ベイエリアに住むことになったきっかけ 渡米は2009年7月、半年の短期語学留学でNYへ行ったのがきっかけです。コロンビア大学の寮でルームメイト達と楽しく暮らしながら英語コースに通いましたが短期間で英語がものになるわけもなく、滞在を延ばし、授業料の安い語学学校へ転校し、周りの影響もあって大学院へ進学することを目標にしました。ベイエリアへ住むことになったのは2011年、当時NYで付き合っていた彼(現在の主人)がシリコンバレーの支店立ち上げでサンノゼに長期出張していたので、興味本位で西海岸を見に遊びに来たことがきっかけでした。彼がそのままサンノゼに留まることが決まったので結婚して今に至ります。ちなみに今年がアメリカに来て10周年です。
ベイエリアの印象 24時間地下鉄が走っている眠らない街から突然サンノゼへ来たので、最初は日曜の夜7時頃に店が軒並み閉まってしまうことや、車がないとどこへもいけないことに戸惑いました。一方、トレジョなど店員さんや街の人たちがとても穏やかでフレンドリーなことに驚きました。NYの店員さんはいつもイライラしていたので、ここ本当に同じ国? って。あとは雲一つない青空と南国を思わせるヤシの木や植物に心が踊りました。
自分の専門分野について 主にアートと日本語です。大学では教育系の学部でアートを専攻していたのですが、違う学科の教授に誘われ、大学院は児童発達論コースの美術教育論へ進学。学生時のアルバイトは家庭教師や塾講師の他、大学の放送部に所属していたので主にテレビ局やラジオ局、イベント司会などのアルバイトをしていました。放送に夢中になり、友だちを誘ってドラマを撮影したりスポーツの取材をしたり、アナウンスの職業訓練校に通ったりしました。絵筆を使って表現することと声を使って表現し人に伝えることは似ていて、どちらも面白いと思いました。社会人としてはNHK松山放送局でキャスター、母が運営する神戸の日本語学校で経営の手伝い、FM徳島でアナウンサー・DJなどの仕事を経て渡米。アメリカではサンノゼ州立大学大学院でジャーナリズム・マスコミを学びながらベンチャーキャピタルやPBSでインターンシップ、また教授の研究アシスタントとしてデータ分析をしました。修了制作は日本庭園をテーマにTVドキュメンタリー番組を作っていたので、仕事はまたマスコミ系に進もうと思っていましたが、子どもが生まれて断念。子育て中に何度も声をかけてくれた会社から、GAFAの一つに派遣される形で音楽ストリーミングサービスの日本語コピーエディターやクラウド関係のローカリゼーションQAの仕事に就き4年近く働きました。その傍ら、声をかけられるままに映画やドラマの字幕翻訳、日本語の家庭教師、Wired Magazineの日英翻訳、さくらラジオのパーソナリティー、司会などをしています。(バラバラのような気がしていましたがこうしてみると全て日本語関係ですね。)中でも特に字幕翻訳は、映画「クローバーフィールド・パラドックス」の日本語字幕を任せてもらったり、司会は三井住友銀行の海外支店100周年記念レセプションや米紀伊国屋書店50周年パーティー、シリコンバレー大運動祭の司会をさせてもらったりと普通に考えたらまずあり得ないような貴重な経験をさせていただいていると思うので、ご縁をくれた方に感謝しています。実は大規模なリオグで9月末にメインの仕事がなくなり、今まさに転換期です。今後は字幕翻訳を本業として据えて、副業を続けながらYouTuberとして情報発信を始めるのも面白いかなと考えています。あと母が日本留学フェアに出展するため時々ハワイに来るので、バケーションを兼ねて手伝いに行ったりもします。日本語を勉強していて日本へ行きたいと目を輝かせる学生たちをみると、何とか夢を叶えてあげたいと思います。
その道に進むことになったきっかけ 自ら夢を叶えにいった放送局のアナウンサーの仕事以外は、いつも不思議な縁に導かれるように「やってみないか」とお声がかかるまま様々なことに夢中で挑戦してきました。日本にいた頃から日本語関連の仕事にずっとご縁があるのは、もしかしたら日本語教師だった母の影響が大きいのかもしれません。(アートに興味があるのは父の影響です。)また、やってみないかとお声がけいただくことのほとんどは「私にはできないかも」と尻込みしてしまうようなことが多いですが、不安よりも好奇心が勝って無我夢中で取り組んでみたところ案外うまくいった! ということが多いので、不安に襲われてもできるだけ挑戦して精一杯取り組むようにしています。そのおかげで少しは道が開けてきたかなあと。
英語で仕事をするということ 発音、文法、アピール、全てにおいて英語のネイティブスピーカーと比べると不利なので、日本人ならではの緻密さ、丁寧さ、責任感、粘り強さなどで勝負するしかないと思っています。ただ、移民の多いシリコンバレーでは間違った英語でも理解しようとしてくれる優しい人が多いので、多少発音が悪くとも言いたいことが伝わればそれでいいと思うようになりました。幸い、翻訳の場合、日本語のネイティブスピーカーという日本では当たり前だったことが反対に強みになっています。
あなたにとって仕事とは? 仕事を通して自己実現、人や文化との交流、新しいことを学ぶ機会などをもらっていますが、核となっているのは「自分の仕事によって関わっている人たちに喜んでもらいたい」という思いです。子どもが生まれてからは、我が子のためにお金を稼ぐという目的も加わりました。ただ、真面目すぎるのかいつも頑張りすぎてしまい、自己鍛錬の修行のように感じることもあります。心から仕事を楽しめる境地へ辿り着きたいです。
いまの仕事に就いていなかったら もしアメリカに出てこず、父親と教授の敷いてくれたレールに素直に乗っていたら地元の神戸大学で児童発達論(美術教育)の博士号を取って教授職に就き、感性の教育について教えていたと思います。もしくは他人の敷いたレールには乗りたくないと言って地方局でアナウンサーを続けていたか、母の経営する神戸の日本語学校を手伝っていたことでしょう。でも、小学校の頃から海外に住むことが夢だったので、海の向こうに広がる世界を見てみたいという衝動が抑えられなくなって結局は今と同じように海外へ出て仕事をしていたと思います。
最近日本に戻って驚いたこと 綺麗な白肌にピンクの頬、髪もくるくる巻いて、可愛い女の子がいっぱいだし男性もイケメンが多い! 美意識の高さに驚きます。友人曰く、社会的にそれが求められるから大変らしいですが。あと、大阪も神戸もどんどん新しいビルが建っていてその変化に驚きます。複雑に入り組んだ地下街で時々出口がわからなくなります。
日本に持って行くお土産 Bath and Body Shopは日本未上陸なので、クリームを相手のイメージに合わせてそれぞれ選んだりします。ばら撒き系は、トレジョのレモンペッパーやエコバッグ、チョコレート、友人や親戚の子ども用にCarter’sの子ども服やParty Cityのおもちゃを大量に買っていくことも。
日本からベイエリアに持って帰ってくるもの 茅乃舎だし、祇園辻利の抹茶菓子、茶葉、抹茶、文具、日本語の本、可愛い包装紙など
座右の銘は? 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」どんなことでも強い意志を持ってやれば必ず成就するという上杉鷹山の名言。なんでも挑戦してみることでできなかったことができるようになっていく、自分の世界が広がっていくと信じています。もしできなかったとしても、できないことがわかったこと自体が学びになる。日本からアメリカに出て来た方なら、きっと共感できる部分があると思います。