文化芸能編  Vol.31
小原和子さん
 ワシントン州ホワイトリバー生まれ。2歳の時日本に帰国し18歳の時再び渡米。シアトルで高校を卒業後、大学に進学しアドバタイジングアートを専攻。卒業後、結婚を機にサンフランシスコへ。1958年に裏千家サンフランシスコ支部を夫と発足し、幹事長をつとめた。1968年に茶名を取得後、準教授(1969年)、教授(1986年)、正教授(2002年)と経験を積み、2008年名誉師範の称号を得る。
「おもてなしの心」を忘れずに
 1954年にサンフランシスコの地を踏んで以来、ベイエリアで40年以上茶道を教え続けていらっしゃる小原和子さん。2008年には海外では2人しかいないといわれる名誉師範の称号を取得し、茶道を通して日本人の心と芸術を広めている。
小原和子さん

(Kazuko Kobara)BaySpo 1230号(2012/06/22)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 1954年、主人が佛教会の開教師としてサンフランシスコに赴任することが決まり、サンフランシスコに来ました。しかし最初に渡米したのは1949年、ちょうど私が17、18歳の頃で、シアトルに4年ほど住んでいました。そこでカレッジに通いました。

ベイエリアの印象
 50数年前の7月のサンフランシスコは、来る日も来る日も濃霧に包まれていて、大変ロマンチックでした。特にゴールデンゲートブリッジに降り掛かる霧は夏の叙情詩のようで、何回も霧の中、写真におさめるために出向きました。有名な街としては大変こじんまりした街だと感じました。

お茶について
 私の茶名は小原宗香(そうこう)です。お家元の直門として茶名をいただきましたので、私の本名である「和」の字はついていません。特別にお香の「香」の字とサンフランシスコの桑港(そうこう)から命名されました。茶道裏千家正教授、名誉師範として門弟を正教授まで取り次ぐことができ、北カリフォルニアでは私一人だけがその資格を持っています。

なぜお茶の道に?
 はじめてお茶をしたのは8歳のときでした。それから1951年、茶道裏千家千宗興若宗匠(第15代お家元、鵬雲斎大宗匠)がシアトルに来られたときに「一椀から世界の平和」と唱えられ、和敬の心、譲り合う心「茶道の精神」を説かれました。それに感銘を受けたというのが大きなきっかけでしたが、あとは1954年、私はサンフランシスコに来て間もなく数人の佛教婦人の茶道愛好家と出会ったのですが、第14代お家元、淡淡斎の協力を得てサンフランシスコ支部(現在茶道裏千家淡交会サンフランシスコ協会)を発足させました。日本で茶道(裏千家)、花道(広道流)、謡曲、仕舞い(観世流)舞踊(藤間流)を習っていましたが、私は茶道は私の今まで習ってきたお稽古事を全て集成した総合芸術だと感じ、私はこの「茶道」を人生の道標として生きようと決心しました。

英語で仕事をするということ
 英語でよくあるのですが、ネガティブな質問は好みません。例えば、「Don't you like it?」との問いに「好きだ」と答えたいのに「No」と答えたり、「Don't you mind?」に「No」と答えたいのに「Yes」と答えたりしてしまいます。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 法律の勉強がしたかったです。弁護士になるには気が弱いので駄目ですが、私は法律さえ勉強していればあらゆる事、場所で弱者を救う事ができると思います。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 小学校の先生

いまの仕事に就いていなかったら
 アドバタイシングアーテイストになって新聞に毎日ファッションの画を描いていたかも。でもそれは少し時代遅れとも思います。私は2人の孫娘に日本語や日本の茶道、花道、お裁縫などを教えて歌など歌いながら暮らしているでしょう。

現在住んでいる家
 私の家には茶道を教えるための8畳の紫雲庵と3畳台目席の茶室があります。紫雲庵は裏千家第15代鵬雲斎お家元の命名で扁額があります。また、2階にはいつでもお茶をおもてなしできる立礼席があります。御園棚を備えて腰掛けていただけるようにしていつもお釜をかけています。前門を開ければ明るい子供の声に未来を感じ、裏に出れば路地があり静かに思い耽ることの出来るこの家が大好きです。

乗っている車
 2008年メルセデスベンツE350 

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 午前0時には寝て午前7時には起きるます。ですので大体6時間から7時間は寝ます。

休日の過ごし方 
 私は週日はお茶を教えていますし、週末はお茶のデモンストレーションや淡交会の茶会や会合等でなかなか休みの日がありませんでしたが、月曜日と水曜日をお休みにし、月曜日は朝コーラスのお稽古(数10年続けています)、午後はコルマのお墓参り(7年前より続けています)に行くようにしました。水曜日はお医者さんに行く日と決めています。後は裏庭の木々の剪定や草むしり、またはテレビジャパンを見てすごします。

好きな場所
 暇を見つけてアジア美術館に行き、書とアジアの焼き物をみるのが好きです。あとはテレビジャパンの見える部屋(キッチン)が好きです。

最もお気に入りのレストラン
 クリフハウス。ゲーリーストリートを西下して海岸に臨むとそこに白い建物のクリフハウスがあるります。一年中朝昼晩と開店していて海鮮料理が特に美味しく、景色がすばらしいのはもちろんプレセンテーションも素晴らしいと思います。我が家からも近く、パーキングも充分ありここなら一人でも楽しめます。

1億円当たったとして、その使い道
 裏千家淡交会の催しは日米会茶室をお借りして催しておりますがそこには立礼席がありません。もし1億円があれば私は日本古来の茶室と100人の客席のある立礼席を建てる為の土台として裏千家淡交会に寄付したいです。

日本に戻る頻度
1年に1度

最近日本に戻って驚いたこと
 私が泊まるホテルにはお年寄りが見当たらないことですかね。若い(50歳未満)の方ばかりのようです。私が年老いたせいかしら・・・。

日本に持って行くお土産
 チョコレートとドライフルーツ

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 お茶と和菓子

日本に郷愁を感じるとき
 日本の女学校時代のお友だちからの手紙で2泊3日の温泉旅行などがプランされてお誘いを受けた時や同窓会のお知らせなど頂いた時。それももうそろそろ終わりに近づいている事を知っているので郷愁を感じます。

お勧めの観光地
 霧のない日であればサンフランシスコのダウンタウンが一望できるツインピークスはすばらしいですね。夜遅くは治安がよくないかもしれませんが、夜景もまたすばらしいです。

永住したい都市 
 この町で60年近く暮らしたので、主人や子供達との思い出を私は大事にいつまでもこの家、この町で残しておきたいです。あとサンフランシスコは水が美味しい町です。茶道家にとって一番大事なものは美味しい水で、この清水をわかし熱湯で点てられたお茶を暑くなく寒くなく一年中美味しく飲めるのはサンフランシスコだと思います。私はこのサンフランシスコを茶道師範として去る事が出来ません。

5年後の自分に期待すること
 これからの5年は私にとって大事な年です。膝痛のため、正座はできませんが、初級から師範まで茶道の指導は出来ますので、後5年茶道を教え教授暦50年を達成したいです。

最も印象に残っている本
 『無憂華 西本願寺九条武子令夫人筆 和歌集』

最も印象に残っている映画
 フランス映画『白鳥の死』

自分を動物にたとえると?なぜ?
 猿。人まねが上手で手先が器用だからです。

座右の銘
 情けは人の為ならず。

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取材を終えて
 小原さんにお茶を淹れていただきましたが、名誉師範の先生の前でお茶をいただくのはとても緊張しました。「緊張しないでくださいね」とおっしゃってくださいましたが、もう少しお茶の勉強しておけばよかったと思いました。これからもベイエリアで美しい日本の文化を広めていってほしいです。

(BaySpo 2012/06/22号 掲載)

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