一般編  Vol.342
西村 祐紀さん
1993年横浜生まれ。5歳まで宮城県で育ち、その後渡米しベイエリアへ。トロント大学卒業後、スタンフォードで勤務。今は大学院生で、ニューヨークのコロンビア大学で人権を専攻。SFジャパンタウンを愛し、通訳ボランティアとして活動中。
守りたい場所があるからこそ、 精一杯頑張りたい
桜祭りクイーンプログラムをきっかけにジャパンタウンに興味を持ち、今では「ジャパンタウンは『生きている教科書』でありながら、いつでも戻れる『ホーム』」と語る西村さん。大学院で研究する傍ら日米通訳としてもコミュニティーに貢献する彼女に、ここでの暮らしについて伺いました。
西村 祐紀さん

(Yuki Nishimura)BaySpo 1675号(2021/01/01)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 1998年に両親の仕事の関係で渡米し、パロアルトに引っ越しました。最初、英語は一言も喋れませんでしたが、母によると半年後に家族でドライブ中に英語の歌声が聞こえてきて、ラジオかと思ったら歌っていたのが私だったので驚いたし、その後は誕生会に次々と招かれてあっという間に溶け込んだと話しています。

ベイエリアの印象
 一年中緑が多い! 大学生だった頃はトロントにいたので、冬は緑の葉が見当たらないのでびっくりしました。緑があるのが当たり前だと思っていたのが、トロントに行ってベイエリアの緑の豊かさを再認識しました。

自分の専門分野について
 大学院(修士)で人権問題を学んでいます。日本のLGBTQの人権問題から難民問題、ニューヨーク・ハーレムの小児喘息の環境問題まで幅広く研究しています。現在はアメリカ育ちの日本人として日米の視点から比較し研究していますが、これを世界的視野に広げていきたいと考えています。
その道に進むことになったきっかけ
 大学ではニューロサイエンスを専攻していました。元は理系の科目に興味を持っていたのですが、最近はもっと視野を広めたいと思い始めました。そんな時に桜祭りのクイーンプログラムに参加し、日系アメリカ人の強制収容所などの歴史を色々な方から聞く機会や、ジャパンタウンのボランティアを通して人権問題に目覚めました。

英語で仕事をするということ
 サンノゼ日本語補習校に小学1年から高校2年まで通いました。校歌「いつか世界の架け橋に」をよく歌っていましたが、当時はあまり歌詞について考えたりはしませんでした。コロナになってから、お世話になっているジャパンタウンのレストランやビジネスの方々がどんどん苦境に陥ったので、自分でも何かできることがないかと考え始めました。そこで、ボランティアで日米の通訳を始め、COVID-19の英語のガイドラインを日本語に翻訳したり、ミーティングで日本語を話す経営者と英語を話す経営者の通訳をしながら双方の意見を調整したりしています。最近は日本語を話す方々と英語を話す方々との「架け橋」になり始めている気がします。

あなたにとって仕事とは?
 私にとって「仕事」とは、職業だけではなくボランティアも含む自分が関わる全ての事です。だから、自分が納得して意義があると判断したものをこれまでもやってきましたし、将来も同じようにやって行きたいです。自分にとって関心があり、周りの人達の役に立ち、同時に自分の成長にもつながることなら、どんなに時間がかかり疲れても毎日頑張れる気がします。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 両親が医者なので、自分も医者になりたいと思っていました。小さい頃、いつも患者さんのために動いている母や父の姿を見て憧れていました。

休日の過ごし方
 皆と一緒に今は薙刀の練習ができないのですが、オンラインで稽古を時折しています。また家族で犬の散歩がてら、ビーチに行くのが好きです。大人しいけれど狩りの得意な芝犬の「サニー」と甘えん坊で食いしん坊のダックスフンドの「アン」の2匹です。

好きな場所
 サンフランシスコのジャパンタウンが大好きです! Super MiraやKissako Teaからお昼を買って、五重塔(平和のパゴダ)があるピースプラザ広場でピクニックするのがオススメです。

よく利用する日本食レストラン
 サンフランシスコにある「Takara Restaurant」。おにぎり弁当がとても美味しいです! また、サニーベールにある「Seto Restaurant」。揚げ物がオススメです。

1億円当たったとして、その使い道
 妹が大学生になるので、まずは学費と生活費ですね。大学で勉強して楽しい経験も色々して欲しいです。残りは、SF、SJ、LAのそれぞれのジャパンタウンに寄付したいです。

日本に戻る頻度
 年に一度は必ず日本に帰っていました。小中学生の頃は毎年夏に日本で体験入学をしていました。神奈川県武道館で猛暑の中で防具をつけて汗だくで薙刀の練習をしたり、小原流の会長さんの元で住み込みでお花を習ったのは、特に忘れがたい思い出です。

最近日本に戻って驚いたこと
 足腰が弱った祖父母と一緒に食事に行く時に、段差が多く、エレベーターなどがあまりないことに苦労しました。車椅子、ベビーカーの方だったらもっと大変だと思います。皆が過ごしやすいことを重視するユニバーサルデザインの大切さを実感しました。

日本に持って行くお土産
 可愛い柄のキッチンタオルやバスタオルなどをお土産にしています。あとはトレジョの調味料やエコバッグ。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 日本の日焼け止め。肌のベタベタ感がないので気に入っています。あとは必ず浅草寺によってお守りを買っています。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 コロナの影響でスモールビジネスが大変な危機に置かれていることを不安に思います。特にジャパンタウンが心配です。クイーンプログラムを始める前はあまり足を運ぶことがなかったジャパンタウンでしたが、プログラムを経て大切な友達が何人もできて、この場所の尊さに気づきました。日本の伝統と文化を守り続けているジャパンタウンも現在3箇所だけ残存します。サンフランシスコ・ジャパンタウンはその一つであり、私も初めてきちんと日系人の歴史を学んだ場所です。私にとってこのジャパンタウンは「生きている教科書」でありながら、いつでも戻れる「ホーム」でもあります。ジャパンタウンを必死に守ろうとする方々と一緒に2019年度の桜祭りクイーンコートとして自分達も何かできないかと、遅くまで話し合いをしたりしています。守りたい場所があるからこそ、精一杯頑張りたいのです。

日本に郷愁を感じるとき
 祖父母と電話で話す時、日本に帰って会いたいと思います。

お勧めの観光地
 SFとSJのジャパンタウンですね。日本人観光者でも、日系人がどのようにしてアメリカで生活してきたのか、日本の文化がいかに受け継がれてきたのか知ることができる場所です。歴史のお好きな方は、Japanese American Museum of San Joseがオススメです!

5年後の自分に期待すること
 アメリカや日本だけではなく、国際レベルで人権保護のために活動していたいです。と同時にジャパンタウンも守っていきたいです。薙刀ではノビダ先生と大島先生に試合で勝ちたいし、精神的にも体力的にも強くなっていたいです!

自分を動物にたとえると?なぜ?
 父によれば、私は『ズートピア』のウサギのジュディーに似ているそうです。ジュディーの可愛いところとか勇敢さではなく、考えている時に足をパンパンパン! と叩くところが同じだとか。失礼ですよね(笑)

最も印象に残っている本
 劉慈欣氏の『三体』。物理学を勉強していた頃に友人からの紹介で読んで衝撃を受けました。全部で三部あるので、ぜひ読んでみてください。

座右の銘は?
 「Learn to prioritize」。自分に言い聞かせているのが、今はやると決めたことをきちんと終わらせる事、新しいことを始めるよりはまず一つ一つのプロジェクトをやり遂げることに専念しています。

(BaySpo 2021/01/01号 掲載)

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