ベイエリアに住むことになったきっかけ 2006年に渡米し、最初はニューヨーク、次にミネアポリス、2013年にベイエリアに来ました。夫がサンフランシスコ州立大学で教えることになり、同時期に自分もサンタクララ大学ロースクールへ編入が決まったので、一緒に引っ越してきました。2015から16年は仕事でニューヨークに戻っていましたが、2017年からはサンフランシスコです。
ベイエリアの印象 レモン、アボカド、キウイの木などが住宅街にあるのを見たり、ハチドリがすぐ近くを飛びまわるのを初めて見た時は、楽園のようなところだと驚きました。極楽鳥花という植物もベイエリアで初めて見たと思います。内陸で冬の長いミッドウエストから引っ越してきたので、海がすぐそこにある開放感や、野菜や果物の旬を楽しめるのも嬉しいです。ただ、物価や地価の異常な高騰、格差の拡大、ホームレスの増加など、手放しに住みやすいとは言い難いのが残念です。
自分の専門分野について 舞台芸術やエンターテイメントの企画、制作、運営をする仕事をしています。サンフランシスコでは、今年の1月からTheatre of Yugen(シアター・オブ・ユウゲン)という劇団と、その拠点の小劇場NOHSpace(ノウ・スペース)を運営する共同ディレクターになりました。ユウゲンは1978年に土居由理子さんが創立した劇団で、狂言や能を取り入れた独自の作品を上演しているほか、世界で唯一、定期的に狂言の英語上演を行なっています。また、一緒にユウゲンの共同ディレクターをしている吉田恭子さんが設立したU.S./Japan Cultural Trade Network(CTN)のアソシエート・ディレクターとして、日米の芸術文化交流事業にも携わっています。ニューヨークでは主にエンターテイメント分野の舞台・イベント制作や、ブロードウェイ・ミュージカルの日本ツアー事業などに携わっていました。2017年には制作会社RooM Infinity, LLCをニューヨークのプロジェクトパートナーの林れいさんと共同設立し、年に1、2のプロジェクトで行き来しています。
その道に進むことになったきっかけ 幼稚園の帰り道に見たバレエのクラスに興味を持ち、5歳から習い始めました。踊ることが大好きでしたが、それ以上に、発表会の時に劇場の舞台袖や舞台裏にいることがとにかく好きでした。舞台の上に作られていく世界と現実世界が交差する空間が持つ、独特の空気に惹きつけられました。中学生の時にはオペラ歌手パヴァロッティの歌声に魅了されて公式ファンクラブに入会し、それを通して三大テノールのコンサート制作の舞台裏を記録したドキュメンタリーを見たのをきっかけに、プロデューサーという仕事に興味を持ち始めました。大学卒業後、ニューヨークでダンサーとして活動しながら、オペラのコンサートの企画運営をする小さな会社でインターンシップ。その後2008年にアポロシアターで開かれた和田アキ子デビュー40周年コンサートの際に雇ってもらった舞台・イベント制作会社で働き始めました。これまで仕事を通していろいろな劇場の舞台袖や舞台裏に行くことができ、特に今年からは劇場=自分のオフィスになったので、とても嬉しく思います。
英語で仕事をするということ 黒人に対する構造的差別問題を受け、ベイエリアのパフォーミング・アーツのコミュニティーでも意見交換や勉強の場がオンラインで設けられていますが、参加する度に言葉の意味や使われ方の歴史的・社会的な背景を理解することが必要だと実感します。母国語ではない言葉が持つポジティブ・ネガティブな力を理解し、意識して使うのは本当に難しく感じます。
英語で失敗したエピソード 高校時代にスイスのドイツ語圏に留学したため、外国語で生活するのは英語よりもドイツ語が先だったのと、ドイツ人の夫が日本語を話せるため3言語をごちゃ混ぜにして話しがちで、いざという時にどの言葉も出てこないことがあります…。
英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に? 劇場やアーティストとの契約や、ビザ申請、上演権の取得交渉などで大変な思いをしてきたことから、ミネソタへの引っ越しを機に、アーツ・エンターテイメント分野の法律を勉強したいとロースクールに行き、転入を経てサンタクララ大学でJuris Doctorを取得しました。英語が母国語だったら、American Civil Liberties Unionなどで人権擁護に取り組む法廷弁護士のような仕事にも憧れたと思います。
あなたにとって仕事とは? 今でも舞台袖や舞台裏にいることを考えるだけでドキドキして胸が熱くなります。舞台芸術やエンターテイメントに関わることで、自分の心や体が活力・生命力で満たされるのを感じます。そして自分が携わる作品やイベントで、お客さんそれぞれが生命力を感じられるようなことがあれば最高です。
生まれて初めてなりたいと思った職業 バレエダンサー
いまの仕事に就いていなかったら 舞台進行を監督するステージマネージャーや、照明・音響などの技術者として舞台に関わるのにもとても興味があります。
現在、住んでいる家 ノイバレーにあるアパートに住んでいます。急な坂の途中にあって上り降りが一苦労ですが、とても景色が良いです。
休日の過ごし方 コロナウイルスの影響で家にいることが増えたので、時間がある時はパンを焼いたり手打ちパスタを作ったり。こねる作業がリラックスになります。あとはベランダでヨガをしています。
日本に郷愁を感じるとき 家族と日常生活の写真を送りあっていて、日本の四季の移り変わりを見たり、姉の子ども達がどんどん大きくなっていくのを見たりすると、日本に行きたくなります。足柄の山あいに父が檜風呂を作った温泉宿があり、紅葉を目の前に見ながらゆっくり温泉に入れるので、紅葉の時期になると恋しくなります。
日本からベイエリアに持って帰ってくるもの 母が萩焼が好きなことから自分も日本の焼き物が好きで、小さいものを少しずつ持って帰ってきています。前回は両親から萩焼のお猪口を譲り受けたのと、京焼と益子焼の小皿を何点か買ってきました。あとは、大工の棟梁である父が作ってくれた、組子細工のコースターや木製のお皿を持って帰ってきました。
現在のベイエリア生活で、
不便を感じるとき
車を運転するより電車や地下鉄に乗るのが好きですが、ベイエリアは公共交通機関の使い勝手が良くないので不便に感じます。でも昨年からは市内の移動には電動キックボードをよく使っています。
現在のベイエリア生活で不安に感じること コロナウイルスの影響で、運営するNOHSpaceを始め劇場はどこもクローズ中です。劇場にいることが好きな自分としては、いつどのような形で再開が可能になるか、まだまだ先が見えないのは不安ですが、アーティストもオーガナイザーも劇場空間にとらわれない創造環境、表現方法を模索しています。野外やオンラインでの作品や、お客さんが移動する体験型の作品など、自分自身の視野や経験を広げられる機会でもあると思っています。
お勧めの観光地 これまでに3度アメリカ横断した中で訪れた、アコマの空中都市、リオ・グランデの川面から200メートル上にかかる渓谷橋、ルート66沿いにあり野生化したロバが住んでいる、かつての鉱山の町オートマンなど…。広大な自然に畏敬の念を覚える一方、よく道や建造物を作ったものだと感心します。
永住したい都市 1年の半分を日本、もう半分をヨーロッパで過ごせたら理想的です。日本では古民家に住んでみたい。ヨーロッパは、ロンドンに妹夫婦、北ドイツに夫の親族がいますが、憧れはパヴァロッティの故郷イタリアです。