなたにとって仕事とは?
 世界を変えるような仕事をしたいといつも思っています。現実的には、毎日そういう環境にいられるわけではありませんが、なるべくそういう意識を失わないようにしたいと思っています。米国、シリコンバレーで働くことを選んだのは、日本の大企業で働く環境よりも、仕事に集中しやすい環境や、実力を試される合理的な制度などが自分に合っていると思ったからです。すでに社会人生活も30年を超えようとしているので、今後は収入や役職名などを気にせずに、本当に自分がやりたいこと、且つ何か社会に還元出来るようなことに取り組みたいと思っています。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 小学生の頃は、いろいろな物を発明する科学者になりたいと思っていました。もっと幼い頃は、お笑い芸人になりたいと思っていました。私が生まれ育った大阪では、かっこいい子よりも面白い子がモテるんです。みんなから「おまえは絶対、吉本(興業)にいけるで」とよく言われていたので、当時は芸人になる気まんまんでした。

休日の過ごし方
 セーリングチームに所属していて、52フィートの大型ヨットでSFベイをセーリングしています。もともとヨットは初心者でしたが、チームの経験者の方から教えていただいて、楽しく乗っています。SFベイ内はうねりもほとんどありませんし、ベイブリッジやサンフランシスコ市内、ゴールデンゲートブリッジなどの景色も素晴らしく、とても快適です。たまにイルカやクジラを見かけることもありますよ。あとは、日本の温泉旅館が好きで、だいたい年に3〜4回は行っています。去年も、正月に北陸、春先に伊豆に行って、夏には草津、伊香保、秋は熱海、冬には鳥羽、伊勢と温泉三昧でした。

最もお気に入りのレストラン
 バークレーにある「Kiraku」です。オーナーシェフの大ちゃんは、お店を開店する前からお友達ですが、彼の作る料理はレベルの高いベイエリアのレストランの中でも、群を抜く美味しさだと思います。

よく利用する日本食レストラン
 近所にあるサニーベールの「六甲」やサンタクララの「En」「Tanto」です。

1億円当たったとして、その使い道
 半分は温泉三昧の旅の軍資金にします。1泊10万円ぐらいの高級旅館に500回泊まるぐらいの計算ですね。残りは、博多で手品バーの開店資金にします。せっかくシリコンバレーにいるので、新規事業を起こすか若手起業家へ投資するとかもしてみたいですね。

お勧めの観光地
 私のお勧めは、サンタクルーズにあるミステリースポットです。立つ場所によって背の高さが変わったり、上り坂をボールが転がり上るなど、とても不思議な光景が見れます。子供だましと思う人もいますが、ガイドさんの軽妙なトークも含め、私はとても面白いと思います。

永住したい都市
 将来住んでみたいと思ってるのは、福岡・博多です。何度か行ったことがありますが、適度に都会で適度に田舎。海も山も近く、美味しいものと温泉へのアクセスが最高です。博多に住んで、九州の温泉をいろいろ巡るのが夢です。

5年後の自分に期待すること
 遊んで暮らせるご身分になっていてほしいですね(笑)。年を取ってから必要なのは、お金と健康と友達だと思います。その中でも特に大事なのは、お友達ですね。今のように楽しいお友達と、いろいろ面白いことをやっている人生を送っていたいですね。

最も印象に残っている本
 若い頃はいろいろ読みましたが、もっとも感銘を受けたのは、司馬遼太郎の『竜馬が行く』ですね。竜馬のように日本を、世界を変えたいという思いを持ち続けたいですね。

座右の銘は?
 「人生、面白おかしく。」毎日、笑顔で過ごしたいですね。仕事に関しては、「ラクしていいモノ作ろう」です。効率良くやりたいですね。

(BaySpo 2018/06/29号 掲載)

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