ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年 2003年に日本で生命科学の博士号を取得したのち、すぐにカリフォルニア大学サンフランシスコ校のポスドク(博士研究員)として渡米しました。その当時は中枢神経系分野でアルコール中毒、薬物中毒、鬱病にかかわる研究をしていました。当初は2〜3年過ごして日本へ帰国するつもりでしたが、2005年に地元のスタートアップ企業に職を得たあと、職場を転々としながらあっという間に16年がたってしまいました。
ベイエリアの印象 恵まれた気候と、住む人の多様性は他に追随を許さないほどだと思います。またシリコンバレーという土地柄か、おそらく日本にいたままなら出会えなかったであろうユニークな経歴を持った人と邂逅(かいこう)できる大変面白い場所だと感じています。また、ありとあらゆる芸術に身近で触れ合うことができる恵まれた場所だという印象があります。
自分の専門分野について 現在の専門は癌の治療薬の研究開発です。昨今では癌の治療法は以前に比べて多くの選択肢がもてるようになってきました。従来の化学療法に代わり、分子標的薬や特に癌免疫療法という分野は患者さんによっては劇的な効果をもたらすことが証明されましたが、それでもすべての患者さんに効くというわけではありません。私の現在の職場では、癌免疫療法のなかでも特に研究が盛んにおこなわれている免疫チェックポイント阻害薬のさらなる研究開発を中心とし、加えて、この薬が効かない患者さんには何故効かないのか、というメカニズムを明らかにし、既存の治療薬の適用拡大や、新規治療薬を見出すことを目標としています。癌研究と一言で言っても、実際の職場では生物学、化学、生物情報科学、前臨床、橋渡し研究、品質保証管理、臨床、マーケティング、生産など多岐にわたる分野の人々が、一つの目標(患者さんに良い治療薬を届ける)に向かって協力しており、このうち一つが欠けても成り立たちません。私はこの中でも前臨床分野の創薬という段階での研究を主としています。もう少し具体的に言うと、免疫組織化学、組織学、組織病理学というコンセプトや技術を使って、新薬標的の探索、概念実証試験、動物実験の解析評価に加え、新規実験手法の開発なども行っています。
その道に進むことになったきっかけ 幼いころから絶対に手に職を持ちたいと思っていました。幼い頭で考えたのは、手に職をつけるなら理系にいくしかない、と。同時に、人間の心の動き、例えば「人はどうして悲しく感じるのか」ということに非常に興味がありました。通常ならそこで心理学を専攻しようと考えるのでしょうけれど、総合的な心の動きよりも、心の動きが分子レベルで説明できることのほうに惹かれました。そのことから、細胞、分子レベルの実験によって答えを導ける研究という分野に興味を持ちました。
英語で失敗したエピソード 渡米以前から、シカゴに住む日系人の従兄たちや、日本の研究室に客員教授で来た米国人と英語でコミュニケーションがとれていたので、英語にはある程度自信をもってアメリカに来ました。が、最初の研究室に、非常に早口のニューヨーカー、ブリティッシュアクセントのイギリス人、強い訛りのあるロシア人などがおり、彼らの話す英語が全く分からなかったので、涙目で教授に「英語が聞き取れません!」と訴えて大笑いされたことがあります。「彼らはとりわけ特徴のある英語をしゃべる人たちだから、気にしなくていいよ」と慰めてもらいました。
あなたにとって仕事とは? 今の仕事は精神的にも体力的にも大変なことはたくさんありますが、同時に楽しいからこそやっていることであり、自己実現であり、アイデンティティでもあります。
いまの仕事に就いていなかったら 叶うなら芸術分野でプロになりたいです。
現在、住んでいる家 サンマテオダウンタウン近くの一軒家です。かなり広いバックヤードがあり、アウトドアが好きでない我々夫婦にとっては宝の持ち腐れです。
乗っている車 ホンダのHRーVです。ホンダ車一筋の私にとっては6代目のホンダ車で、一番のお気に入りです。
睡眠時間・起床時間・就寝時間 就寝時間は午前2時ごろ、起床は午前7時半ごろです。
休日の過ごし方 夫が週末に時間があるときは一緒に散歩に行きます。そうでなければ30年以上続けている弓道の稽古、家のこまごまとした用事、庭の手入れなどが主です。理想は、好きな音楽を聴き美味しい紅茶を飲みながら読書、ですがなかなかそのようなゆったりとした時間はとれません。
好きな場所 サンフランシスコのユニオンストリート、ヘイズバレーは夫と好んでよく行きます。ただ超インドア派なので、家にいるのも大好きです。
よく利用する日本食レストラン サンマテオのHimawariはラーメンの美味しさもさることながら、オーナーさんが大のジャズファンで、ジャズミュージシャンである夫と話があうので、それを楽しみに行っています。もう一つはレストランではないのですが、お弁当のケータリングのBento Sprout。「お袋の味」といえる、優しい味の本格的な日本のお弁当で、度々ケータリングしてもらったり、バーリンゲームやベルモントのファーマーズマーケットに出店しているところに買いに行きます。
日本に持って行くお土産 ワイン、サンカルロスのGo To Chocolateのチョコレート、エコバッグ、甥姪には洋服などです。
日本に郷愁を感じるとき お正月です。静かで清潔で張り詰めた、でも心楽しいお正月が小さいころから大好きでしたが、こちらでは1月2日から出勤日なのが何年たっても慣れないし納得いきません。
お勧めの観光地 日本からの友人を案内するならワインカントリー、特にナパよりも人が少ないセントラルバレーです。自分が再び行きたくて、人にもお勧めするのはパリ、イスタンブールです。
5年後の自分に期待すること 今と同じインダストリーで、もっともっと存在感を発揮し、No 1, only oneの研究成果をあげることです。
最も印象に残っている本 「流れる星は生きている」藤原ていによる、第二次世界大戦直後に朝鮮(当時)からの引き上げの苦難を描いた本です。私の父とその家族も満州から引き揚げてきたという事情もあり、重ね合わせながら読んで、今でも大変印象に残っています。
座右の銘は? 「御恩と奉公」
封建制度を良しとしているのではなく、仕事においても人間関係においても、真摯に尽くすことによって相手から認められ信頼される、という意味で座右の銘としています。特にアメリカでの仕事上では、このような浪花節的な考えは通用しないように思えますが、今までアメリカで困ったときに手を差し伸べてくれたのは、地道に信頼関係を築いてきた人たちでした。以前アメリカ人の上司が「世界各国の人々は、文化が違うから感情の表し方が異なるけど、人間としては喜怒哀楽の根源になるものはみんな一緒なんだよ」と言っていたことと併せても、この概念は大きく外れてはいないと思っています。