文化芸能編  Vol.54
山室 祥子さん
日本女子体育大学芸術スポーツコース卒業。2000年度インドネシア政府奨学金を受けインドネシア国立芸術大学留学。09年よりNY市のGamelan Dharma Swaraにてダンスディレクターとして舞踊家の育成も務める。2010年にバリ島外で初のGong Kebyar Festivalに参加。ウェズリアン大学バリガムラングループ、ダンス・ディレクター。12年同大学舞踊科客員講師。13年メイン州ベーツ大学舞踊科客員講師。現在バークレーにあるGamelan Sekar Jayaにて指導、活動中。
バリ人ではない私だからこそ伝えられること
幼い頃に出会ったバリ舞踊がきっかけでその道に進むことにしたという山室さん。結婚を機に渡米後も精力的に活動を続け、2人のお子さんの母となった今も、活動の場を広げるべく活躍する彼女にベイエリアでの暮らしについて伺いました。
山室 祥子さん

(Yamamuro Shoko)BaySpo 1667号(2020/11/06)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 2009年にバリガムラン奏者でもあり民族音楽学者だったパートナーと結婚をし渡米、コネチカット州に住み始めました。その後彼の仕事の関係でメーン州、マサチューセッツ州、ニューヨーク州と転々としましたが、娘ができたこともあり一つの場所に落ち着きたいと彼がキャリアを変えました。仕事がしやすいこととバリの音楽や踊りのグループが多いというのが理由で西海岸に移ることを決め、2015年秋に車一台に荷物を山のように詰め東海岸から3歳になったばかりの娘と3人でドライブで移動、大変でした。今思うとなぜその方法? とも思うのですが、そこで家族の絆が強まった…。ということにしています。アメリカのいくつも違った壮大な景色が見れたの事は良かったです。

ベイエリアの印象
 ベイエリアに移ってくる前が東海岸の田舎だったため、ベイエリアに来ると何もかもがお洒落にそして都会に思えました。お買い物も何でも揃っていますし、緑も多く子どもの公園も多く、住みやすいです。東海岸にいた際はなかなか日本人に会うことがなく、日本語が聞こえた際は物凄い勢いで走っていき声をかけていたのですが、ここは日本人が多く…。走って近づいていくのは怖がられると思い、やめるように努力しております。

自分の専門分野について
 インドネシア、バリ島の舞踊の踊り手であり講師もしております。90%以上がイスラム教であるインドネシアですが、バリ島の人々の多くはバリヒンドゥー教を信仰しており、バリの舞踊はそのバリヒンドゥーの神々のために捧げられる踊りです。古典舞踊は長年バリの人々が大切にしてきた動きと音がぎゅっと詰まっており、全てが流れるように美しいです。ただエンターテイメント性に富んだ面白い新作もどんどん増えており、バリ舞踊のテクニックをもとにしたコンテンポラリーも私は大好きで踊ります。古典舞踊は男性が踊る演目と女性が踊る演目が分かれていますが、私は男性舞踊にも興味が湧きどちらも踊るようになりました。これは外国人であったからこそ挑戦できたことで大変驚かれ、お寺で踊った際も練習の際もよく色々な方から声をかけていただきました。ただ全く違うように見えますが男性舞踊を学んでみて初めて女性舞踊のテクニックが掴めたなと通じる部分もあり、私のクラスでどちらのテクニックも練習するようにしています。日本人である自分がバリ舞踊を踊る、また、教えるのはどうなのだろうという葛藤が常にあったのですが、バリ人ではない私だからこそ伝えられることがある気がして活動を続けています。

その道に進むことになったきっかけ
 子供の頃に父の仕事でインドネシア、ジャカルタに4年半滞在しました。バレエを習いたく両親に懇願したのですがなかなか叶わず、その代わりに母が通っていたスポーツジムにバリ舞踊クラスを発見(さすがジャカルタですね)、バリ舞踊を習うことになりました。唯一の日本人だったということもあり先生にも可愛がっていただき、バレエのことは忘れ一気に夢中になったことを覚えています。帰国後も続け大学卒業後、インドネシア政府奨学金ダルマシスアを受け、念願のバリ芸術大学(現ISI)に入学。このバリでの踊り漬けの2年間は言葉で表せないほど濃く楽しかったです。午前中に大学に行き、午後は個人的に先生のお家でお稽古をつけてもらい、夜はお祭りで踊りを観たり踊らせてもらう日々でした。奉納舞踊に参加させてもらえることは代え難いひとときで、外国人でも関わらず一緒にお祈りをさせてもらい聖水をいただきその村に長年つたわるガムランの生演奏で踊らせてもらう、踊る前に空を見て感謝し地面を感じて感謝しました。留学後は、東京を中心に日本各地で公演し、吉祥寺のダンススタジオで教え始めたのをきっかけに個人でもお教室を始めました。踊りを伝えるということは自分が踊るのとはまた違い、もう一段階掘り下げて理解する必要があります。振りと振りの間、身体のパーツのつながり、音とのタイミング、そしてその人その人によって身体も違いますし、習得の仕方もスピードも違います。そこを一緒に追求するのがとても楽しいです!

英語で仕事をするということ
 基本身体を使ってのコミュニケーションなので大丈夫なことが多いのですが、明らかにグループのダンサーも生徒さんも「私の英語」に優しく、逆に慣れてきてくれています。

英語で失敗したエピソード
 失敗しすぎで、失敗することに私も周りも慣れてきてしまっているのが危険ですね。ただ最近8歳の娘からは常に厳しいチェックが入り、4歳の息子にまでも発音を直されます。電話は苦手、ドライブスルーも極力避けます。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 バリ舞踊に出会ってしまっていたらきっと同じですね。でも公演前にドライブスルーでコーヒーやスナックを買ってから会場に行けるかもしれません。

あなたにとって仕事とは?
 バリ舞踊は私を豊かに生かしてくれるものです。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 幼稚園の先生になりたいとずっと思っていました。バリ舞踊も子供に教えれるといいなといつも思っています。

いまの仕事に就いていなかったら
 幼稚園の先生でしょうか。人が大好きなので人と関わる仕事がいいですね。

現在、住んでいる家
 Pleasant Hillにある家に住んでおります。この地域はファミリーが多いので子育てにはとても良いです。またサンフランシスコにもバートで行けますし、便利で私達は気に入っております。

日本に持って行くお土産
 Trader Joe’sのドライフルーツやナッツ。美味しいのですが重いのが厄介です。キャンディ類は喜ばれる時とひかれる時がありますがその反応が楽しくていつも持って帰ってしまいます。Burt’s Beesのリップクリームやハンドクリームも無難ですね。日本はなんでもあるのでいつも本当に困ります。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 私は昆布が大好きでその影響で子ども達も昆布が大好きになってしまい、スーツケースの半分以上が昆布です。出汁昆布もですが、酢昆布佃煮昆布塩昆布が多いですね。そして梅干も必ず持って帰ってきています。あとは手拭い。お土産や自分用に買って帰ってきます。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 自分も車を使っているのでなんとも言えませんが、渋滞はひどいですよね。環境にも良くないですし、どこに行くにもまずは渋滞のことを考えてスケジュールを立てないといけないのが大変です。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 山火事は本当に怖いです。気候変動の対策を取っていかないと。個人で何ができるのかを最近すごく考えます。

日本に郷愁を感じるとき
 お正月の時期は必ずホームシックになります。日本はクリスマスがすぎた瞬間にがらりと雰囲気が変わりいいですよね。

お勧めの観光地
 近くの公園にばかりに行っており遠くにあまり行ったことがないのですが、YosemiteとSequoia National Parkはやはり想像を遥かに超えて良かったです。

5年後の自分に期待すること
 息子がだいぶ大きくなってきたのもあり、もっと踊っていきたいと思います。古典舞踊もですし、他のジャンルのダンサーさんとのコラボレーションも刺激になります。
また主人がガムランを一式持っているので2人で小さなグループをスタートさせ、Pleasant Hill周辺でバリ舞踊を見てもらえるような機会を持ちたいと思っています。

座右の銘は?
 「こころの健康 からだの健康」

(BaySpo 2020/11/06号 掲載)

▲Topに戻る

有澤保険事務所

自動車保険をはじめ、火災保険、アンブレラ、ビジネス保険、労災保険、生命保険、健康保険などを取り扱う総合保険会社です。Farmers
Insurance、Blue Cross等のエージェントであり、日本語できめ細やかな安心のサービスを提供しています。

有澤保険事務所
2695 Moorpark Ave, Ste 101, San Jose, CA, 95128
http://www.arisawaagency.com

有澤保険事務所
(408) 449-4808
No Reproduction or republication without written permission
Copyright © BAYSPO, Inter-Pacific Publications, Inc. All Rights Reserved.