一般編  Vol.349
石塚 るり子さん
青森県南津軽郡大鰐町生まれ。高校卒業後、今は無いバークレーのアームストロング大学に短期留学。帰国後、東京のCitibank, N.A.で働き、他の米銀行のAuditorとして日本で働いていた夫と出会い結婚後、ベイエリアに移住。現在はWells Fargo Bank, N.A.のHealthcare Industries Groupで融資の審査、決済に携わっている。
母、妻、そして「私」として
結婚を機に渡米後、以降約30年ベイエリア在住という石塚さん。現在はパートナー、子どもと暮らす中で銀行でビジネスローンの審査に関わる。母、妻、そしてワーキングパーソンとしても活躍する彼女に、ここでの暮らしについて伺いました。
石塚 るり子さん

(Ruriko Ishizuka Benavides)BaySpo 1685号(2021/03/12)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 1981年から一年半ほどバークレーの小さな私立大に留学後帰国。東京で夫と知り合い結婚し、1991年に再び住むことになりました。

ベイエリアの印象
 初めて来た時は、初の海外であり、SFOからイーストベイに向かう片道5車線のベイブリッジに驚いたのを鮮明に覚えています。気候的にも良く、人種も多様で日本人としてかなり住みやすい所だと思います。

自分の専門分野について
 ビジネスローンの審査、決裁。

その道に進むことになったきっかけ
 はじめに日本へ帰った頃はバブル経済で、多くの外資系金融企業が日本へ進出し、当時最大手だったシティバンクにリテールバンクの総責任者の方の秘書として働き始めたのが、銀行関連の仕事に就くきっかでした。

英語で仕事をするということ
 日本では、日本語が使え、英語がある程度できるという理由で外資系企業に就職出来ましたが、米で働く現在、日本語が使えるバイリンガルだから有利ではなく、英語が母国語ではないという不利さを日々痛感。子ども達にはそういう思いをさせたくない一心で、平日は英仏バイリンガル校、土曜は日本語補習校に通わせたことを親の思い裏腹に今でも恨まれています。

英語で失敗したエピソード
 特に失敗したという訳ではないのですが、というより、失敗だらけで特筆したエピソードが思い出せませんが、外国人のアクセントのある英語を聞き慣れていない人と話をする時に、「何を言っているか理解不能。この人頭が悪い?」といような表情をされることが多々あり、悔しい思いをしたこと。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 特にどんな仕事がしたいというのはありませんが、ネイティブだったら、もっと早く今の立場の仕事にたどり着いたと思います。

あなたにとって仕事とは?
 主人に連れて来られたアメリカだったので、初めは特に友人もおらず、仕事を通じて自分のコミュニティーを広げられればと思って始めたのが、続けてきたおかげて、母、妻という事以外に、一個人としての価値を自分なりに見出せてくれたものだと思います。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 ロック雑誌の編集者。

現在、住んでいる家
 サウスサンフランシスコの丘の上に家があります。

乗っている車
 テスラ モデル3

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 ステイホーム以前はコンコードまで通っていたので、5時半起床で10時半には就寝していましたが、以降は通勤時間が無い分、起床、就寝とも遅くなりました。

休日の過ごし方
 朝は少し運動をし、午後は食料品等の買い出し、夜は平日に録画した日本のドラマなどを観るのが休日の主な過ごし方です。コロナ前は、コンサートや旅行、友人との食事などよくしていました。

最もお気に入りのレストラン
 今も今後も探しています。

よく利用する日本食レストラン
 サンフランシスコのミッションディスクリトにあるMaruyaさんと、ダウンタウンのSakanaさんです。どちらも良心的で美味しいです。

1億円当たったとして、その使い道
 いい歳なので貯金(笑)。さもなければ、通常の銀行からでは、融資を受けるのが困難な状態にある日本人ビジネスオーナーさんの相談や融資を目的とした非営利の団体などを立ち上げてサポートが出来たらいいと思います。

日本に戻る頻度
 年に約一度。去年は初めて戻れませんでした。

最近日本に戻って驚いたこと
 オリンピックが決まる前から、あんなに建物や地下鉄が密集していても東京はいつ帰っても必ず新しいインフラストラクチャーが出来ていること。

日本に持って行くお土産
 30年も住んでいるので、すでに毎年お土産として持っていくものがなくなりました(笑)。教えてもらいたいです。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 自分用には、プチコスメや基礎化粧品等。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 今は特に不便を感じたことがありませんが、子どもが小さいときは、親、親戚がそばにいなくて、仕事のある時に彼らが病気になった時など、今のように家で働ける環境ではなかったので、かなり大変でした。これはベイエリアに限ったことではありませんが…。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 こちらもベイエリアに限りませんが、父が2019年に他界後、独り住まいの高齢な母に、頻繁に会いにいけないこと。また、ベイアリアでは、自分の子ども達がそうでしたが、IT以外の仕事に就こうとする若者のための職種の少なさ。

日本に郷愁を感じるとき
 日本語TV放送等で、日本の美味しそうなレストランや旅館、食事の紹介番組を見た時。

お勧めの観光地
 あまりご存知ないと思いますが、実家のある青森県大鰐町は、スキーと温泉の街。800年以上もの歴史があるとされるレトロな温泉街で、スキー場も100年の歴史があり、日本スキー連盟発祥の地です。今でもナイター滑走後、実家の温泉に浸かった後の冷たいビールの味は忘れられないです。

永住したい都市
 出来れば、半年毎くらいに日本とアメリカを行き来できたらいいと思います。

5年後の自分に期待すること
 仕事を引退し、前述のような生活を送れていたら最高です。

最も印象に残っている本
 恥ずかしながら地元の有名作家、太宰治と石坂洋次郎の作品をアメリカに来てから読み、あの独特な津軽人の感性と津軽の土地描写(特に石坂洋次郎は自分が卒業した女子校教師だった。)にかなり感銘しました。

最も印象に残っている映画
 『風と共に去りぬ』何度観たか数え切ませんが、あの時代にあれほどの壮大な映画が作られたことにいつも感動します。一時、観られなくなりましたが、人種差別とかを超えた芸術作品だと思います。

最近観た映画
 これも特にないです。でも観たのは最後に日本から帰って来た時の飛行機の中だと思います(笑)。

自分を動物にたとえると?なぜ?
 牛。丑年の年女で、頑固で、なかなかこうと思ったら動かない(両親曰く、津軽の『じょっぱり』)。

座右の銘は?
 「やらない後悔よりやった後悔」と「誠心誠意」

(BaySpo 2021/03/12号 掲載)

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