ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年 1987年に1年間シアトルに留学した時に、友人を通してシアトル出身の主人と知り合いました。その後、主人はUCデービスのMBAプログラムに進学し、私はUCデービスのアンダーグラデュエイトに編入し、2人がそれぞれ卒業した1991年の夏に結婚。お互い就職先がベイエリアだったのでイーストベイに住むことになりました。1998年に仕事の都合でワシントンDCに引っ越しましたが、2001年にベイエリアに戻り、以来今のピードモントの自宅に住んでいます。
ベイエリアの印象 デービスから引っ越してきたので、都会という第一印象でした。デービスでの生活は安全でのんびりしていて良かったのですが、都会の便利さがないのが物足りませんでした。また、当時はインターネットが普及していなかったので日本の情報が限られており、日本町の紀伊國屋書店で日本の雑誌や本を買えたり、チャンネル26で週末の夜に日本のテレビ番組が見られるようになりとても嬉しかったのを覚えています。
自分の専門分野について UCバークレーの経済学博士課程卒業後から5年前に家庭に入るまでは、ずっと経済学関連の仕事をしていました。専門はミクロ経済で、特に独占禁止法とヘルスケア関連の経済学です。卒業後すぐにU.S. Department of Justice(DOJ)のAntitrust Divisionに就職し、企業合併や企業間の取引が独占禁止法に違反していないか、またそれが消費者にどのような影響を与えるかという分析をしていました。民間のコンサルティング会社に移ってからは、独占禁止法や知的財産に関する民事訴訟や当局審査対応などで経済学に基づいたアドバイスを行っていました。例えば、統計学を用いて法廷に提示する特許侵害賠償額を計算したり、また自分の分析が訴訟相手のエコノミストに隅から隅まで細かく批評されたりで、小さな間違いも全く許されないハイプレッシャーな職でした。その後、母校のUCバークレーでミクロ経済やヘルスエコノミクスを教えたりもしましたが、5年前に仕事を辞めて家庭に入り、それからはボランティアや日本でやっていたバドミントンの経験を活かして地元の高校にバドミントン部を作りコーチをしてます。
英語で仕事をするということ DOJの仕事はアメリカの市民権がないとできないので、必然的に私のような外国育ちで英語がネイティブでない人はほとんどいませんでした。その後も弁護士と仕事をすることが多かったので周りは言葉が上手い人ばかりで大変でしたね(笑)。英語がネイティブでない人がアメリカで仕事をするには、英語のハンディキャップを補えるような専門知識があるか、あるいは言葉があまり関係のない仕事を選ぶかになると思います。ネイティブの人よりも何倍も努力する覚悟と図太くドンと構えていられる姿勢が必要ですね。
あなたにとって仕事とは? 経済学の仕事を辞めるまでは、とにかく子供がいても家庭があっても外で仕事をしたいと思っていました。80年代に育った私は日本にいる頃から、これからは女性も男性と同じように社会に出て仕事をしていくべきだと思っていましたし、そういう仕事によって自分の幸せや成功が図られるように感じていたと思います。今は、家庭の仕事も大切だと思いますし、とにかくどんな仕事でも自分の性格や価値観に合った内容であること、仕事はあくまでマラソンなので頑張りすぎないことが重要だと思ってます。
休日の過ごし方 土日どちらかは必ずエメリービルのバドミントンクラブで3〜4時間プレーします。あと土曜の夕方(4〜6時)はピードモントハイスクールでバドミントンのオープンジムのホストをすることが多いです。こちらは、高校の体育館を無料で一般公開してどなたでも気軽にバドミントンを楽しんでもらえるようにという趣旨で行っています。小さいお子さんからお年寄りまでいらっしゃいます。ラケットやシャトルも提供しているので近くにお住まいの方はぜひお越しください。
好きな場所 犬と一緒にお散歩できるレッドウッド広域公園、テメスカル湖、メリット湖、マウンテンビュー・セメタリーなどが好きです。マウンテンビュー・セメタリーは、丘の一番上の方に行くとサウスベイ、サンフランシスコ、マリンと180度以上の景色が見渡せ、犬のお散歩をしている人も沢山います。
現在のベイエリア生活で不安に感じること 医療費の高さと貧富の差の拡大。日本は国が健康保険を提供しているうえに、医療費も診療報酬や薬価という形で決められているので医療費がリーズナブルな額面です。こちらは、会社から健康保険が支給されていなくてまだメディケアの年齢に達していない人は、自分で高額な健康保険を買わなくてはいけません。医療費も国が設定しているわけではないので日本からみるとはるかに高いレベルで市民の大変な負担になっています。中には病気になって破産する人もいます。やはり、医療と教育は全ての人にリーズナブルな価格で保障された世の中になって欲しいです。あと、貧富の差がどんどん拡大して、いわゆるミドルクラスがなくなりつつあるのも心が痛いです。基本的に貧富の差が大きすぎる国は安定しないと思いますし、この先どうなるのか心配です。
最近読んだ本 Trevor Noahの『Born a Crime』。アパルトヘイト政策真っ只中の南アフリカでハーフとして育った彼の人生談は、自分が体験したこともないようなエピソードだらけでとても面白かったです。人種差別批判だけにならず、ユーモアと母への愛情が詰まった一冊。映画にして欲しいです。
最も印象に残っている映画 『The Deer Hunter』。アカデミー賞受賞作ということで、私が子供の頃の80年代にテレビで何度も放送されていましたが、いつも途中でつまらなくなり観るのをやめていました。というのも、前半はピッツバーグの鉄鋼工場で働く男たちのごく平凡な日々が延々とつづられ、あまりにも単調なので後半のベトナム戦争のシーンまで待てなかったからです。20歳くらいになって初めてやっと最初から最後まで見ましたが、非常にいい映画です。映画になるような話でもない普通の市民の人生がベトナム戦争によってどのように壊されてしまったのかというコントラストを強調するためにも、前半は長くてつまらなかったのですね。大人になってわかりました。
座右の銘は? 相田みつをさんの「しあわせはいつも自分のこころがきめる」と「張りすぎてもだめ、たるんでもだめ、ちょうどいいあんばいが一番いい」が好きです。